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文章読解力は「生きる力」の重要な要素
冒頭より結論をいいますと、私は、文章読解力は、「生きる力」の重要な要素だと考えます。
少なくとも、今の高度に発達した文明社会のなかで、生き抜くためには、重要な要素だと思います。例外的に大自然の中で自給自足的な生活を送るならまだしも、通常の経済活動の中でに身を置く以上、文章読解力は必要になってきます。
そして、文章読解力は、漢字力、文章表現力にほぼ相関関係にあります。つまり、文章読解力のある人は、一通りの漢字力も備わっているし、文章も書けます。
まあ、より上手な文書を書くとなると、良い文章を徹底して読む必要がありますが、通常程度の文章は、読解力のある人は比例して書けます。
つまり、文章読解力は国語力と言ってもいいわけです。今回は、この文章読解力をテーマにして「生きる力」とは何かを考えようと思います。
ゆとり教育では、文章読解力は軽視されていた。
かつての、「ゆとり教育」では、生きる力を育むことが目標であったにも関わらず、文章読解力(国語力)は軽視されていたのでは無いでしょうか。
「ゆとり教育」という名のもとに、主要教科の時間が削減され、国語にしても、かつて、私たちのころより、7割以上も授業時間を1989年頃より段階的にへらし、さらに、2002年のゆとり教育へ向かいました。
国が考える「生きる力」とは、いったい何でしょうか?
企業の作業マニュアルに漢字が消えていく!
2000年当時、つまり「生きる力を育むゆとり教育」の2年前すでに、日本の子供の国語力はかなり低下していました。
参考までに日経新聞(2000年10月23日)の特集記事「教育を問う、学びを忘れ日本が沈む」の記事の一部分を抜粋します。
『漢字が消えた、全国で13万人ものアルバイトを雇用する日本マクドナルド。接客に当たる高校生やフリーターに言葉遣いや注文の受け方を教えるマニュアル(手引書)が昨年夏、大きく姿を変えた。「お客様に挨拶(あいさつ)をする」。
旧マニュアルでは、文章一行で片づけられていたくだりが、女性店員のイラスト付きで「(朝なら)おはようございます。(昼なら)こんにちは」と記されるようになった。漢字が少なく、絵で直感的に理解させるのが新マニュアルの特徴だ。
「最近の若い世代の読解力は信じられないくらい落ちている」と、同社の藤田田社長は語る。高校生の大半が本を読まなくなっている中、日本では文字による知識の伝承すら危うくなり始めている。』読売新聞記事より。
「ゆとり教育」は、生きる力を奪う政策だったのでは?
上記の記事のほか、トヨタ自動車ほか、企業では、マニュアルから漢字を消して新入社員との情報の疎通を計ったことが当時の日経新聞には掲載されています。
この様な最中、国語授業時間減の「ゆとり教育」が断行されました。実際は、「生きるちから」をつけさせたいのならこの逆をやる必要がありしかも、もはや危機的状況にあったと思います。
余談ですが、当時「教育を問う」で警鐘をならしていたこの日経新聞でさえ、2019年の記事の文章は当時より、かなり見劣りを感じ最近は私も新聞がつまらなくなりました。
新聞記者をとってみても当時第一線で活躍する記者の文章力、説得力はかなり高かったと思います。
文章読解力が「生きる力」と考えるその理由は!
文章読解力は、学力に比例します。
私自身が20年以上、学習塾をやってきて感じたことです。事実そうでした。
もう少し、具体的に話します。私の塾では、小学校6年間は、通常週二回の通塾で、文章読解と算数の計算の学習をします。算数は計算だけでなく、文章問題も、文章読解力養成と捉えています。そして、小1から6年間週2回の読解力の鍛錬を積んだこと、中学1年生で塾に来た生徒が、塾の教室で席を並べることになります。どうなると思いますか?
文章読解力とは、文章を正確に読み取る力と、それに加えて、速く読める能力を言います。
実際、文章読解力を身に着けた生徒は、通常の生徒の5倍以上のスピードで教科書、テスト問題などを読んでしまいます。
先ほどの、小学校6年間で読解力を身に着けたこ生徒と、特に何もせずに塾に中1からやってきた子では、例えば、中1からの子がプリント1枚を解き上げたときに、すでに、読解力のある子は5枚解き終えています。
つまり、同じ時間勉強すればする程、学力に差が広がります。そして、たかが読解力の要素だけの問題であるはずなのに、読解力の訓練をしてこなかった子供は、親からは成績が悪いと責められ、自分でも頭が悪いと思い込みます。
この、文章読解力を、レースに例えると分かりやすいと思います。
先ほどの6年間、週2回読解力を養成してきた生徒は、排気量3000ccのスポーツカーに乗っていて、方や中1スタートの子は、排気量50ccの原付バイクにのって中1のスタートラインにつきます。
合図とともに、スポーツカーは軽く一ふかしでアクセルを踏みます。原付バイクは必至でエンジンの回転数を上げます。でもみるみる、ぶっちぎられ引き離されます。そして、そのうち原付バイクのエンジンは焼け付いてしまいます。
つまり勝負になりません。これは、主要5教科全てに波及します。
今のたとえ話で言えば、エンジンのキャパが違っているので、もはや、頑張るとか、集中しろとか、根性とか、親が精神論をいって励ましてもどうにもなりません。
この様な、形で、何も頭が悪くないのに、生涯劣等感を背負って生きていく子供は大勢います。
社会に出てからも読解力の差が「生きる力」の差として表れるとはなぜ?
しょせんたかが勉強です。たとえ成績が悪くても、人間としてしっかり成長していけばなんの問題もありません。
もちろん、私は、教育者のはしくれとして、先ほどの原付バイクの生徒に、しっかりフォローします。「人として何ら劣るわけでもない」とね。実際その通りだと私は思います。
ですが、「生きる力」的観点では、やはり、不利です。例えば、若者が社会に出て、その後資格試験をとるとき、文章読解力の差は歴然と現れます。私は、もう幾度となく、夢をもってその実現のため資格試験に挑戦したひとたちが「ああ、もっと学生の時勉強しておけば、良かった」と嘆く姿を見てきています。
すこし、例が極端ですが、例えば法律家(弁護士、検察官、裁判官)になろうとしたとき、
ロースクール制度ができる前までは、司法試験にパスしなければなれませんでしたが、
一次試験が択一方式で、時間との戦いで、通常の5~7倍程度の速読ができなければクリアできませんでした。まさに、例えば法律家になるにしても、読解力が条件でもあります。
また。何か商売を自営でやろうとして、銀行に融資を依頼するときも、これからやる事業についての利益見込み、集客手段、商品価値などを「目論見書」として作る必要があります。文章力がなければ、稚拙な内容となり、だれも開業資金を融資しようとは思わないでしょう。
文章読解力を身に着けることは、人間の尊厳につながる
歴史上のエピソードで、文章読解力がいかに「生きる力」につながるかを紹介します。
歴史的に見て、日本はアジアでだだ一国植民地支配をされず、欧米列強国からの侵略からのがれた事実があります。それに、関係した一つのエピソードがあります。
ペリーの来航後、日本は、開国し、ヨーロッパ人が江戸の町を歩く光景が見られるようになったときのある、ヨーロッパ人の手記にあったのが、江戸で見た異様な光景でした。
その光景とは、普通の江戸に住む庶民が、古本屋で書籍を立ち読みしている光景です。当時の日本人は、寺子屋という優れた教育システムがあり、経済的に豊かでなくても、例えば農民であれば、自宅でとれた農作物野菜などを謝礼にして、寺子屋で、「読み、書き、そろばん」を習うことができました。
そして、そのヨーロッパ人は、こう感じたそうです。「今まで、見てきたアジア人は、字など読める庶民は、なく、脅せば家畜のように恐怖でなんでもひざまずき言うことを聞いた。しかし、書を読め、教養を積んだ人間は簡単にはいかない。日本を侵略するのは、容易ではないかも知れないと。」
これは、人間の尊厳の問題で、人間は教養を積むことで、人としての尊厳がしっかり備わるということではないでしょうか。
実際現に、私の周囲でも、しっかりした教養を積んできた人間は、強いものには平伏して、弱いものに、威張ったりいじめたりする品格の低いことはしません。
佐久間象山が弟子の吉田松陰に言った言葉
最後に、佐久間象山が弟子の吉田松陰に語ったとされる言葉を紹介します。これは、今は亡くなりました作家司馬遼太郎の著作「世に住む日々」に出てきます。
司馬遼太郎は、歴史作品を極力史実に忠実に書き上げるため、当時の歴史上の登場人物の手紙なども丁寧に読み通し作品を作ります。信憑性は高いと思います。
あまり、知られていませんが、幕末の長州出身の吉田松陰は、佐久間象山に師事していたことが、ありました。そして、ある時象山が当時の武士が当たり前にたしなむ「詩文」を松陰が書かないことを松陰に問うたところ、松陰は、藩から与えられた兵学を極めるため、「詩文」は時間の無駄であること師の象山にいったところ、象山は、中国の三国志の蜀の軍師「諸葛亮孔明」の「出師の表」を例に挙げました。
三国時代において、主君の劉備亡き後、若き後継者の劉備の子、劉禅に書き表した文章です。
孔明の出師の表は、「これを読んで涙せずは忠臣にあらず」といわれる名文で「文章の力」が時に国の運命さえも救うほど強いことを松陰に諭しました。
「ペンは剣より強し」格言もあります。
読解力、文章力は、「生きる力」の重要な要素ではないでしょうか。
まとめ
今回は「生きる力と「文章読解力」の関係を考え、生きる力を備える子供教育を提案します」というテーマでお送りしました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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