今、ノンフィクション作家石井妙子氏の新作『女帝小池百合子』が話題になっています。石井妙子氏の作家スタイルである緻密な検証をもとに書かれた本書は、小池百合子都知事の「学歴詐称問題」など人間性がどうなのかを、うかがえる著書です。そんな、石井妙子氏は当初、囲碁観戦記者でした。
目次
石井妙子氏プロフィール
1969(昭和44)年、神奈川県茅ヶ崎市生れ。
白百合女子大学卒、同大学院修士課程修了。
お茶の水女子大学女性文化研究センター(現・ジェンダー研究センター)に教務補佐員として勤務。
1997(平成9)年より、毎日新聞囲碁欄を担当。囲碁の記事を書く傍ら、約5年の歳月を費やして『おそめ』を執筆。
綿密な取材に基づき、一世を風靡した銀座マダムの生涯を浮き彫りにした同書は高い評価を受け、新潮ドキュメント賞、講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞の最終候補作となった。
著書に『日本の血脈』『満映とわたし』(共著)など。
『原節子の真実』で第15回新潮ドキュメント賞を受賞した。
2017年は、「安倍昭恵『家庭内野党』の真実」『文藝春秋』3月号、「男たちが見た小池百合子という女」『文藝春秋』8月号、「東条英機の映写技師」『文藝春秋』9月号を執筆。
『週刊現代』に「リレー読書日記」、『選択』に「をんな千一夜」を連載する。
石井妙子氏の著書紹介
五年かけて取材した、上羽秀を描いた2006年の『おそめ』。2016年『原節子の真実』が第15回新潮ドキュメント賞を受賞するなど、緻密な調査で、検証を重ねていく作風はノンフィクション作家として高い評価を受けています。
『女帝小池百合子』
2020年 文藝春秋
三年半の歳月を費やした綿密な取材のもとえがいています。
虚言に塗り固められた小池百合子という女性政治家の「正体」を見事に描き切った本書は、
政治家に関連する本としては異例のベストセラーとなっている。
著者の石井妙子氏は、『女帝小池百合子』を手掛ける動機として以下のように語っています。
「いまからちょうど4年前、舛添要一都知事が金銭スキャンダルで辞任しましたよね。その後行われた都知事選に、小池氏が衆議院議員を辞職して急遽、出馬し、東京都民は熱狂した。あの様子をテレビで観ていて、どこか違和感を覚え、胸がゾワゾワしてきたんです。
彼女はいつも作り笑いを浮かべているのに、目はちっとも笑っていない。目は心の窓と言うけれど、この政治家の心はどうなっているんだろう? 彼女には、人知れない「心の闇」があり、さらにその奥にも「真実の闇」が広がっているのではないか。そんなノンフィクション作家としてのモヤモヤ感からでした。でも、直接のきっかけは編集者からの執筆依頼です。それがなかったら、書いたかどうか。」
この様な視点で、従来から言われてきた小池百合子氏の「学歴詐称疑惑」を検証。
今、都知事選を前に、「学歴詐称疑惑」が再び大きく持ち上がっています。
『おそめ 伝説の銀座マダムの数奇にして華麗な半生』
2006年 洋泉社のち新潮文庫。
白洲次郎が通った。川端康成が愛した。時代の寵児たちを魅了した、あるマダムの半生。
かつて銀座に川端康成、白洲次郎、小津安二郎らが集まる伝説のバーがあった。
その名は「おそめ」。マダムは元祇園芸妓。
小説のモデルとなり、並はずれた美貌と天真爛漫な人柄で、またたく間に頂点へと駆け上るが―。
私生活ではひとりの男を愛し続けた一途な女。
ライバルとの葛藤など、さまざまな困難に巻き込まれながらも美しく生きた半生を描く。
隠れた昭和史としても読める一冊。
川口松太郎の小説『夜の蝶』、および同名の映画のモデルとなった人物である。
おそめという通り名で知られ、京都と銀座に店を構えて飛行機で度々往復する生活を送っていたことから「空飛ぶマダム」と呼ばれた。
「おそめ」は、昭和20年代から昭和40年前半に京都木屋町、東京銀座にあったバーです。
上羽秀さんという京都祇園出身のママが経営しており、文化人、政治家、経済人に絶大な人気のあるパーでした。
ママの上羽秀さんは抜けるように色の白い絶世の美人で、その上に人当たりが良く、話の上手な方と言われています。
『日本の血脈』
2013年 文春文庫
著名人の家系をたどれば、この国のかたちが見えてくる。
小泉進次郎、香川照之、中島みゆき、美智子妃――。政財界、芸能界から皇室まで、注目の人士の家系をたどった連作ノンフィクション。全部で10篇収録。
政治家の小泉進次郎。祖父・又次郎から代々続く政治家一家の4代目である。世襲批判を叫ぶ一方で、そんな彼に人々は熱狂している。
「小泉組の親分」といわれた鳶頭の又次郎が馴染の芸妓の支援を受けて政界へと飛び出していく。見えてきたのは男たちを代々、「政治家」に仕立てていく、この家の女たちの屈折した強さだった。
小沢一郎も岩手を抜きにしては語れぬ人だった。
現在、彼が暮らすのは東京世田谷の大豪邸だが、一方、岩手県水沢には彼の育った板肌の黒ずんだ木造の家が今もある。そのあまりの差異。
一郎の父、佐重喜(さえき)は貧しい農家に生まれたが、小さな頃から「大臣になる」と周囲に語った。
丁稚に出そうとする父に反抗して家出し、苦学の果てに夢を叶えるのだが、それにしても、なぜ子ども心に大臣に憧れたのか?
“現代の歌姫”中島みゆきは家系図を引いてみたところ三笠宮家と繋がり、驚かされた。また、谷垣禎一の祖父は汪兆銘工作にかかわり、「陸軍の謀略機関長」と言われた影佐禎昭中将である。
美智子皇后の曽祖父は佐賀藩士として会津城攻めに加わりアームストロング砲を打ち放ち、その城内では紀子妃の曽祖父が応戦していた……。
など、著名人の過去の系譜をたどっていく。
『原節子の真実』
2016年 新潮社
その存在感と去り際、そして長き沈黙ゆえに、彼女の生涯は数多の神話に覆われてきた。
真偽の定まらぬままに――埋もれた肉声を丹念に掘り起こし、ドイツや九州に痕跡を辿って浮かび上がったのは、若くして背負った「国民的女優」の名に激しく葛藤する姿だった。
伝説を生きた女優の真実を鮮やかに甦らせた、決定版の本格評伝。
国民的大女優がファンに何も告げず銀幕の世界を静かに去った理由とは?
あまりにも鮮やかな引き際を不思議に思った石井さんは原さんの全人生を振り返ったうえで、原さんが何を望み、引退は何に突き動かされたものだったのかを多角的に考察。
インタビュー記事など膨大な資料を3年半かけて読み込み、大女優の実像に肉薄した。
石井さんは「原さんが女優になろうと考えたのは苦しい家計の助けになれば-という消極的な理由によるもので、本当は他の道に進みたかった」と指摘。
また映画での華やかな活躍は、私生活で多くの犠牲を払わねばならないものであったと負の側面を紹介する。
『日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち』
2019年 KADOKAWA
日本には幾重にもガラスの天井があった。そして、今もまだ残る天井がある。
女たちは、偏見と迷信を破り続けた。
超えたもの、そして未だ超えられぬものとは!?「女」を追いかけ続ける著者が描く、闘いの時代史。
高島屋取締役・石原一子、囲碁棋士・杉内壽子、労働省婦人局長・赤松良子、登山家・田部井淳子、漫画家・池田理代子、アナウンサー・山根基世、落語家・三遊亭歌る多の10名の女性の天井を追いかける姿を描いた。
『満映とわたし』岸富美子共著
2015年 文藝春秋
今年95歳になる岸富美子。女性映画編集者の草分けであり、「満映」(満州映画協会)の最後の生きた証言者でもある。
15歳で第一映画社に編集助手として入社し溝口健二監督の名作「浪華悲歌」「祇園の姉妹」の製作に参加、その後、原節子主演の日独合作映画「新しき土」の編集助手も務める。映像カメラマンだった兄に従い渡満する。
歴史に翻弄された苦難の生涯と国策映画会社「満映」の実態を、ノンフィクション作家・石井妙子の聞き書きと解説によって描きだす、戦後70年の貴重な証言本。
『囲碁の力』
2002年 洋泉社 新書
専門棋士ではなく観戦記者という立場から、「打つ」「知る」「考える」というキーワードで、囲碁のルール説明から、古今東西の囲碁の歴史やエピソード、囲碁界が直面する問題までたっぷりと紹介した囲碁入門書。
石井妙子氏の囲碁とのかかわり
大学時代囲碁部に所属。1997年より毎日新聞社主催本因坊戦の観戦記を担当。
囲碁観戦記者であった。
2002年10月よりNHK教育テレビ囲碁講座の司会を担当。
2016年著書「囲碁を巡る人々」の紹介では、囲碁について「仙人もたしなみ、時に憂さを忘れさせ、言葉なしで人と通じ合い、斧の柄が腐るのにも気づかぬほど人を夢中にさせる…と言われる、囲碁とはいったい何か―。」と言っている。
また、沢瀉夏生の忘備録には、「石井妙子さんのこと」というテーマで、「囲碁ライターという職業があるのかどうかよく分からないが、石井妙子さんと内藤由起子さんは囲碁ファンなら多分よく知っているだろうと思われる。」
「私の印象では、石井さんは囲碁を巡る人間たちの生き様に興味をもっているように見えるし、内藤さんはどちらかというと囲碁の技術に興味をもっているように見える。それは、多分、現在、二人が関わっている出版の在り方からそう見えるのかも知れない。」
石井さの『囲碁の力』(洋泉社/2002.10.21)は囲碁の歴史を語る時にはとても参考になる名著だと思う。日本の囲碁の歴史の光と影が分かりやすく書かれている。
おそらく、石井さんの本業は、ノンフィクションライターだと思う。
と評しています。
また、石井妙子氏自身の文章でも、「昭和13年に行われた最後の家元、本因坊秀哉と若き実力者・木谷実による一戦で、本因坊秀哉は死力を尽くして戦ったものの、若く体力もある木谷実に敗れ、碁界からも、この世からも旅立っていく。
それは紛れようもない「前近代」と「近代」の相克であり、その果ての「前近代」の終焉であった。この対戦を観戦した川端康成は滅びゆくものへの限りない哀悼の意を込めて『名人』を書き残している」と囲碁の歴史の例をあげ、以下のように時代感を語っています。
「2017年現在、棋士たちの前に立ちはだかるのは、後輩の若手棋士ではなくAIとなった。「近代」が「超近代」によって凌駕されようとしているのだろうか。私たちは今、近代と言われた時代の終焉に、立ち会う覚悟を求められているのかもしれない。」
囲碁棋士・杉内壽子氏を題材に
各界で「第一号」となった女性たちは、どんな思いで「天井」を打ち破り、そして後進へとつながる道を作ってきたのか。
石井妙子さんが、偏見と迷信を破り続けた女性たちへのインタビューをもとに紡いだ『日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち』の第2章「破ったのは、女性への迷信」に登場するのが囲碁棋士・杉内壽子さん。
杉内さんは女性の囲碁棋士として初の高段者(五段以上)となり、のちには棋士会会長も務めた。92歳となった現在も現役の棋士として活躍している。
『日本の天井』から、杉内さんの幼少期の思い出を紹介する。
「父が私に囲碁を教えたのは、女性の可能性を追求してみたい、と考えたからだそうなんです。プロの世界では四段以下を低段者、五段以上を高段者としており、四段以下は少し低く見られる。
当時も女性のプロはいましたが、全員が低段者で高段者はひとりもいなかった。
父の周りにいた囲碁仲間の方たちは、よく集まっては、『女はプロになっても、せいぜいが四段どまりで、五段以上には絶対になれない』と断言するように語っていたそうです。
でも、父はそういった会話を耳にしながら、疑問に思ったそうなんです。『本当にそうなんだろうか』と。それは少しおかしいんじゃないか。女だから五段以上にはなれない、という理屈はないのではないか。囲碁に体力は関係ない。一種の頭脳競技なんだから、男女差などないはずだ、と。そこで父は、『よし、ここは、ひとつ娘にやらせて試してみよう』と思い立ったんだそうです。
思い立つと栄三は、さっそく自分で編み出した英才教育を壽子に施した。それは生活全般にわたる、非常に厳しいものであった。
ある冬の寒い日のことでした。ご先方が、そんな私のことを可哀そうだと思って下さったんでしょうね。手順を聞きに来た私を送って下さって、帰り路で手袋を買って下さった。
それを、私の手にはめながら、『壽子ちゃん、しっかり勉強して強くなりなさいね』っておっしゃった……。今も心に残っています」
こんな、書き出しで、やがて、杉内壽子氏女流棋士として、慣習という天井を破っていく姿を描いています。
まとめ
今回は「ノンフィクション作家石井妙子氏の著書紹介や囲碁とのかかわり」というテーマでお送りしました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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