ゴールデン・カップスやピンククラウドなどのバンドで活躍したミュージシャンのルイズルイス加部さんが26日、多臓器不全で死去した。享年71歳。プロフィールや動画紹介。
目次
ルイズルイス加部死去
ゴールデン・カップスやピンククラウドなどのバンドで活躍したミュージシャンのルイズルイス加部さんが2020年9月26日、多臓器不全で死去しました。享年71歳。
1967年に横浜・本牧出身のグループサウンズ、ザ・ゴールデン・カップスのベーシストとしてプロデビュー。「長い髪の少女」「愛する君に」などのヒット曲を生んだ。
圧倒的なベースプレーはリードベースと呼ばれ、日本のロックミュージシャンに多大な影響を与えた。
近年は病気療養を続けながらも、ザ・ゴールデン・カップスのメンバーとして東京・赤坂BLITZでの50周年ライブやフジロックフェスティバルへ参加もしていました。
今年デビュー53年目を迎える日本最古参のロックバンドを支え、精力的に活動を行っていた。今月には都内でのコンサートが予定されていたが、新型コロナウイルスの影響で延期となっっていました。
ルイズルイス加部さんのプロフィール
ルイズルイス加部(るいずるいすかべ)は1948年11月5日 生まれ。
本名は加部 正義(かべ まさよし)。横浜市本牧出身。
日本のベーシスト、ギタリストである。
1966年、後のグループ・サウンズ(GS)ブームにおける重要なバンドの一つとなるザ・ゴールデン・カップスへ参加。
もともとギターをやっていたルイズルイス加部は、ザ・ゴールデン・カップスではベースだったが、1969年5月にエディ藩の脱退によりギターへ転向した。
カップスの4thシングル『愛する君に』は、オリコン13位のヒットとなっている。
1969年末日を以って加部はマモル・マヌー、林恵文と共にカップスを脱退する。
脱退後は1970年に林恵文、ジョン山崎らと「ルーム」というバンドを組むが瞬く間に解散。
その後は同年「フード・ブレイン」(陳信輝(ギター)、加部正義(ベース)、角田ヒロ(ドラム)、柳田ヒロ(オルガン))に参加、同年10月に象のジャケットで有名な「晩餐」をリリースする。
1971年に陳信輝(ギター)、ジョーイ・スミス(ドラム、ボーカル)と「スピード・グルー&シンキ(Speed, Glue & Shinki)」を結成。1973年頃の「スピード?」解散後はデイヴ平尾、柳ジョージ、アイ高野らと「(ニュー)ゴールデン・カップス」として京都のサパークラブ「ママリンゴ」などで昔の曲を演奏。
また、元ザ・ダイナマイツ村八分の山口冨士夫と「リゾート」なるバンドを組んでいたこともあった。
ミュージシャンから足を洗いアメリカに住んでいた加部をCharが訪ね、一緒にバンドを組むため熱心に説得。
1978年 Char、ジョニー吉長と共にバンド「ジョニー、ルイス&チャー」を結成。
後に「ピンククラウド」に名称を変更。武道館公演をできるほどの人気バンドとなったが、1994年に活動停止。
「ピンククラウド」活動停止後は、ソロ・アルバムのリリースや、1996年に再結成した、ロックの巨匠、アラン・メリル (世界的ヒット曲「アイ・ラヴ・ロックンロール」I Love Rock ‘n’ Rollの作者) 率いるグラムロック・バンド 「ウォッカ・コリンズ」への参加。
又、2010年と2017年のアラン・メリル来日コンサートでもベーシストを務め、「ぞくぞくかぞく」、「布谷文夫 & DEW」など、マイペースの活動を続けている。2003年にはザ・ゴールデン・カップスの再結成に参加する。
カップス時代から21世紀まで、枠にとらわれない、フリーなプレースタイルを身上としている。特にカップスでの「リードベース」とも言うべき斬新なプレーは、一部日本プレイヤーのフォロワーを生んだ。
ルイズルイス加部は、シュールなイラストレーションの特技があり、ジョニー、ルイス&チャー、加部自身のソロアルバムのジャケットなどで、その独特な世界を味わうことができる。
ルイズルイス加部さんの動画。
ー 加部正義LIVE in AGIT
ー pinkcloud drive me nuts ピンククラウド
ー ザ・ゴールデン・カップス50周年特別映像
ー The Golden Cups-I’m So Glad (1968)
まとめ
今回は「ルイズルイス加部死去、プロフィールや動画など!」というテーマでお送りいたした。
最後までお読みいただきありがとうございました。