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ねむの木学園と宮城まり子の生涯の生き様、ねむの木学園を作るきっかけ

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3月21日ねむの木学園と宮城まり子さんが死去されました。享年93歳でした。宮城まり子さんが肢体の不自由な子供たちの療護施設ねむの木学園設立して半世紀が立ちます。ねむの木学園は静岡県掛川市にあります。ねむの木学園を運営してきた宮城まり子さんの生き様は戦いそのものでした。障害に対する差別や偏見と闘い続け障害のある子供たちと寄り添った生涯でした。かつての首相田中角栄とのエピソードで宮城さんの信念が分かります。上皇ご夫妻も宮城まり子さんの死去を悼み、ねむの木学園に弔意を送られています。ねむの木学園を作ったきっかけ、宮城まり子が目指したものは何だったんでしょうか。宮城まり子の生き様を紹介します。

宮城まり子

宮城まり子

 

ねむの木学園の宮城まり子が目指したもの

ねむの木学園の宮城まり子さんが目指したものは、障害のあるひともないひとも区別なく、まじりあう社会でした。

そして子供たちの感受性を育み絵や歌、ダンスで表現させることでした。

障害に対する差別や偏見と闘い続けた生涯でした。

ねむの木学園創設時のかつての首相田中角栄とのエピソードを紹介します。

女優・歌手の宮城まり子さんが障害を持つ子どもたちの養護施設「ねむの木学園」を設立したのは、1968年のことでした。

徒手空拳で始めた学園運営は数年後、すぐ壁に突き当たりました。当時、日本の養護施設で教育を受ける予算がついていたのは、小・中学校の年齢の子どもまでであって、高校進学のための費用は認められていませんでした。

このままでは、中学を卒業する年齢になった子どもたちが、路頭に迷ってしまう。

悩んだ末、意を決した宮城さんは、官邸に直接電話をしました。

ときは1972年9月。総理大臣は、就任間もない田中角栄氏でした。

「宮城まり子です。
総理大臣にお会いしてお話したいことがあるのですが…」

1950年代から60年代にかけ、紅白歌合戦にも8度出場したことがある有名な歌手からの電話です。驚いた秘書官は、こう応対しました。

「今から30分後、官邸にいらしてください。

ただ時間は取れません。10分ほどです」

宮城さんは官邸へ駆けつけ、部屋に入ってきた角栄氏に切々と語りました。

「田中さん、あなたは総理大臣ですから、 何でも知らなくてはなりません」
「どんなことかね」
「日本では両親がいなかったり、貧しくて生活できない子の 面倒をみているところを養護施設といいます。

そこには素晴らしい頭脳を持った子もいます」
せっかちな角さんですが、黙って話を聞いていました。

「そこに高校進学の予算をつけていただきたいのです。 おやつも……1カ月でリンゴ1個分ぐらいですって。 いくら頭が良くても中学から大学へは行けません。

日本が豊かになってきているのだから、どうか予算をいただけないでしょうか」
宮城さんの頬に涙が伝いました。

「そうかね。そんなことがあるのかね」
「はい」
「私は知らなかった。

そういうことまで耳に入らなかった。 知ってなくちゃいけないね」
「はい」
「今すぐ返事をしたいが、それは無理なので、正月過ぎまで待ってほしい。

必ず返事をする」

翌年1月、宮城さんは二階堂進官房長官に呼ばれました。

「遅くなりましたが、日本中のすべての養護施設の子が 高校教育を受ける予算がつきました」
宮城さんの脳裏に、4か月前に会った田中角栄氏の顔が浮かびました。

尋常高等小学校卒という学歴ながら、一国の宰相に登りつめた角さんは、誰よりも「教育」の大切さを訴え続けた政治家でした。

宮城さんは、かつて「越後の毒消し」の行商女性をテーマとした「毒消しゃいらんかね」という歌を歌い、

この歌で紅白歌合戦にも初出場しています。

角さんは、あるいは宮城さんを新潟出身者と思っていたかもしれません。

しかし、角さんは一切そういう話をせずに陳情を受け付け、
それに応えて見せたのです。

信念の政治家の真骨頂です。
参考本:田中角栄「別冊宝島」(宝島社)https://yuru2club.com/wp/?p=6840

以上

宮城まり子

宮城まり子

宮城まり子の障害に対する差別や偏見と闘い続けた生涯

ねむの木学園の宮城まり子さんは、「名前のごとく、ゴムまりのように子供たちの間を飛び回っていた」と宮城まり子さんの若いころを知る人は言います。

足がだめなら手で踊ればいい!」子供たちが両手にタップシューズをつけてリズムをとるダンスは、ねむの木学園の人気演目の一つでした。

子供たちが描いた絵を多くの人に見てもらうため、国内外での展示会を開いたりしました。

上皇ご夫妻も熱心なファンでした

「障害があるから描ける絵があると思わない?耳が聴こえなければいらないものは聞かないよ、自分一人で考えるんだって思える。だからマイナスなのかプラスなのか分からない
と思うの」

 

2017年から2018年にかけてインタビューした際、子供たちの絵を見ながら、自らに言い聞かせるように語っています。

一方で安易なおせじははねつけた。

子供たちの絵は障害の有無を超えたアートとして見られているのではないかと問うと
「そんなことないっ」とはっきり言います。

 

「ああ気の毒だなとか。つらくなく見るというのが難しいんじゃないの?それが日本の障害を持つ人に対しての態度じゃないの?」と言います。

宮城まり子さんがねむの木を作るきっかけ

宮城まり子がねむの木を作ったきっかけねむの木を設立したのは、女優、歌手として
絶頂期だった時「車に乗ったり、大切にされたり。自分で思ったの。不思議だな、なぜだろう」「たまたま障害のある子供の役を演じることになり、自分なりに勉強した。」
「不思議だな?あの子たちが学ぶ学校がないなんて」

 

これが、宮城まり子さんの人生を絶頂期の歌手で女優の世界から、ねむの木学園をつくり

障害のある子供たちに尽くす人生を送る事になります。


ねむの木学園

上皇ご夫妻ねむの木学園に弔意

宮城まり子さんの死去を受け長年親交のあった上皇ご夫妻が宮内庁上皇職
を通し、静岡県掛川市にねむの木学園に弔意を伝えられました。

上皇ご夫妻は、皇太子夫妻時代から宮城まり子と交流を重ねてきました。

私的旅行で静岡県を訪れた2018年11月には、創立50周年を迎えたねむの木学園にも足を運び、宮城まり子さんの案内で生徒らの絵画を鑑賞するなどしました。

まとめ

今回は、「ねむの木学園と宮城まり子の生涯の生き様」というテーマでお送りしました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

なお関連記事もご覧ください

宮城まり子のまんが世界昔ばなし、ねむの木学園運営、吉行淳之介氏との関係、生い立ち

-社会

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