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加山雄三が最近、終活に入る。船へのこだわり、生き様

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加山雄三の最近の様子です。加山さんは、2019年11月に軽い脳梗塞で緊急入院しました。幸い10日ほどで退院しています。その後、自宅で「退院祝い」もしています。そして、2019年12月には、ステージにも復帰できています。そして今年になって、住み慣れた家を引っ越し。終活に入ったようです。

加山雄三

加山雄三

 

目次

加山雄三が最近、終活に入る

加山雄三の最近様子です。加山さんは、2019年11月に軽い脳梗塞で緊急入院しました。幸い10日ほどで退院しています。その後、自宅で「退院祝い」もしています。

司葉子さんと以前から付き合いのある和食料亭の店員の話では、
「ご近所にお住まいで、昔からの常連さんになっていただいている司葉子さんから料理の注文があって、加山さんのご自宅にお届けしましたよ」

とのことです。

退院後、間もない12月にはステージに復帰しています。

ところが、最近、東京・世田谷の成城にある、住み慣れた街と家を出て、引っ越しをしたようです。

高級住宅街に建てた加山さんの豪邸から引っ越ししたとのこと。

近所の住民の話では、
「4月上旬に引っ越し業者が来て、荷物を運び出していました。最近お見かけしたのは昨年11月ごろ。退院されたばかりだったようで、お手伝いさんの女性に支えられながら、やっと歩いている雰囲気でした」

この住民の話からすると後遺症が、まだ残っている様子でそこで、終活に踏み切ったのでしょうか。

加山雄三

加山雄三

その後、加山さんの邸宅の様子はといいますと。

近所の住民の話では、

「50年近く住んでいた自宅を出ていったようです。表札もはずされて、雨戸は閉まりっぱなし。普段から近所付き合いはなかったですが、引っ越しされるという挨拶も特になくて……」とのことです。

本来ならば今年2020年の加山さんの予定は4月11日の83歳になった誕生日にコンサートを開き、デビュー60周年の始まりでした。

しかし、コロナウイルスの影響で中止になってしまいました。

加山さんの個人事務所の説明では、加山さんは、自立型ケアハウスに引っ越したとのこと。

「昨年の暮れに“自立型ケアハウス”に引っ越したんです。これは脳梗塞になる前から決めていたことです」「ケアハウスは奥さんも一緒ですよ」

という事務所の説明が返ってきました

自立型ケアハウスとは別名「サ高住」といい、食事や掃除や洗濯などの生活支援サービス付きの高齢者向け住宅のことです。

これは、加山さんが終活に入った確かな情報でした。

ただ、コロナがおさまればコンサートは再開する気だとも。

今後も、元気な加山さんの姿が見れそうです。

加山雄三

加山雄三

 

加山雄三の船へのこだわり

 

かつての加山さんは、仕事がなければ自宅にいるよりも自身が所有する『光進丸』で過ごしていました。

加山雄三

加山雄三

 

船を泊めていた西伊豆の住民からは“船長”と呼ばれていましたが、船で沖へ出るのではなく、停泊させた『光進丸』の中で普段の生活をしていたようです。

静岡県西伊豆の入り江に、加山自ら設計した30メートルを超える大きな船です。

船が停泊している場所は岸にピタリとつけてとめておくのではなく、港の岸から70メートルほど離れた海上で、反対側の岸からも30メートルは離れています。

加山さんを見かけた地元の人の話では、
「この街じゃ、みんな加山さんのことを船長って呼んでますよ。1度来たらしばらくは乗っているから、あながち暮らしているっていうのもウソではないかも」とのこと。

ところが、加山さんの船『光進丸』が2018年4月、火災で全焼してしまいます。

加山さんはかつて雑誌の取材で

「俺は歌手になりたかったわけではない。船の設計士か船乗りになるための資金づくりのために歌手になったんだ」

 

 

加山雄三の生き様

 

加山雄三さんは、かつて「人間は幸せのために生きているんだ」と語っていますが、加山さんの生きざまはまさにその通りでした。

 

加山雄三

加山雄三

 

慶應高時代にはボクシングやバンドなどを始め、また冬の季節になると海から山に興味関心が湧き移りスキーをやります。

スキーは後の慶應大学時代の1959年には、スキーで念願の国体蔵王大会に出場しました。

 

慶應義塾大学法学部政治学科卒業後の1960年春に東宝へ入社。

 

同年『男対男』で映画デビュー。

当時、同じく有楽町にあった渡辺プロにも一時期在籍。

1961年、「夜の太陽」で歌手デビュー。

NHK『NHK紅白歌合戦』出場17回。


ー     加山雄三/夜の太陽 (1961年)

 

後のフォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在であり、また日本ではじめて多重録音を手がけた歌手でした。

 

ソングライターとしてのペンネームは、加山が尊敬している團伊玖磨山田耕筰を足して2で割った弾厚作という名前をもっています。

 

日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のテーマソングである「サライ」・「勇気のカタチ ?私を変えてくれたあなたへ?」は谷村新司が作詞し、加山が作曲しました。


ー   加山雄三&谷村新司/サライ (1992年)


ー  勇気のカタチ~私を変えてくれたあなたへ~

 

 

1965年12月に映画『エレキの若大将』主題歌として発売された「君といつまでも」は350万枚の大ヒットになりました


ー   加山雄三 君といつまでも エレキの若大将

 

 

趣味を超えたライフワークとして自然エネルギー船(エコシップ)の設計もおこなっています。

まとめ

今回は「加山雄三が最近、終活に入る。船へのこだわり、生き様」というテーマでお送りしました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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