2020年1月の新日本プロレス・東京ドーム大会で現役を引退した獣神サンダー・ライガー2020年WWE名誉殿堂「ホール・オブ・フェーム」入り。合わせて“ユーチューバーデビュー”することを発表。 3月14日に公式ユーチューブチャンネル「獣神サンダー・ライガーチャンネル」を開設しました。現役時代の秘蔵エピソードトークや、行きつけの飲食店の紹介、現役選手をゲストに招いての対談など幅広い企画に挑戦していく予定です。ユーチューバーデビューする動機は同年代にユーチューブを身近に感じてもらいたいということです。この間の獣神サンダー・ライガーの引退の様子と選手時代の挫折、ライガー引退の心境なども。
目次
ライガー2020年WWE名誉殿堂ホール・オブ・フェーム入り
今年1月5日の新日本プロレス東京ドーム大会をもって現役を引退した獣神サンダー・ライガーが、2020年WWE名誉殿堂「ホール・オブ・フェーム」入りすることがWWE.comにて発表されました。2020年の殿堂者としてはバティスタ、nWo、ベラ・ツインズ、JBL、デイビーボーイ・スミスにつづいて第6号となり、日本人レスラーとしては10年のアントニオ猪木、15年の藤波辰爾続く、3人目の快挙です。レガシー部門では17年の力道山、18年のヒロ・マツダ、19年の新間寿が受賞しています。
獣神サンダー・ライガーの戦績
ライガーは1991年にWCWに参戦すると、ブライアン・ピルマンとWCWライトヘビー級王座(後のクルーザー級王座)を競い合い、その後もWCWに何度となく遠征してレイ・ミステリオやディーン・マレンコと戦いました。
日本においてもIWGPジュニアヘビー級王座を11度戴冠するなど、ジュニアヘビー級を代表する選手として活躍しました。
2015年8月には「NXTテイクオーバー:ブルックリン」でWWEのリングに初めて上がると、タイラー・ブリーズを破っています。
2020年1月に引退発表、今回、WWE殿堂入りが決定しました。
今回の殿堂入り発表を受けて、ライガーは自身のツイッターで「この度、猪木さん、藤波さんに続くWWE殿堂入りという素晴らしい栄誉をいただけることとなりました! これは僕一人だけのものではなく、応援してくれるファンの皆さん、一緒に闘った選手たち、スタッフ、家族みんなのものです!これからもプロレス界を盛り上げられるよう精一杯頑張ります」と発信しています。
殿堂入りセレモニー「WWEホール・オブ・フェーム2020」は、アメリカ現地時間4月2日にフロリダ州タンパベイのアマリー・アリーナで行わます。
獣神サンダー・ライガーがユーチューバーデビュー
ユーチューバー転身を決めた理由について獣神サンダー・ライガーはこう語る。
「やっぱり世間に対して、僕が新日本で経験してきたこととか楽しかったことを聞いてもらいたいのもあって。今、小学生の一番なりたい仕事はユーチューバーみたいなんです。だからどういうものなのかって、自分が体験していないと語れないし。そういう興味もあるんです」
「かたくなにガラケーを守ってきましたけど、スマホを持って自撮りもしながら。中高年の方で移り切れない方とか…難しいとか先入観あると思うんですけど、僕もやるんで一緒にやりましょうと。一体型というか。そういうのもやっていきたいですよね」と動機について語っています。
獣神サンダー・ライガーは登録者数100万人を目標に掲げている。
獣神サンダー・ライガーの引退の様子
獣神サンダー・ライガーは2020年1月5日東京ドームで、佐野直喜と組んで、高橋ヒロム、リュー・リー(ドラゴン・リー)組との引退試合を終えた。
翌日1月6日には、大田区総合体育館で引退セレモニーを行った。
そして、プロレスラーとして最後の10カウントを聞いた後、棚橋弘至らとテーマ曲『怒りの獣神』を熱唱した。
明るい引退試合、絶対に泣かない引退試合をテーマに掲げていたライガーだったが、妻子のリング登場の際には長男が涙したことで、ぐっと来たようでした。
それでも「バカやってんじゃないよ」と互いに小突きあって冗談を言い合っていました。
するとそこに、アントニオ猪木からのねぎらいのビデオ・メッセージが届きました。
獣神サンダー・ライガーもびっくり。
「ボクはアントニオ猪木の教え子としては落第生だったので、よく怒られました。ろくなことしていませんでしたから」と感慨深げに語りました。
サンダー・ライガーは、アントニオ猪木2階の畳の部屋で長く暮らしてきました。
多摩川の土手沿いにある野毛の新日本プロレス道場は、もともと猪木が日本プロレス時代から住んでいた自分の家の庭をつぶして「練習場所がなくてはレスラーは育たない」とそこに道場を立てて、家の部分はレスラーの合宿所にあてたものでした。
ライガーここの住み心地がずいぶん気にいったのか、入門したときから階段を上がった2階の畳の部屋で長く暮らしてきました。
「プロレスラーは強くなければいけない」
猪木や山本小鉄から言われたことをライガーは胸に刻んでいました。
橋本真也らとここでずいぶんイタズラもしたが、練習の虫だった。
エアコンもなく真夏にはクラクラするような灼熱地獄だった道場で汗をたっぷりと流した。
足元の床にできた汗の水たまりの大きさを競うように黙々とスクワットを続けていた。
体は小さかったが、負けん気が強く練習熱心な男を猪木は気に入っていた。
1986年2月には大阪城ホールで猪木、山田恵一(ライガー)vs.木戸修、高田伸彦(延彦)というカードが組まれたこともありました。
そして、素顔と獣神のマスクと合わせて36年間近く、新日本プロレスでプロレスラーとして戦い抜いた。
「バイオアーマーは脱ぎますけど、マスクはこのまま」
「こんなに丈夫に頑丈に生んでくれた母親に感謝しています」と息子の最後の試合と引退セレモニーを見に東京ドームと大田区総合体育館に広島からやって来てくれた母にお礼の言葉も忘れなかった。
それでも、ライガーが泣くことはなかったが、
「母親や家族だけじゃない、ライガーは周りの皆さんに支えられてここまでやってこられたんです」と語りました。
ライガーは戦いのスーツであるバイオアーマーは脱ぐが、獣神のマスクは脱がない、と決めたそうです。
獣神サンダー・ライガーの選手時代の挫折
ライガーの1つ目の試練は1994年9月の左足首の骨折でした。
リハビリが始まって間もなく、ライガーは、早く復帰できるように30分のリハビリをさらに1時間も余計にリハビリを頑張ったそうです。
2つ目の試練は1996年夏に脳腫瘍です。
「脳腫瘍」という当時としては衝撃的な通告を医師から受けました。
後楽園ホールでファンにその事実を発表してしばらく休場することになるのだが、
難しい手術も覚悟していたようだが、幸い放射線の治療だけでこの騒ぎは落ち着いて1年後にはリングに復帰できた。「ええ、試合して大丈夫なの?」という疑問もわいたが、以降長らく現役人生を続けました。
この2つがライガーにとっての大きな肉体的な事件でしたが、ライガーはその後も元気にプロレスラーを続けることができた。引退試合のセコンドに着いた藤原喜明が、「健康なうちに引退できて幸せだ」としみじみと語っったといいます。
ライガー引退の心境、最後にタッグを組んだ佐野直喜も7日に引退。
ライガーとつながりのあるメキシコに“銀色の仮面伝説”と呼ばれた聖者エル・サントというレスラーがいました。
国民的な英雄サントは64歳まで現役で戦ったが、66歳で死去すると銀色のマスクを着けてフル・コスチュームのまま埋葬されました。
ライガーも獣神のマスクを着けたまま死を迎えるのでしょうか?
ライガーは語る。
「ボクの中では凄く満足していますね。引退はしんみりした内容にはしたくないと言ってきましたから、そういうしんみり感はなかったと思いますし、真正面から、ぶつかっていって粉々に砕かれた。これでもう悔いはないでしょう。叩き潰されて、ヒロム選手が『ボクがこの新日ジュニアをもっと大きくします』と言ってくれたので」
「彼らの試合、ヒロムとかリュウ・リーの試合を見て、本当にいつか死ぬぞと、ボクは思っています。そういった意味でひと昔前の新日ジュニアと、今、新日ジュニアの最前線を走っている2人。新旧のジュニア対決。これからの新日を占う試合だったんじゃないかと思います。 そして、新日の未来は明るいなと。これからはテレビの解説席から試合を見て『すげえ!』とプロレスファンに戻って叫んでいたいと思います。ケガをしないことを願っています。それから天国にいる橋本真也選手に、オレもレスラー生活終わったよって言いたいですね」
最後にタッグを組んだ佐野直喜も、時代に押されるように、7日に引退を発表しています。
まとめ
今回は、「獣神サンダー・ライガーがユーチューバーデビュー、ユーチューブを身近に同年代に」というテーマでお送りしました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。