羽根田卓也選手は、2016年リオデジャネイロオリンピックのカヌーで銅メダルを獲得、羽根田卓也選手の種目は、スラロームの男子カナディアンシングルでした。昨年のカヌーの東京五輪日本代表最終選考会を兼ねたNHK杯国際スラローム大会の羽根田卓也結果について。今年のカヌー・スラロームの国際大会、オーストラリア・オープンの結果について。2016年リオデジャネイロオリンピックでの活躍の様子羽根田卓也の出身地や家族出身中学、高校、年齢、スポンサー「ミキハウス」になった経緯、マツコつけたあだ名「ハネタク」、ももクロとの関係について紹介します。
目次
東京オリンピック日本代表について
2019年10月29日、カヌーの東京五輪日本代表最終選考会を兼ねたNHK杯国際スラローム大会が、東京五輪会場となる東京都江戸川区のカヌー・スラロームセンターで行われました。
男子カナディアンシングルは前回リオデジャネイロ五輪銅メダルの羽根田卓也選手が3位となり、4大会連続の五輪代表にきまりました。
五輪代表はこの大会を含む選考対象レースで獲得したポイントで争われ、羽根田選手は決勝に出場して五輪代表が決定しました。
今年に入ってからの試合では、
2020年年2月21日 カヌー・スラロームの国際大会、オーストラリア・オープ
ンがおこなわれました。
シドニー郊外のペンリスで開幕して各種目予選が行われ、東京五輪代表が出場した日本勢は、男子カナディアンシングルでリオデジャネイロ五輪銅メダルの羽根田卓也(ミキハウス)が1回目18位で準決勝に進んだ。
第2日は22日、シドニー郊外のペンリスで行われ、東京五輪代表が出場した日本勢は男子カナディアンシングルでリオデジャネイロ五輪銅メダルの羽根田卓也(ミキハウス)が準決勝で18位に終わり、上位10人による決勝進出を逃した。
羽根田卓也選手の五輪カヌー種目詳細
オリンピックのカヌー競技の種目は2種類に分けられます。
スプリントが流れの無い直線コースで一斉にスタートし着順を競います。
スラロームは、激流を下りながら、つるされたゲートを順位に通過してタイムを競います。
また、使う船も、カヤックとカナディアンがあります。
カヤックは、足を伸ばし膝を少し曲げる長座ですわり両端に水かきのついたパドルを使います。カナディアンは、正座して乗り片端だけに水かきのついたパドルを使います。
羽根田卓也選手は、種目はスラロームで、カナディアンシングル(一人)です。
羽根田卓也選手の出身地や父親、マツコつけたあだ名ももクロについて
羽根田卓也選手についてプロフィールを紹介します。
出身地は、愛知県豊田市。 中学 は、朝日丘中学校、高校は、名鉄学園杜若高等学校(とじゃく高校)、 大学がスロバキアのコメニウス体育大学です。
父親がカヌーの選手だった影響で9歳の時からカヌーを始め、高校卒業後は
スロバキアに留学。
1987年7月17日生まれ、年齢は33歳です。身長175 cm 、体重70 kg です。
ももいろクローバーとの関係は、ももいろクローバーZの熱狂的なファンであるモノノフです。
スロバキアに留学していた最中もライブDVDを観たりラジオ番組(ももクロくらぶ)をネット経由で聴いていたそうです。
2016年6月29日放送のテレビ朝日系トークバラエティ番組『マツコ&有吉の怒り新党』で、リオオリンピックのメダル候補のイケメン選手として紹介されその番組中で、司会のマツコ・デラックスさんが「ハネタク」というあだ名で羽根田卓也選手を呼んだことがあります。
2016年リオデジャネイロオリンピックでの活躍の様子
016年リオデジャネイロオリンピックでは、日本人初の銅メダルを取りました。
オリンピック出場は、2008年の北京大会は予選14位、2012年のロンドン大会は、7位入賞でした。
2016年リオデジャネイロオリンピックの準決勝通過はトップと3,21点差の6位。表彰台は、すこし遠かったようでした。
そして、10人でメダルを競う、競う決勝へ。
おまけに、羽根田卓也選手は前日に風邪をひき微熱があり体調に不安も。
リオのコースは、複雑な、水の流れがたくさんある難所続きでした。このコースを、羽根田卓也選手はノーミスで乗り切り減点ゼロで終わらせます。
羽根田卓也選手のスポンサー
カヌーは遠征が多いため年間で500万円はかかります。勝っても賞金はそれほどありません。
羽根田卓也選手は、ロンドン大会の後、スポンサー資金を得るために、自ら競技実績付きの
履歴書を企業10社に送ります。
しかし、ほとんどが返信なし。
その中で唯1社「ミキハウス」が関心を持ってくれました。
現在のスポンサー企業は「ミキハウス」です
まとめ
今回は、「羽根田卓也カヌー種目、出身地や父親、マツコつけたあだ名、ももクロについて」というテーマでお送りしました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。