外交の岡本行夫氏が新型コロナに感染し2020年4月24日死去しました。死去される1か月前には、テレビ出演サンデーモーニングで、「”新型コロナ”で深刻な米国経済」のテーマで出演。死去されるわずか1か月前です。享年74歳。1968年に外務省に入省。北米第一課長などを歴任し、91年に退官。橋本、小泉両政権で首相補佐官に任命された。外務省と首相官邸で湾岸戦争や沖縄問題、日米安全保障などを担当した。その後、外交評論家として活動していました。日本郵船・三菱マテリアルなどの取締役としても活躍。2011年の東北大震災後に「東北漁業再開支援基金・希望の烽火」を設立して東北漁業の早期回復を支援活動。
目次
岡本行夫氏が新型コロナに感染し死去
外交評論家の岡本行夫氏が新型コロナウイルスに感染し、2020年4月24日死去しました。享年74歳。
橋本、小泉両政権で首相補佐官を務めた岡本行夫氏が新型コロナウイルスに感染し、先月下旬に死去しました。入院後も最初の数日は仕事に取り組んでいたが容体が急変したそうです。
岡本氏は、1968年外務省入省。北米1課長などを歴任した後、91年、外務省を退官した。橋本内閣で沖縄問題担当の首相補佐官を務め、米軍普天間飛行場移設問題などに携わった。政府が2000年の主要国首脳会議(サミット)開催地に沖縄を選ぶにあたり、沖縄担当として誘致運動に尽力した。
小泉内閣では、内閣官房参与を経て首相補佐官に任命された。外交・安全保障問題に関して首相に助言する専門家チーム「対外関係タスクフォース」の座長を務めた。イラク問題担当として、イラク戦争後の支援策の策定などを担った。
首相補佐官を退任した後は、外交評論家として活動していた。
2011年の東北大震災後に「東北漁業再開支援基金・希望の烽火」を設立して東北漁業の早期回復を支援活動。
また、俳優の高倉健に似ていることでも知られていました。
岡本行夫氏プロフィール
岡本行夫氏は、神奈川県生まれ。鎌倉市及び藤沢市で育つ。
父親は農林省職員。父親の仕事の関係で、中学時代は2年間クアラルンプールに滞在。
神奈川県立湘南高等学校を経て、1968年に一橋大学経済学部を卒業し、外務省入省。
鈴木典比古(国際基督教大学学長・国際教養大学学長)とはゼミの同期。
三幣利夫(中東住友商事社長・敬愛大学学長)も大学の同級生。
在アメリカ合衆国日本国大使館参事官、北米局安全保障課長、同北米第一課長など日米外交の有力ポストを歴任し、将来を嘱望される存在だったが、1991年に辞職。
管理職となって現場に関われなくなることに不満があったという。
外務省退官後はコンサルタント会社を経営しながら、親米派の外交評論家として活動。
家族は、母親がいらっしゃいます。
第1次橋本内閣、第2次橋本内閣で内閣総理大臣補佐官、小渕内閣で科学技術庁参与、第1次小泉内閣で内閣官房参与、第2次小泉内閣で内閣総理大臣補佐官、第3次小泉内閣で内閣総理大臣外交顧問、福田康夫内閣で外交政策勉強会メンバーを務める。
5年前の2015年7月13日には、国会で戦争法案について自民党推薦の公述人として国会で証言しました。
ー 岡本行夫(自民推薦)【大賛成】戦争法案7/13公聴会
特に橋本内閣においては、沖縄問題担当として60回以上に渡り沖縄入りして現地との信頼関係を築きながら、普天間基地の返還・代替地移設問題や沖縄振興策策定の最前線で活動。
2009年12月には、鳩山由紀夫内閣の普天間基地移設問題への対応で日米関係が悪化する中、鳩山由紀夫首相と総理大臣官邸で面会。知米派の岡本が個人的な立場から外交面で協力するとの合意をしたと報じられた。
この他実績として非常に多くの社会的職責を歴任しています。
アサヒビールアドバイザリーボードメンバー(1998年 – 2000年)。
日本郵船アドバイザリーボードメンバー(2006年 – 2008年)。
NTTドコモアドバイザリーボードメンバー。
東芝経営諮問会議メンバー。
小松製作所インターナショナル・アドバイザリー・ボード社外アドバイザー。
株式会社東海東京調査センター理事長。
上総モナークカントリークラブ理事。
Oakキャピタル株式会社顧問。
外交政策勉強会(福田康夫首相の私的懇談会)メンバー(2007年12月 – )。
内閣府沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会委員。
財務省国際経済・金融システム研究会委員。
観光庁「普遍的な日本の魅力」の再構築・発信に関する検討会委員。
電通総研客員研究員。
富士通総研特命顧問。
小僧com株式会社アドバイザリーボードメンバー(2008年 – )。
一般財団法人日本フラッグフットボール協会代表理事。
財団法人東京財団評議員。
財団法人日本教育科学研究所理事、福島県しゃくなげ大使。
岡本行夫氏の評論活動、テレビ出演
岡本行夫氏は、評論家としても活動し多くのテレビ番組にも出演。
国際問題について政府関係機関、企業への助言活動の他、国際情勢を分析、執筆・講演・メディアなどで幅広く活動。
例えば、東京の窓から@東京MXTV 2010.07.10(提供:鹿島) ~日本人と「平和の毒」~ では、石原慎太郎都知事と対談してます。
ー石原慎太郎氏と岡本行夫氏対談~日本人と「平和の毒」~1/5
ー石原慎太郎氏と岡本行夫氏対談~日本人と「平和の毒」~2/5
ー石原慎太郎氏と岡本行夫氏対談~日本人と「平和の毒」~3/5
また、サンデーモーニングにも出演。黒板解説で親しまれていました。
【サンデーモーニング】20年2月16日放送 黒板解説「アメリカ大統領選民主党指名争い」
最近、直近のテレビ出演では、サンデーモーニングで、2020年3月22日放送 黒板解説「”新型コロナ”で深刻な米国経済」のテーマでの出演があります。
死去されるわずか1か月前です。
【サンデーモーニング】2020年3月22日放送 黒板解説「”新型コロナ”で深刻な米国経済」解説:岡本行夫
岡本行夫氏は現場主義を貫いた外交官の経験を外交評論家 として、テレビで活躍。
テレビ出演では、かなりの正論を展開する論客として知られていた。
ー鳥越俊太郎が論破されまくり、可哀想に見えてくる動画
NHKの時事問題番組にも多く出演して専門の国際外交問題では日本屈指の切れ味をもった論評を行いファンも多かった。
ー 岡本行夫、尖閣ビデオ流出と日本外交を斬る
岡本行夫氏はNHKの「日本のこれから」に出演し日韓関係についても持論を述べています。
ー 日本のこれから
また、報道番組「プライムニュース」でも、2018年9月26日出演時は、朝鮮半島情勢と国連外交に関する議論を手嶋龍一氏と行っています。
北朝鮮危機と国連首脳外交!単に終戦に留まらない終戦宣言!南北統一を待たずに低くなった38度線の障壁!
岡本行夫氏奨学金で人材育成
岡本行夫は、奨学金制度による人材育成にも努め社会貢献を行っています。
2005年からは立命館大学で「国際社会で活躍する人材養成特別プログラム」を立ち上た。
宮家邦彦立命館大学客員教授とともにスーパーバイザーを務める。
そして、外交官や国家公務員、多国籍企業など難関進路を志望する成績優秀な学生を全学から選抜し、講義、ゼミナール指導、岡本行夫奨学金による海外研修などを実施してきました。
岡本行夫氏の実業家としての実績
実業家としては、2000年に梅田望夫及びインド人、アメリカ人と4人でシリコンバレーのパロアルトにITベンチャーを支援ベンチャーキャピタル「パシフィカファンド」を設立。
このほかアサヒビール取締役、三菱自動車監査役、三菱マテリアル取締役、日本郵船取締役、NTTデータ取締役、Oakキャピタル株式会社顧問、東芝経営諮問会議メンバー、小松製作所インターナショナル・アドバイザリー・ボード社外アドバイザー等も歴任。
岡本行夫氏の教育者活動
2002年9月からは立命館大学客員教授として後進の指導にもあたる。
2005年からは立命館大学で「国際社会で活躍する人材養成特別プログラム」を立ち上げ、宮家邦彦立命館大学客員教授とともにスーパーバイザーを務め、外交官や国家公務員、多国籍企業など難関進路を志望する成績優秀な学生を全学から選抜し、講義、ゼミナール指導、岡本行夫奨学金による海外研修などを実施する。
2012年、NPO法人新現役ネット理事長などの職を退任し、渡米、マサチューセッツ工科大学国際研究センターシニアフェローに就任。2018年青山学院大学特別招聘教授の称号を受けた。
岡本行夫氏著書
著書は首相補佐官当時の回想録「砂漠の戦争~イラクを駆け抜けた友、奥克彦へ」(文藝春秋社)2006年
『さらば漂流日本――自力航行への転換』(東洋経済新報社、1995年)
『ニッポン再生最前線――岡本行夫対談集』(都市出版、1997年)
など。
翻訳
ジョン・C・マクスウェル『人を動かす人の「質問力」』監訳 三笠書房 2016
共著
(水野清・榊原英資・堺屋太一)『「官僚」と「権力」――省庁再編はなぜねじ曲げられたか』(小学館文庫、2001年)
(田原総一朗)『生きのびよ、日本!!』(朝日新聞社、2003年/朝日文庫、2005年)
(森本敏)『日米同盟の危機 日本は孤立を回避できるか』(ビジネス社、2007年)
(五百旗頭真・伊藤元重・薬師寺克行)『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』(朝日新聞出版、2008年)
(佐藤優)『知の超人対談 岡本行夫・佐藤優の「世界を斬る」』(産経新聞出版2009年)
共編著
(島田晴雄・井尻千男・木村昌人)『責任ある平和主義を考える――国際社会と共存するために』(PHP研究所、1991年)
岡本行夫ツイッター(#岡本行夫)
岡本行夫ツイッター(#岡本行夫)でも、驚きと、残念の声が多数上がっています。
#岡本行夫 さん 中道右派のイメージ。 経験に裏付けされた発言でバランスが良かった。 まさかコロナで亡くなるとは。ご冥福を。岡本行夫氏が亡くなった。 独特の視点、落ち着いた語り口を聞けなくなってしまった。寂しい。 ご冥福を祈りますまだ74歳なのに、、。 ご冥福をお祈り申し上げます。
まとめ
今回は「岡本行夫氏死去。プロフィール、実業家、教育、評論活動、テレビ出演。」というテーマでお送りしました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。