阪神・淡路大震災の被災者らでつくるボランティア団体「神戸・市民交流会」の元事務局長で、追悼行事で竹灯籠を並べる活動を続けてきた山川泰宏氏が4月10日、肺腺がんのため兵庫県西宮市内の自宅で死去した。山川泰宏氏は、神戸・市民交流会の代表として、宮城県名取市の震災1年目の追悼行事にも参加。
目次
山川泰宏氏死去
山川泰宏氏が10日午後0時25分、肺腺がんのため兵庫県西宮市内の自宅で死去しました。享年82歳でした。
告別式は13日午後1時から、大阪府豊中市中桜塚4の10の27、日本福音ルーテル豊中教会で。喪主は長男雅司(まさし)氏。
山川泰宏氏は、神戸・三宮の東遊園地で毎年開かれる追悼行事「1・17のつどい」では、県内各地から竹を切り出し、灯籠で文字をかたどって鎮魂の思いを共有したり、神戸・市民交流会を引き継ぐ形で2016年に発足した「神戸・心絆」の会長も務めました。
– センスマ 464 SMiLE :神戸・心絆の山川 泰宏さん
山川泰宏氏の功績
阪神淡路大震災の犠牲者に竹灯籠を用いた追悼行事
山川泰宏氏は、市民ボランティア活動の神戸・心絆(旧神戸・市民交流会)は、阪神淡路大震災の犠牲者を悼む1.17のつどいで、竹灯籠を用いた追悼行事を東遊園地において、1999年1月17日からづっと寄与してこられました。
2010年8月、前会長の病を契機に事務局長として指導的な立場で開催に寄与し、日本各地被災地支援にも市民活動団体として、支援協力に尽力。
東日本大震災での犠牲者に追悼
東日本大震災で東北地方が地震後、犠牲者のため、2012年1月17日の追悼行事から、東遊園地の北側、雪地蔵の前で「3.11」の竹灯籠文字を並べ、25,000有余名の犠牲者の追悼と、被災地の人々の復旧復興を祈念する黙祷を捧げてきました。
東日本大震災の被災地にも兵庫から竹灯籠を運び、仮設住宅の住民らとの交流に尽力しました。
また、2012年3月11日、神戸・市民交流会の代表として、宮城県名取市閖上地区の閖上中学校にて、震災1年目の追悼行事に参加。
その後、主催:兵庫県社会福祉協議会ひょうごボランタリープラザ、協賛:神戸・心絆として、毎年3月と8月の年2回、閖上市民の暮らす愛島東部仮設住宅の追悼訪問を7年間継続。
2019年3月11日、仮設住宅で最後の追悼行事を開催し、5月26日(日)の閖上地区における「まちびらき」に、兵庫県社会福祉協議会ひょうごボランタリープラザと神戸・心絆は、開催のお手伝いと追悼行事に参加。
快晴の紺碧の青空の中、名取川を流れる河川敷に新しく作られた「かわまちてらす」閖上公民館や閖上小中学の新しい町並みのなか、持参された竹灯籠で日和山震災メモリアル公園の一角に、「ゆりあげ」の竹灯篭文字が灯す。
山川泰宏氏の闘病
山川泰宏氏のご自身のブログに、癌との闘病について、昨年から綴っておられます。
2019(令和元)年5月5日、10連休なかばの早朝、寝覚め悪さに突然痰が絡み、洗面所にて喀痰を吐き出したところ、思いもかけず潜血交じり。喀血に、一瞬気が引けるほどの衝撃を受けました。掛かり付け医は休診中、連休明けまでの毎日、喀血を我慢続きの日々でした。昨今、日本国民の二人に一人が罹るといわれる「がん」。これに罹ったのかと不安になりました。
齢81年の人生。70代に初期の胃がん、大腸がんの内視鏡治療の結果、何事もなく人生を送らせていただいていました。しかし、肉体の彼方此方に問題が生じ、加齢黄斑変性で左眼の視力障碍、帯状疱疹による顔面右側の神経障害が現在も継続しています。
4年前に妻をすい臓がんで見送り、後期高齢者の独身生活の日々を送りながら、ボランティア活動。宮城県名取市閖上地区の震災後8年目の復興住宅で開催した、「閖上まちびらき」(主催:兵庫県社会福祉協議会)に、神戸・心絆として参加 (協賛)。主治医から旅行の許可を受け、最後のボランティア活動の締めくくりと思いながら参加させていただきました。しかし、想像以上に体力の消耗が激しく、宿舎について食事、飲酒も寄せつけずに吐血も多くなり、寝込んでしまいました。思えば無茶苦茶な行動でした。
神戸から名取市まで往復28時間の観光バスの旅。吐血に悩みながらも何事もなく、神戸・心絆の会長としての役目を果たせたと信じています。
5月27日、宮城県名取市から帰宅後の翌日、気管支内視鏡検査の予約。ボランティアに参加した直後に検査入院、31日に退院しました。検査入院後も数週間、各種CT・MRI検査、そしてPET検査を受け、通院再診日の6月中旬、主治医より以下の告知を受けました。
病名:非小細胞肺がん 肺腺癌 ステージⅢB(原発)
リンパ節数ケ所転移、多臓器転移認めず年齢から考慮すれば、腫瘍とリンパ節の手術は体力的な問題で、以下の治療方法を決めました。
抗がん剤:TC療法 パクリタキセル・カルボプラチン併用抗がん剤
放射線照射:週5回照射 30回(30GR)2019年6月24日、抗がん剤併用投与6クール、放射線照射30回(60グレイ)にて入院治療が始まりました。5月5日に始まった吐血症状は、ようやく7月10日頃から止まり、治療効果が認められたようです。しかし、肺腺癌の影響は、今まで健常者として急ぎ足で歩行していたのが、息切れや坂道での休息行為などが起き始めています。
入院治療、44日間三食昼寝付きの治療入院でした。8月6日、無事生きて退院しましたが、放射線照射治療の副作用にて、退院後10日以上微熱続きの肺炎症状。ステロイド投薬でようやく肺炎症状も収まり、9月中旬の抗がん剤第二クールの治療に入ります。
44日間の治療期間、抗がん剤や放射線治療の副作用で起こりうる、脱毛、食欲不振、吐き気などもなく順調に治療できました。約2ヶ月間の禁酒生活は、65㎏が60㎏に減少、昔の背広が着用できる喜びに感謝しています。
人生100歳時代に入り、認知症で永らえる人生か、それとも癌でポックリ人生を終えるのか、夫々の人生があると思います。癌という病に懸かり、癌で命を失うことが決まり、一先ず、残された家族に迷惑をかけずに満足な人生を送れるのかと安堵しています。肺腺癌は50%の脳に転移するリスクがあると医学書で学びます。
断捨離、4年前に見送った妻、泰子の衣類関係を古着チャリテイに送り続けています。しかし、永年共に生活した妻の遺品整理は涙と、侘しさと、望郷の念に押しつぶされる日々でした。
放射線治療の副作用で生じた、肺炎症状も一先ず癒えてきたので、9月中旬に新しい抗がん剤投与の第二クールの治療が始まります。
以上、故山川泰宏氏のブログでした。
このブログ中には、病をおして、「最後のボランティア活動の締めくくり」としながら、ボランティア活動で、宮城県名取市閖上地区の震災後8年目の復興住宅で開催した、「閖上まちびらき」(主催:兵庫県社会福祉協議会)に、神戸・心絆として参加されています。
ブログで防災・減災の大切さを語る
山川泰宏氏のブログ中、東日本大震災の追悼で宮城県名取市に行かれた記録と亡くなられた方への追悼、防災・減災の大切さを語っておられます。
また、2012年3月11日、神戸・市民交流会の代表として、
宮城県名取市閖上地区の閖上中学校にて、震災1年目の追悼行事に参加したのが名取市
との付き合いの始まりでした。その後、主催:兵庫県社会福祉協議会ひょうごボランタリープラザ、協賛:神戸・心絆として、毎年3月と8月の年2回、閖上市民の暮らす愛島東部仮設住宅の追悼訪問が継続してまいりました。前自治会長遠藤氏から、仮設住宅が閉鎖されるまで支援協力をお願しますとの約束でしたが、7年間の長い支援が終わろうとしています。
2019年3月11日、仮設住宅で最後の追悼行事を開催し、5月26日(日)の閖上地区における「まちびらき」に、兵庫県社会福祉協議会ひょうごボランタリープラザと神戸・心絆は、開催のお手伝いと追悼行事に参加させて頂きました。まちびらきの喜びの日に参加できたことは、夢のような感慨深いものでした。この支援活動は、亡き妻の協力の賜物と胸熱くなりました。
快晴の紺碧の青空の中、名取川を流れる河川敷に新しく作られた「かわまちてらす」閖上公民館や閖上小中学の新しい町並み。太平洋の潮風は、昔からの爽やかな名取市閖上を祝ってくれているようした。持参した竹灯籠で日和山震災メモリアル公園の一角に、「ゆりあげ」の竹灯篭文字が灯され、名取市長山田司郎氏の参列も頂き、14:46の黙祷で犠牲者の追悼を行わせて頂きました。
集合写真の後ろにある白いモニュメントの高さは、閖上を襲った津波の最大高さ(8メートル)です。自然の猛威の恐ろしさを今一度かみしめて、防災・減災の大切さを一人でも多くの人が学んで、災害に対応した行動をして頂きたいと願います。
以上、山川泰宏氏のブログからでした。
まとめ
今回は、「山川泰宏氏が死去、竹灯籠の震災追悼行事尽力、名取市の追悼行事にも代表として。」というテーマでお送りしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。