歌手のウイリー沖山さんが死去しました。享年 87歳。2020年になって、誤嚥性肺炎のため入退院を繰り返していたが、同年6月28日11時18分、老衰のため、横浜市内の病院で死去しました。
目次
歌手のウイリー沖山死去
歌手のウイリー沖山さん(本名沖山宇礼雄)が先月28日、老衰のため亡くなりました。
2020年になって、誤嚥性肺炎のため入退院を繰り返していたが、同年6月28日11時18分、老衰のため、横浜市内の病院で死去しました。87歳でした。
沖山さんは米国人の父と日本人の母との間に生まれ、学生時代から“プロ”として活躍。
ヨーデルを独学でマスターし、「スイスの娘」でレコードデビューすると、「キング・オブ・ヨーデル」として知られるようになった。
85年頃からは「夜も一生けんめい」などの音楽番組や、「オレたちひょうきん族」「さんまのスーパーからくりTV」などのバラエティー番組などにもテレビ出演した。
ウイリー沖山経歴
ウイリー沖山さんの経歴を紹介します。
セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ在学中よりプロとして活躍。
カントリーボーイズ、ウエスタン・ランブラーズ、チャック・ワゴンボーイズを経て、自身のバンドである、ブルーレンジャーズ結成。
抜群の歌唱力と発音の良さを買われて、ビクターよりヨーデルの曲「スイスの娘」でレコードデビュー。
キャンプ、クラブ、ラジオ、テレビで活躍しポピュラーシンガーとして活躍する。
読売テレビ『全日本歌謡選手権』では10週勝ち抜き、更に、グランドチャンピオンとなる。
長野オリンピック時は、Willy・Oとして、五輪応援ソングをリリースする。
後年は、横浜にあったバンドホテルのシェルルーム支配人を務め、歌手としてもシェルルームのステージに立っていた。
ウイリー沖山もプロフィール
ウイリー沖山(本名:沖山 宇礼雄)は、1933年(昭和8年)2月25日 神奈川県横浜市に生まれる。
昭和・平成期の歌手。ヨーデル歌手、カントリー歌手として活動している。
低音での見事な声の張り、超高音ファルセットまでこなせる稀有な歌手である。
低音から高音までの音域の広さを生かし、ジャズ、カントリー、ポピュラー、シャンソン、ハワイアン、とレパートリーは多岐に渡る。
2014年8月に膠原病を患い、一時は体を動かすこともできず咀嚼機能障害の状態になったが、2018年6月には復活コンサートを開くなど、晩年まで元気な姿を見せていて、ディナーショーやライブを精力的に行っていた。
ウイリー沖山動画
ウイリー沖山さんの動画紹介。
ウイリー沖山さんは、ヨーデルを独学でマスターし、「スイスの娘」でレコードデビューすると、「キング・オブ・ヨーデル」と呼ばれた。
ヨーデルの代表曲動画、「スイスの娘」と「山の人気者」です。
ー Willy Okiyama – She Taught Me how to Yodel
ー 山の人気者 ウィリー沖山(Vo)
ウイリー沖山さんの圧倒的な歌唱力がわかる動画。
映画「慕情」より Love Is a Many Splendored Thing 慕情。
Willy Okiyama ウィリー沖山
ー 慕 情 ウィリー沖山 UPC‐0083
80歳のとき。横浜ワシントンホテルにての歌謡ショーです。晩年まで現役で聴く人を魅了してくれたウィリーさん。第4週土曜日に出演していました。
ーMy Funny Valentine(マイ ファニー バレンタイン/ウィリー沖山・鈴木卓
ウイリー沖山さんは、生前テレビにもよく出演していました。
比較的近年の2018年のテレビ出演動画です。
ー横浜人図鑑 第491回 ウイリー沖山さん(2018年5月21日(月)放送)
まとめ
今回は「ウイリー沖山死去、経歴やプロフィールなど。」というテーマでお送りしました。
最後までご覧いただきありがとうございました。