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教育

生きる力と「英語力」の関係を考え、生きる力を備える子ども教育を提案します

投稿日:2019年12月13日 更新日:

新指導要領では、小学校から英語教育を決定!

2019年3月の「国の新指導要領」のが概要発表では、「外国語教育の充実」と題して以下のように記述しています。『小学校において、中学年で、「外国語活動」を、高学年で外国語科を導入。小・中・高等学校一貫した学びを重視し、外国語能力の向上を図る目標を設定するとともに、国語教育との連携を図り日本語の特徴や言語の豊かさに気付く指導の充実』と明記されました。

つまり、小学校3年生頃からいよいよ小学校で英語教育が始まるわけです

ということは、「生きる力」の要素として、英語能力(外国語能力)を重視していることがわかります。

この、ことに関し、子供をもつ親の意見としては、賛成が多いと思います。「英会話スクールに通わせなくても学校で教えてもらえる」というのが賛成する理由でよく聞かれます。

まあ、英語は、話せるに越したことなないんで、反対する理由も見つからないでしょう。

 

小学校からの英語教育導入には賛否両論があります。

 

実は、専門家、識者のなかでも、この小学校からの英語教育導入には賛否両論がありました。

「え、反対するひとなんているの?」と思われるかたも多いと思いますが、この小学校からの英語教育導入には、激しい議論がおきました。

国の新指導要領の中にも、説明の後段に、その反対派への配慮がうかがえます。この部分です。

『小・中・高等学校一貫した学びを重視し、外国語能力の向上を図る目標を設定するとともに、国語教育との連携を図り日本語の特徴や言語の豊かさに気付く指導の充実』

結果的に理想としては、かなり高い目標になって、しまいました。「日本語の特徴や言語の豊かさに気付く」です。日本語のためにもなるから、と言い添えているようなものです。

 

こう、大上段に構えられたら、反対派もすこし、やらせてみようと言う気にもなります。

理想としては、反対する理由はありませんから。

生きる力としての「英語力」について私の意見

この辺りで、今の世間の背景も少し、お話したんで、私の意見を述べておきます。

私は、直に、生徒と接し教育現場に一番近い立場としての意見です。

 

「生きる力」としての英語を考えると、その能力があるに越したことはありません。ですが、英語力は、先の投稿ページで紹介しました、「読解力(国語力)」「数学力」の次にくるものと考えます。

理由は私たちには、私たちの母国語、日本語が存在し、その日本語は素晴らしい言語であると思っているからです。

英語(外国語)は、日本語をしっかり使いこなせていて、それでも、余裕のある人、英語の能力が不可欠な関連の分野において、高い志のある人には、もちろんしっかりやって欲しいと思います。

今の生徒の国語レベルはもう少し全体としてあげていかなければならないと思います。つまり英語に割ける時間があれば、国語の充実こそ「生きる力」の養成にはふさわしいと思っています。

 

小学校の英語教育導入について

したがって、小学校の英語教育導入についても反対の立場です。

理想を言えば、英語力が備わり、国際社会で、活躍する人材を多く育てることは国家政策としては、行ったほうが良いと思います。

それには、反対しませんが、今の小学生の国語力は、「生きる力と読解力の関係」のページで紹介したようにかなり低いレベルです。

 

小学校の英語教育導入は、先の、「ゆとり教育」の失敗の二の舞になる可能性も大きいと感じます。あのときは、「ゆとり」と「生きる力」の両立でした。

今回の英語教育と国語教育の両立も、現状においてはかなり高いハードルです

ただ、私は、子供に英語を学ばることに反対ではありません。

現に私の塾でも小学校幼稚園年長から小学6年生までが対象の英語教室があります。

 

子供を持つ、親で英語を学ばせたいというニーズはかなり高く、生徒も多いですが、両親には、「国語がしっかりしたうえでの英語学習にしてください」といいます。

 

そして、塾で習うのであれば、それは、習字、スィミング、ピアノなどの習い事の一つです。人それぞれ、子供の個性を考え習い事を選びます。その中の一つが英語でもいいわけです。

学校での英語教育の質を上げることがまずは大事

学校での英語教育の充実には、大賛成ですし、早急に取り組んでいただきたいと思います。

今の中学の英語の教師のレベルを上げるべきです。まずは発音です。英語を学ぶ上で「発音」は大事な要素ですが、塾でも、生徒がとんでもない発音をするんで、「どうして、そんな発音になるの」と調べると学校の英語に時間に身につけてきます。

それが、極端にひどくて、ひょっとしたら、この子の英語の先生は、発音記号を読めないのでは、という疑いさえ起きてしまいます。

また、英語力そのものも怪しい英語教諭も存在します。例えば、学校の英語の定期テストで、生徒の答案は、結果が出て返却されてから私が、必ず目を通しますが、明らかな正解がバツになっていることがたまにあり、間違いなく正解と思い、生徒に「マルにしてもらいな」と翌日英語の担当教師のところに生かせると、結果駄目だという。

仕方がないから、英語辞書のそれにあたるところを塾でコピーして、アンダーラインをひいて「塾の先生が、これは正解じゃないか」と塾の名前を出して、マルにしてもらいなと再度、生徒に交渉にいかせると、ようやく、正解を認める始末。

 

生徒にとっては、高校進学の大事な評価になります。泣き寝入りはしてられません。もっとレベルを上げるべきでしょう。

せめて、中学の先生でも、高校英語ぐらいのレベルは、維持してもらいたいものです。

いろいろ、課外業務もあり大変でしょうが。やはり使命感をもって。

 

しかし、とりわけ発音の質は早急対策しなければ、使える英語になりません。こちらのほうが深刻な問題でしょう。

 

 

小学校の英語教育の担当教諭の発音の質は大丈夫?

私は、真っ先に、このことが心配です。肝心な中学の先生の発音でさえ、私には不満です。

しっかりした、発音のできる英語の担当教諭を小学校でしっかり確保できるのでしょうか?

発音は、CDでネーティブに録音を吹きこんだ教材でやってもらいます。こんな、考えでは、まともな英語教育はなりたちません。

 

今、しっかりした発音ができない人に、それを習熟させるのはかなりの時間がかかります。

無理ではないでしょうが。

とにかく、英語は発音が命です。小学校からの英語教育をやるとなったら、かなりの体制と労力が要求されるでしょう。先生間のいじめなどして、遊んではいられなくなります。

英語の発音を教えることについて

すこし、本題のテーマには脱線しますが、大切なことなので、言い添えておきます。

もし、子供に、ネイティブに近い英語発音をつけさせたいと考えたら、小学校中学年ではもはや、手遅れです。

例えば、私の塾でも、幼稚園年長、小学校1,2年のクラスでは、担当してもらう英語の先生には、特に気を使います。なぜって、取り返しのつかないことになりますからです。

逆に、この年齢だと、英語の先生の口元をじーと生徒が観察し見事に身に着けます正しい発音を

ですが、それを、過ぎるとかなり難しくなります。中には、まれにいることはいますが、だいたい、日本英語になります。

例えば、英語の発音をネイティブスピーカー程にじたければ、適齢は、楽器でフレットのない弦楽器、例えばバイオリンの演奏に必須能力の絶対音階に近い感じがします。

音楽での一定の年齢を過ぎると絶対音階は身につかないように、英語の発音もそれに近い部分があります。

ですが、このことと私の持論の、「学校の英語教育は、中学校から出いい」というのは矛盾しません。どうせ旬が過ぎたんだったら、逆に焦っても意味がないと考えているからです。

国際人を養成したければまずは、日本語と日本文化を極めることが大事

「生きる力」として、英語を考えたとき、国際社会で活躍し、日本人の好きな国際化「グローバリゼーション」より、さらに踏み込んで、国際的同化「インターナショナライゼーション」つまり、日本の価値観をしっかり世界に認めさせる国際人は、「生きる力」として最上級の人間でしょう。

そのためには、拙速な小学校での英語教育よりは、日本語、日本文化をしっかり学び自分の素養にできることが、大切です

 

話をもう少し、具体的にします。例えば、国際社会の舞台で、立食の晩餐会があると、します。そこに、英語の堪能な一人のグローバル国際人が自信ありげに意気揚々と出席します。

世界には、日本が好きで、日本文化にも、あこがれ、憧憬の思いを持っている外国人も結構す。

そんな、外国人は、そのグローバル国際人に近づき日本の文化を訪ねます。例えば、近代の文学「夏目漱石」とか、この辺までは、はらはらですが乗り切れるでしょうが、さらに、平安女流文学、清少納言とか、紫式部とか、しっかり語れるでしょうか。

英語が堪能でも、日本人として、奥いきもしっかりある人でなければ、アイデンティティが出せません。尊敬されたり認められたりされない事態にもなります。

では、宗教については、どうでしょうか?

別に、宗教を信じていなくても、一通り、日本古来の「神道」、日本人に一番なじんでいる「仏教」をそれなりに、語れることも大事です。かたや、日本人は、まったく聖書をよみません。聖書=キリスト教のイメージしかありません。

実際、ある程度社会的地位がある人でも、旧約聖書と新約聖書の違いすらわかっていません。欧米人からみたら、日本ではいかに社会的地位が高くても、「町工場のおやじ」くらいにしか見てくれません。

つまり、日本を豊かに将来にわたって「生き抜く力」をこの国に授けるための貢献をしてくれるような、国際人になるためには、日本語、日本の文化をしっかり身に着け、そのうえで、例えば聖書のような国際的な常識人が身に着けている文化を学ぶことが必要です

 

そんな人材が育てば、日本の主張をしっかり国際社会に納得させ、伝えさせる真のインターナショナルな日本人が誕生します。「生きる力」としてこれほどの大きな力はありません

最後に、また、私の好きな歴史上のエピソードです。幕末、長州藩の井上馨、伊藤博文の話です。ご存知の通り、井上馨は、のちに、内務大臣、大蔵大臣、元老などを歴任する明治国家の中枢的人物、伊藤博文は後に初代内閣総理大臣になります。

この、二人が、まだ若かったころ尊王攘夷運動のたけなわのころ、密航して二人を含めた数名でアメリカにわたります。

そして、わずか、半年後、長州藩の大事に、二人だけが、帰国、当時長州藩は、馬関戦争(長州藩と欧州列強との戦争)の和睦に高杉晋作を特使に任命。そこで、晋作は、長州藩に戦争の莫大な賠償金を出させようとし、機転を利かせた晋作は、朗々と、日本書紀を諳んじはじめ根負けした列強が、賠償の請求をひっこめた実話があります。

その時の通訳がこのふたり当時は井上問多、伊藤俊輔と名乗っていましたが、まあ、たった半年のアメリカ留学です。おそらく、はったり英語だったんでしょう。

何か言いたいかというと、英語くらい、せっぱ詰まればなんとかなるという例です。

 

 

まとめ

今回は、「生きる力と「英語力」の関係を考え、生きる力を備える子ども教育を提案します」というテーマでお送りしました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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