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教育

ゆとり教育のデメリットとは?本当に子供の生きる力を高める教育について考える

投稿日:2019年12月10日 更新日:

目次

ゆとり教育の導入目的は生きる力の育みにあった!

一昔前に導入された「ゆとり教育」は、実は教育にゆとりを与え、かつ子供たちに「生きる力」をつけさせることが、大きな目標の柱でした

このことは世間一般にはあまり知られていませんでした。

2002年より導入された「ゆとり教育」カリキュラムは、当時、1980年代半ばから大企業を中心に徐々に週休二日制が導入され、一般企業でも定着されて来たころが2000年前後で、学校においても週休二日制導入はもはや時代の要請であった。また、1990年代は校内暴力などで学校があれ、校舎の窓ガラスが割られたり、それが当時ヒットした「歌の歌詞」にまで現れたくらいで、それまでの教育を「詰め込み型教育」として批判されたこともあって、当時の雰囲気としては割と大多数のひとは「ゆとり教育」を単にこれからは、がつがつ勉強しなくてもいい、くらいの認識しか持たれていませんでした。

 

子供たちも同様です。「生きる力」をいっぱいつけるように頑張ろうなんて、生徒はいませんでした。

 

そして、塾関係者は、異口同音に間違いなく学力は低下すると確信し、この国の将来を憂いで心配する塾経営者は結構私の周りでも多かったのですが、あまり、社会的に発言する様な塾経営者はなく、「自分たちがその学力低下をどう補おうか!」などという話をしていました。

 

これから、徐々に学力低下は間違いなく起きることは確かで、まあ自然現象に近いほど確実に確信していました。

そののち、実際学力が低下したとき、国もあわて、世間は手のひらを返したように、かなり「ゆとり教育」を批判しましたが、ということは、学力は低下しないと思っていたのでしょうか。おかしな話で、日本人全体が思考力低下を起こし、大人自身も「生きる力」が平和なれで失われたかもしれません。

大豆をまけば、大豆が収穫できます。大豆を撒いて、小麦はできません。これは、原因と結果の当然の帰結です。

 

そして、ゆとりを確保するのと同時に「生きる力」を育むことでした。そこで、主要教科の時間数を全体的にすでに段階的に減らしてきて、さらに「ゆとり教育」で減らし、多様性のある授業内容を展開していきました。これは各学校、地域の判断で独自性のあるものだったので、ある地域では、多様性の授業により「生きる力」の育みに成功したところもあるかもしれません

 

ですが、全体としては失敗だったのではないでしょうか。その理由はまた後程述べます。

国は一貫して「生きる力」を教育の目標に!

時をさかのぼると、1996年に出された文部省(現文科省)の中央教育審議会では『いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力など自己教育力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を、「生きる力」と称することとし、知、徳、体、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要である』とあります。

以降ずっと国は、「生きる力」を育むことを教育スローガンとしている。そして、最新の指導要領では、さらに「生きる力」を前面に押し出しています。

 

「ゆとり教育と生きる力の育み」は失敗だったのか?

一般に呼ばれている「ゆとり教育」は、失敗だったのか

 

実際、わずか、数年後の2004年12月に公表された経済協力開発機構(OECD)の調査PISA(国際的国家間の学力調査)で日本の子供の学力順位が大きくさがり、ゆとり教育が大きく転換されました。

 

ただ、国をはじめ、社会的にゆとり教育の総括はなされていないのではないでしょうか。あのゆとり教育では、多くの学者も携わっています。学者である以上、自身の学問的な論拠に基づく主張にたいしては、結果考察などの総括をしなければならないでしょう。

 

いわば、やりっぱなし状態での方向転換になってしまいました。

 

学力は確かに下がった。だがこれは「自明の理」で必然的結果でもあります。

 

少なくとも学者や教育の専門家は、学力低下するのは分かっていたでいしょう。

一方の「生きる力」の育みの結果如何では、「ゆとり教育」あれはあれで、一定の結果がでたということになるが、いまだ総括されていない。

「ゆとり教育と生きる力の育み」の私の意見

まず、大多数の塾経営者がそうであったように、私も、ゆとり教育は、反対でした。

なぜかというと、この日本という国は、エネルギー資源がとぼしく、観光でも、それほど食っていけないでしょう。

 

日本の繁栄はまさに、かつてOECDの学力調査で数学力、世界一位を取り続けた「技術力」でした。

金を稼げなければ貧しくなる。日本においては、「技術力」こそが豊かさの根源であったし、これからも変わらないでしょう。

 

だから、「ゆとり教育」導入は、日本人の大多数が、今手にした日本の豊かさを手放し、貧しい暮らしになることに同意したのであれば、国の政策として「ゆとり教育」もあるかと思います。

今の日本国民で、この豊かさを奪われることに賛成する国民はまずいないでしょう。なぜかというと、人間というのはそういうものだからです。

 

こんなところが、「ゆとり教育」導入時の私個人の意見で、それは、置いといて、実際、結果はどうであったでしょうか?

成功であったか、失敗であったか、はっきり言うと失敗であったと感じます

つまり「生きる力」の育みは、効果がなかったであろうと思います。

その理由は、当時の学校の教師の意識と資質である。私の、周りでも学校の教師の間で、かなりの戸惑いがありました。

 

なにせ、いきなり「生きる力」を教えなさいと言われても、教師だって、新たに人間力をアップする学習も必要であろうし、意識、資質がしっかり伴ってこそ、人間の教育は結果を生むものです。

例えば、私の近所の小学校では頻繁に「川探検」をやっていました。近くに手ごろな危険のない川があるので格好でした。そのこで、子供たちに、私が、川探検で教わったことを、何人もの子供たちに聞いても何も答えられません。

例えば、この「川探検」を例に挙げても、自然を教育のフィールドにするのは、悪くありません。自然にいてこそ真の生きる力「サバイバル」を教えることが可能です。何が危険で、どんなことを想定して危険予知するか。教えることはたくさんあります。しかし、ただ行っただけでは、意味もない。従来どおり、計算ドリルをやらしておいたほうがよほど「生きる力」になるでしょう。

 

円周率3、14を3にしてまで確保した時間がただ無意味に使われた気がする

つまり、結果として「生きる力のない教師に、生きる力を教えられなかった。」というのが私の意見です。この言いようは、現場の教師には少し酷です。もちろん、しっかり十分な教師の準備期間があれば、教師が教師自分を磨き、子供たちに「生きる力」をしっかり伝えられていたであろうことも最後に言い添えておきたいと思います。

 

 

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  1. […] その結果として、国が進める子供の生きる力の養成にも限界が表出してきているのではないでしょうか。 […]

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