立ち技系格闘技「K―1グランプリ」の初代王者ブランコ・シカティック氏が3月22日に亡くなりました。享年65歳でした。シカティック氏が所属していたドージョー・チャクリキジャパンが23日明かしました。 シカティック氏は、1954年10月3日、クロアチアのスプリトで生まれた。1993年4月30日に代々木第一体育館で行われたK―1グランプリに参戦し決勝戦でアーネスト・ホーストをKOで破り初代K―1王者となっています。ブランコ・シカティックの戦績、出身、身長、体重、シカティックとミルコの確執の真相について
目次
ブランコ・シカティックの戦績名場面
ブランコ・シカティックの戦績です。
キックボクシング
戦績 169戦 150勝 15敗 3分 138KO 1NC
K-1: 11戦 6勝 5敗 6KO
1993年4月30日、K-1 GRAND PRIX ’93に参戦。既に38歳であったが、1回戦でチャンプア・ゲッソンリット、準決勝で佐竹雅昭、決勝ではアーネスト・ホーストをそれぞれKOで破り、初代K-1王者となった。
1993年ブランコ・シカティックVS Kiatsongrit
K 1 1993 Branco Cikatic vs Kiatsongrit
BRANKO CIKATIC VS ERNESTO HOOST K-1 Grand Prix ’93 Final
1994年12月10日、K-1 LEGEND 乱で自身の引退試合(引退の理由は衰えなどではなく、当時のクロアチア独立戦争に参加するため)を行い、アーネスト・ホーストと1年8か月ぶりに再戦。KO勝ちで返り討ちにし、引退を飾った。また、シカティック本人が、自身のベストバウトとして、この試合を挙げている。引退後は予定通り、クロアチアの特殊コマンド部隊教官として、スポーツ選手で構成された部隊を率いて、戦場に出た。
BRANKO CIKATIC VS ERNESTO HOOST K1 LEGEND 1994
1997年3月16日、K-1 KINGS ’97で現役復帰し、ムサシ(現・武蔵)にKO勝ち。同年7月20日、K-1 DREAM ’97でサム・グレコに生涯初のKO負け。この試合でシカティックは立ったまま失神した。グレコによるラビットパンチ(後頭部へのパンチ)があったとインタビューで答えている。「チャクリキに痛いという感情はない」という自身の言葉を実証した形になった。
Branco Cikatic vs Musashi
【K1 1997】アジャンクロードvsサムグレコ JEAN CLAUDE vs SAM GRECO
1997年9月7日、K-1 GRAND PRIX ’97の1回戦でマイク・ベルナルドと対戦する。1ラウンド開始直後にお互いに打ち合いに行った際、ベルナルドとシカティックの額が当たり、そのままベルナルドの連打を浴びて倒れる。一旦試合が止まりシカティックの額の傷の深さからドクター、レフリーが試合を止めTKO負けとなる。石井和義K-1プロデューサーがリングのエプロンでマイクを握り客席に向かって説明を行った。以降シカティックはK-1のリングには上がっていない。
【K1 1997】ブランコシカティックvsマイクベルナルド BRANCO CIKATIC vs MIKE BERNARDO
1997年10月11日、総合格闘技PRIDEに参戦。PRIDE.1でラルフ・ホワイトと対戦。グラウンド状態のホワイトにシカティックのキックが当たり、「ノーコンテスト」となった。
1998年3月15日、PRIDE.2でマーク・ケアーと対戦。ケアーのタックルに倒されないようにロープ掴みと後頭部への肘打ちを連発し、失格負け。ホイス・グレイシーの欠場による緊急参戦であった。
UFC王者vs初代K-1王者!!マーク・ケアーvsブランコ・シカティック
1999年9月12日、PRIDE.7でモーリス・スミスと対戦。1R前腕チョーク(PRIDEの公式記録はギロチンチョーク)で一本負け。
2005年7月18日、WORLD OYAZI BATTLE -SAMURAI RETURN!-で金山裕文と対戦し、1-0の判定ドローとなった。
Branco Cikatic vs Hirohumi Kanayama 2005.07.18
その後、母国クロアチアで警備会社「タイガー・シカティック」の代表取締役として、クロアチアの要人(大統領や大臣)の警護などを業務とする会社を経営している。
また、日本クロアチア協会の常任理事も務めている。その一方で、M-1というイベントを主催しており、時折試合に出場することもある。
ブランコ・シカティックの出身、身長、体重
ブランコ・シカティック 1954年10月3日生まれ。
スプリト出身。
身長
189cm
体重
98kg
最終所属はドージョー・チャクリキ。K-1 GRAND PRIX ’93王者。
初代K-1 GRAND PRIXのチャンピオン
伝説の拳「石の拳」と言われ驚異のKO率を誇った。スイング(大きい弧を描きながら打つ大振りのフック)を得意技とし、実際に多数のフィニッシュ・ブローとなった。また右ストレート、カウンター気味のショートの左フックも得意としていた。
ブランコ・シカティックの死因
2018年に肺塞栓症と敗血症のため入院。
パーキンソン病も発症していた。
2020年3月22日にソリンの自宅で死去
直接の死因の詳細はいまのところ不明。おそらく肺塞栓症と敗血症、パーキンソン病に関係したものと思われます。
シカティックとミルコの確執の真相
シカティックとミルコは師弟関係にありましたが、ファイトマネーをめぐり壮絶な争い確執があったそうです。
シカティックとミルコの確執の真相
「ミルコ・クロコップの戦績、生い立ち、出身、身長、現在など」
まとめ
今回は、「ブランコ・シカティックの戦績名試合場面、出身、身長、ミルコとの確執」というテーマでお送りしました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。