坂田藤十郎さんが11月12日に老衰のため死去しました。享年88歳。坂田藤十郎さんは人間国宝で、文化勲章受章などを受賞。妻は元俳優で参院議長を務めた扇千景さん。プロフィールや芸歴、歌舞伎の当たり役、出演映画など。バスローブ事件の真相。
目次
坂田藤十郎さん死去
歌舞伎俳優で人間国宝の坂田藤十郎さんが11月12日午前10時42分に死去しました。享年88歳。坂田さんは以前より パーキンソン病で闘病していました。
亡くなられた原因は、老衰のためで都内の病院で亡くなられました。
今年1月の舞台を腰痛のため休演。その後、骨折が判明した。さらに3月の検査でパーキンソン病と診断され、入院していました。
坂田藤十郎さんは、二代目中村扇雀の時、お初役で一躍人気スターになり、三代目中村鴈治郎、次いで四代目坂田藤十郎を襲名、大名跡を復活させました。
1994年に人間国宝に認定され、2009年には文化勲章を受けた。妻は元俳優で参院議長を務めた扇千景さん。妹は女優の中村玉緒さん。
四代目坂田 藤十郎のプロフィール
坂田 藤十郎(さかた とうじゅうろう)は、歌舞伎役者の名跡。
初代は上方歌舞伎の創始者の一人で、和事の芸を確立した役者としても知られ、かつてその名跡は江戸の市川團十郎と並んで梨園でも最も権威があった。
安永2年 (1774) に三代目が仙台で客死した後は襲名する者がなく、坂田藤十郎の名は伝説的な名跡として生き長らえた。
平成17年 (2005) に231年ぶりの四代目襲名となった。
四代目 坂田 藤十郎(さかた とうじゅうろう)は、1931年12月31日生まれ。
日本の歌舞伎役者。歌舞伎名跡「坂田藤十郎」の当代。
1931年12月31日 二代目中村鴈治郎の長男として生まれる。道頓堀角座『山姥』の金時で二代目中村扇雀を襲名し初舞台。旧制東山中学校卒業。
屋号は山城屋。定紋は五つ藤重ね星梅鉢、替紋は向い藤菱。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者。
前名の三代目 中村 鴈治郎(なかむら がんじろう)としても、また今なお初名の二代目 中村 扇雀( なかむら せんじゃく)としても知られています。
日本舞踊雁音流の家元としては雁音 歌扇(かりがね かせん)。妻は女優で政治家の扇千景、妹は女優の中村玉緒。
現代歌舞伎の大看板のひとりでもあり、また上方歌舞伎の復興プロジェクトでも主導的な役目を務めるほか、近松門左衛門作品を原点から勉強し直すために劇団近松座を結成している。
日本中にブームを巻き起こした『曾根崎心中』のお初は当たり役とされている。
1958年10月 扇千景と結婚している。
1994年 重要無形文化財保持者に各個認定(人間国宝)。日本芸術院会員になる。
文化勲章受章。日本俳優協会会長代行。日本俳優協会会長に就任。伝統歌舞伎保存会会長を歴任。
中村鴈治郎バスローブ事件
2002年、まだ中村鴈治郎にころ、京都のある舞妓(後に芸妓)とホテルで密会し、バスローブをはだけて、自身の陰部を露出させたことが同年6月7日発売の写真週刊誌FRIDAYにスクープされた。
その時のバスローブ姿から「中村ガウン治郎」と揶揄される。
これまでの彼の行動を知らない人たち(特に、若い頃のことを知らない女性週刊誌等のマスコミ)から「驚いた。人間国宝でも所詮芸人か。ほんとうに驚いた」と批判をくらったが、そのときも夫人・扇は「彼は芸人ですから」と前置きした後で、「女性にモテない夫なんてつまらない」と発言した。
一方の本人は記者会見で芸能リポーター達から「お元気ですねぇ〜」と感心されると、逆にそうした記者たちに向かって「自分が元気だという事を証明して下さって!」と感謝して豪快に笑い、「老け込んだら駄目。日本の男性たちもみんな頑張ってほしいね」とコメントを残したといわれる。
坂田藤十郎さんの芸歴
1949年 武智鉄二が文楽座で始めた関西実験劇場に参加(武智歌舞伎)。
1953年 250年ぶりに復活上演された『曾根崎心中』のお初が絶賛。扇雀ブームを起こす。
1955年2月 松竹を離脱し、阪急電鉄と東宝の子会社・宝塚映画製作所専属俳優になる。
1957年1月 東宝専属俳優になり、この時に当時宝塚スターの扇千景と出会う。
1963年3月 松竹に復帰し、歌舞伎役者としての活動を再開。
1981年 近松座を結成。
1990年11月 歌舞伎座『廓文章』「吉田屋」の伊左衛門、『心中天網島』「河庄」の治兵衛、『春興鏡獅子』のお小姓弥生/獅子の精で三代目中村鴈治郎を襲名。
2001年 イギリスのロンドンで『曾根崎心中』を上演。
2005年4月 韓国のソウルと釜山で『曾根崎心中』『棒縛り』を上演。
2005年11月 京都南座顔見世『本朝廿四孝』「十種香」「奥庭」の八重垣姫、『曽根崎心中』のお初、『由縁の月』の伊左衛門で上方歌舞伎の大名跡・坂田藤十郎を四代目として襲名。
2007年8月 世界陸上大阪大会の開会式で口上を披露。
2015年6月25日 博多座公演『曽根崎心中』のお初役での出演が通算1400回を達成する。
歌舞伎の当たり役は
『心中天網島』「河庄」「時雨炬燵」紙屋治兵衛 役
『義経千本桜』「すし屋」いがみの権太 役
『夏祭浪花鑑』團七九郎兵衛 役
『恋飛脚大和往来』「封印切」「新口村」亀屋忠兵衛 役
『廓文章』藤屋伊左衛門・夕霧 役
『梶原平三試名剣』(石切梶原)梶原景時 役
『祇園祭礼信仰記』(金閣寺)雪姫 役
『本朝廿四孝』「十種香」「狐火」八重垣姫・武田勝頼 役
『大津絵道成寺』藤の精、鷹匠、座頭、船頭、鬼 役
『桂川連理柵』「帯屋」信濃屋娘お半、お絹、丁稚長吉 役
『傾城反魂香』「吃又」お徳 役
『寿梅鉢万歳』
『汐汲』
『雁のたより』三二五郎七 役
『伽羅先代萩』「御殿」乳母政岡 役
『近江源氏先陣館』「盛綱陣屋」佐々木盛綱役
『良弁杉由来』「志賀の里」「物狂」「二月堂」渚の方 役
『男の花道』中村歌右衛門 役
などがある。
坂田藤十郎さんの出演映画
『魔剣』(1953) – 稲葉哲郎太 役
『お役者小僧』(1953) 岩井粂三郎 役
『快盗三人吉三』(1954) 木屋吉三 役
『森蘭丸』(1955) 森蘭丸 役
『オテナの塔』(1955) 小源太 役
『復讐浄瑠璃坂』(1955) 奥平源八郎 役
『春色大盗伝』(1955) お守り鶴次郎 役
『海の小扇太』(1955) 小扇太(実は豊海千代若丸) 役
『美男お小姓 人斬り彦斎』(1955) 河上彦斎 役
『白井権八』(1956) 白井権八 役
『恋すがた狐御殿』(1956) 春方 役
『男の花道』(1956) 中村歌右衛門 役
『遠山金さん捕物控 影に居た男』(1956) 遠山の金さん 役
『柳生武芸帳』(1957) 柳生又十郎 役
『女殺し油地獄』(1957) 河内屋与兵衛 役
『生きている小平次』(1957) 小幡小平次 役
『横堀川』(1966) 吉三郎 役
『黒髪』(1980)
『歌舞伎役者 片岡仁左衛門 人と芸の巻 上巻』 (1992) 本人(ドキュメンタリー)
『歌舞伎役者 片岡仁左衛門 登仙の巻』(1994) 本人(ドキュメンタリー)
『平成の坂田藤十郎』(2006) 本人(ドキュメンタリー)
坂田藤十郎さんの動画
歌舞伎の動画
ー歌舞伎 SONEZAKI SHINJŬ (曽根崎心中) 04-2009 Sakata Tōjūrō 坂田藤十郎, Nakamura Kanjaku 中村翫雀
ー 坂田 藤十郎 「萬 歳」
映画出演の動画
ー美空ひばり 560517 中村扇雀(坂田藤十郎)『恋すがた狐御殿・舞踊場面』 恋すがた狐御殿
Misora Hibari 振付/花柳幾久英
中川信夫監督『恋すがた狐御殿』 共演/中村扇雀・柳永二郎・山茶花究
ー美空ひばり 560517 中村扇雀『狐と笛吹き』 恋すがた狐御殿
Misora Hibari 「狐と笛吹き」 作詞・作曲/米山正夫
中川信夫監督『恋すがた狐御殿』 共演/中村扇雀(坂田藤十郎)・扇 千景・浪花千栄子・柳 永二郎
まとめ
今回は「坂田藤十郎さん死去、プロフィールや芸歴、出演映画など!」というテーマでお送りいたしました。
最後までお読みいただきありがとうござい