挿絵画家の濱野彰親さん死去。戦後に勃興した「カストリ雑誌」に始まり、新聞、雑誌などで小説の挿絵を描いた。挿絵画家の濱野彰親さん死去、実績や作品紹介!
目次
濱野彰親さん死去
挿絵画家の濱野彰親さん(はまの・あきちか)が8月3日誤嚥(ごえん)性肺炎のため東京都の自宅で死去しました。享年94歳。
東京都出身。 戦後に勃興した「カストリ雑誌」に始まり、新聞、雑誌などで小説の挿絵を描いた。松本清張の「黒革の手帖」、山崎豊子の「大地の子」など、多数の大物作家の作品で挿絵を手掛けた。
1975年に講談社出版文化賞(さしえ賞)受賞。日本出版美術家連盟元会長。
濱野彰親の実績
1946年(昭和21年) 推理小説雑誌『トップ』にて挿絵画家デビュー。
以後、新聞小説や大衆文芸雑誌の挿絵を手がける。その作風は、「鋭い感受性と深い観察眼から生れたモノクロームの世界は、そこに生きる人間の本性を暴き出し、小説の世界観を鮮やかに印象付けている」と評価を受ける。
1950年(昭和25年) 日本出版美術家連盟(1948(昭和23年)創設)に最年少(24歳)で参加。
1954年(昭和29年) 若手挿絵画家たちと「挿美会」を結成し、翌年には『さしゑ』を創刊するなど挿絵の発展に尽力。
1961年(昭和36年) 濱野政雄画集『B5の絵』を刊行。
1964年(昭和39年) シェル美術賞展佳作賞受賞。
1968年(昭和43年)「彰親(あきちか)」に改名。
松本清張、山崎豊子、火野葦平、川上宗薫、菊村到、近藤啓太郎、黒岩重吾、三好徹、森村誠一、深田祐介、山村美紗、ねじめ正一、逢坂剛、津本陽、和久峻三、田辺聖子など、数多くの著名小説家の作品の挿絵を手がけるようになり、週刊誌や新聞などに多数連載。
1974年(昭和49年) 第二回『噂』さし絵賞、日本作家クラブ絵画賞受賞。
1975年(昭和50年) 第六回講談社出版文化賞(さしえ賞)受賞。
2001年(平成13年)2006(平成18年)、2008(平成20年)?2017(平成29年)3月まで日本出版美術家連盟会長に就任。
2012年(平成24年) 画集『濱野彰親挿絵原画集 モノクロームへの眼差し』刊行。
2013年(平成25年) 弥生美術館にて濱野彰親展「モノクロームへの眼差し -人間の本性を暴く-」開催
2017(平成29年)日本出版美術家連盟の一般社団法人に伴い、名誉会員となる。
濱野彰親の作品
主な挿絵
松本清張「利」「清張短篇新集」「紙碑」「天才画の女」「黒革の手帖」「十万分の一の偶然」「迷走地図」「昇る足音」「幻華」「数の風景」
山崎豊子「二つの祖国」「大地の子」
火野葦平「街の灯」「魔女宣言」「花の座」
池波正太郎「青空の街」
川上宗薫「色道まつり」「おんなの教室」「好色涙あり」「好色流転」「熟れる」「昼と夜と」「開く花」「女体読本」「色めぐり」ほか多数
菊村到「狼は迷路を走る」「夜明けに花を撃て」「夜はさすらいの時」
梶山季之「やめてよ、あなた」
近藤啓太郎「微笑」
黒岩重吾「老城の恋」「太陽を這う」
三好徹「帰らざる夜」「賭ける」「暁に帰る」
森村誠一「青春の源流」「棟居刑事ラブアフェア」
深田祐介「神鷲(ガルーダ)商人」「暗闇商人」「赤道奔流」
山村美紗「京都西大路通り殺人事件」
ねじめ正一「荒地の恋」
逢坂剛「禿鷹の夜」など「禿鷹」シリーズ
津本陽「孤塁の名人」「幕末の七人の侍」「紀伊徳川家を支えた家臣」「信長影絵」
和久峻三「妖精の指輪」「共犯者の自白」「一億分の一の侵入者」「教唆する弁護人」「死刑台の女」
田辺聖子「愛してよろしいですか?」「風をください」
夏樹静子「死の谷から来た女」
松本清張の「黒革の手帖」
モノクロームへの眼差し~濱野彰親挿絵原画集』
『大地の子』
まとめ
今回は「挿絵画家の濱野彰親さん死去、実績や作品紹介!」というテーマでお送りしました。
最後までご覧いただきありがとうございました。