日本舞踊家の花柳寿応(壽應)さんが9月26日死去しました。享年89歳。日本舞踊の最大流派、花柳流の家元を務め、数多くの振り付けも手がけてきた日本舞踊家の二代目花柳壽應さんが26日、肺腺がんのため亡くなりました。
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日本舞踊家の花柳寿応死去
日本舞踊家の花柳寿応さんが9月26日死去しました。死因は肺腺がん、89歳でした。
花柳寿応さんは、日本舞踊家で日本芸術院会員、花柳流の四世家元を務めた。
2007年、花柳流三世家元の死去を受け、寛応を経て四世家元・寿輔を襲名。16年に孫の創右さんに家元を譲り、自らは二代目寿応を名乗って家元後見人を務めた。
古典のほか、創作舞踊や宝塚歌劇団への振り付けなどでも知られ、晩年まで花柳流の中心的存在として活動した。
平成28年には孫に家元を譲って二代目花柳壽應を襲名し活動を続けていましたが、花柳流の関係者によりますと近年は体調を崩して入退院を繰り返し26日、東京都内の病院で肺腺がんのため亡くなりました。
日本舞踊家花柳寿応のプロフィール
本名は花柳 寛(はなやぎ ひろし)1931年(昭和6年)3月22日生まれ。
日本舞踊家。2016年6月に宗家家元の座と「壽輔」の名跡を、花柳流お家騒動裁判の係争中にも関わらず、当時20歳の孫の六代目花柳芳次郎に譲り、自らは2代目花柳 壽應(はなやぎ じゅおう)を襲名した。
日本舞踊の最大流派、花柳流の家元を務め、数多くの振り付けも手がけてきた日本舞踊家の二代目。
花柳壽應さんは昭和6年、花柳流の家元の家に生まれ、6歳の時に伯父の二代目花柳壽輔に師事しました。
昭和42年に花柳芳次郎を襲名し、平成19年には花柳流家元として四代目花柳壽輔を襲名しました。
日本舞踊家として実績を残す一方、創作舞踊の振り付けでも活躍し、歌舞伎や商業演劇、それに前衛舞踊でも多くの作品で振り付けを手がけて、斬新で豊かな表現が海外からも高い評価を受けました。
さらに、流派を超えて舞踊を教える塾を開くなど後進の育成にも力を入れ、平成18年には旭日小綬章を受章。
日本舞踊家花柳寿応の動画。
ー 土蜘 花柳壽應
ー 花柳壽輔さん
まとめ
今回は「日本舞踊家の花柳寿応(壽應)死去、プロフィールや動画など!」というテーマでお送りいたしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。