ニック・ファジーカスことニコライ・ファジーカスの足、身長、嫁、子供や出身そしてバスケの戦績についてまとめてみました。ファジーカスは、日本国籍に帰化したバスケットボール選手で戸籍名はニコラス・ライアン・ファジーカスになっています。オリンピック日本代表の帰化選手枠1名を狙うひとりでもあります。ファジーカスは得点力で圧倒的強さをみせ豊富な戦績でも実証されています。
目次
ニック・ファージカスの足について
ニック・ファージカスのプレイを見ていますとやはり足のことが気になります。
2009年欧州での選手時代、足の痛みがあり我慢してプレーしていると、左足首に痛みがかなり起きるようになりました。
診断結果は「足首に骨のかけらがたくさんある」という結果でした。
そして、手術を受けるためにアメリカに帰国します。
ファージカスは、その後も足の痛みを我慢してプレーしました。
2010年のNBAデベロップメント・リーグドラフト全体1位でリノ・ビッグホーンズに指名されますが、NBAでドラフト指名され、生き残るために必死で、左足首の骨が折れていても痛み止めを飲んでプレーを続けます。まるで「足首に穴が開いたような状態だった」といいます。
そんな無理がたたって後遺症として残ってしまうことになります。
そして、この足のけがは、結局NBAを去らなければならなかった理由にもなっています。
ファージカスは日本が好きで自ら率先して帰化して日本人になりましたが、この足の件は、名誉の負傷で勲章みたいなものでしょう。
何か日本の大和魂に共通したような感じがあり共感が持てます。
その時の後遺症で、普通に歩くときも左足を引きずるようにして歩きます。おそらく骨の関節部分が変形してしまっているかもしれません。
その後、日本の選手時代、川崎ブレイブサンダースのときファジーカスは左足関節遊離体摘出の手術を受けています。手術は成功したとのことです。
ニック・ファージカスの身長、嫁、子供や出身その他プロフィール
気になる身長は210cmです。八村塁選手が身長203cmなので、7cm大きいことになります。
体重は、105~111kg。八村塁選手が104kgなので年相応の感じです。
家族は、結婚相手の嫁さんは、学生時代に知りあいだったスタファニーさんと再開2016年に結婚しています。スタファニーさんもファージカスの日本に帰化したいという強い気持ちを真っ先に理解してくれたそうです。
子供は、息子がいて、2018年3月12日に日本で生まれています。現在2歳のかわいい盛りです。長男は「カイト」という日本風のミドルネームをつけています。
ファージカス選手の出身はアメリカ合衆国コロラド州アーバダで1985年6月17日生まれ
で現在、34歳です。
ポジションはセンターです。
ニック・ファジーカスとダンク
ファジーカスがNBAで活躍しようとした時代は、速く走る、高く跳ぶ、空中でパスを受けてダンクをする。というような選手の身体能力が評価された時代でした。
ファジーカスにとっては、あまり得意ではないことばかりが評価基準だったようです。
ところが今では、NBAでも、3点シュートが全盛になっています。
大型選手も積極的に3点シュート狙う時代で、今であれば3点シュートが得意なファジーカスの特長が生きる時代になっています。
ファージカス自身「ドラフトされるのが10年後だったら、もっとNBAで実力を発揮できたかもしれない」と語っています。
ニック・ファジーカスの戦績
ニック・ファジーカスの戦績を学生時代、外国時代、日本時代に分けてまとめます。
ニック・ファジーカスの学生時代の戦績
ネバダ大学リノ校に入学、同校を4年連続でNCAAトーナメントに導いています。
1年次には同トーナメントでベスト16に進出。2006年11月18日の試合で、それまでエドガー・ジョーンズが1979年までに記録した1,877得点を更新。大学新記録を作った。
さらに、自己記録を更新して4年間プレーしてネバダ大リノ校史上最多の2464得点をあげます。
八村塁選手に決して見劣りしない実績をアメリカの学生時代に残しています。
ニック・ファジーカスの外国でのプロ時代の戦績
ウェスタン・アスレティック・カンファレンスのプレイヤー・オブ・ザ・イヤー
に2005年から2007年まで3年連続で選ばれています。
2007年のNBAドラフト2巡でダラス・マーベリックスに指名されます。
NBAは、ダラス・マーベリックス他にはロサンゼルス・クリッパーズでプレーしています。
ダンクが苦手なファージカスは当時のNBAでは評価されず、NBA生活は1シーズンで終わります。
その後欧州に新天地を求めます。
2008年10月28日、ベルギーのベースオーステンデと契約を結びます。
2009年1月、リーグ・ナショナル・バスケットボール(フランスリーグ)のASVELリヨンビラーバンと契約。
再びアメリカに戻り、2010年のNBAデベロップメント・リーグドラフト全体1位でリノ・ビッグホーンズに指名されます。
その後、足首を負傷したことから解雇されたが、2011年に再びチームに加わります。
2011年12月に怪我のため、チームからウェーバーされてしまいます。
その後、東南アジアでプレー。フィリピン、アセアンリーグを経て日本に来ることになります。
ニック・ファジーカスの日本でのプロ時代の戦績
2012年に来日し、東芝ブレイブサンダース(川崎ブレイブサンダース)に入団。リーグベスト5と得点王を受賞した。
2013年のNBLオールスターに選出されます。
2016年、2017年のシーズンの得点王、MVPも獲得しています。
川崎ブレイブサンダースでは、前年のJBL8位(最下位)からチームを準優勝に引き上げる活躍を見せ、彼個人も来日直後の2012-13シーズンから、3季連続でトップリーグの得点王に輝きました。
2013年のNBLオールスターに選出されます。
その後2016年、2017年のシーズンの得点王、MVPも獲得しています。
日本での活躍は、来日した直後から日本を気に入っていて「すごく住みやすくて、自分の第二の故郷という感じです。」と語っています。
2018年4月26日に日本国籍を取得し、2018年6月、日本代表候補に選出。W杯予選突破に貢献しました。
2019年9月、ワールドカップ中国大会では日本代表として母国アメリカ戦を含む全5試合に出場ています。
ニック・ファジーカスのバスケットプレイヤーとしての特徴
バスケ選手にはシュートを放つ角度、距離に「得意」と「苦手」があります。
ファジーカスは左右両手が自在で、苦手な角度もない。ゴールから少し離れた位置でも、相手が上を封じていても、打開の術を持っているテクニックのある選手です。
「インサイドの高さ」「得点」「リバウンド」という日本代表が欠く要素を持った希少な存在です。
片手でふわっと放つフローター、ゴールから遠ざかるように飛びながら沈めるフェイドアウェイと、フィニッシュのバリエーションがとにかく豊富で、しかも正確です。
3ポイントシュートの成功率も昨季、今季といずれもB1最高を記録中。相手のマークが厳しい中でも安定して数字を残している彼は、「止めようとしても止められない」選手です。
迫力あるダンクや派手なプレーはできませんが、どんな状況でも淡々とシュートを放ち続ける。ボールの軌道は恐ろしいほど正確。どんな角度からでも決まります。
まさに、得点力で圧倒できる選手です。
まとめ
今回は、「ニック・ファジーカスの足、身長、嫁、子供や出身そして戦績についてまとめ」というテーマでお送りしました。
ファジーカスが日本に帰化を決めた時のこんなエピソードがあります。
「帰化しませんか?という話があったわけではありません。あくまで自分が帰化したい
と考え、クラブや家族に相談したうえで決断したことです。理由はシンプルに日本
が大好きだから。」とファジーカス自らが帰化をいいだした親日派です。
オリンピックでの帰化枠はわずか一人、頑張ってもらいたいものです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。