元東映プロデューサー・吉川進氏死去。 「秘密戦隊ゴレンジャー」「宇宙刑事ギャバン」などを制作。。元女優の吉川理恵子、フルート奏者の吉川久子が家族にいる。呼吸不全のため神奈川県内の自宅で死去。
目次
吉川進氏死去
「秘密戦隊ゴレンジャー」で“スーパー戦隊シリーズ”、「宇宙刑事ギャバン」で“メタルヒーローシリーズ”の生みの親の1人となった東映の元プロデューサー、吉川進氏が7月10日、呼吸不全のため神奈川県内の自宅で死去した。享年84歳。
1968年、「日本剣客伝」でテレビドラマを初プロデュースしたのが出発点。そのご1972年、「人造人間キカイダー」で特撮作品に初参加。
1975年、平山亨氏とともに「秘密戦隊ゴレンジャー」に参加し“スーパー戦隊シリーズ”の立ち上げに耕貢献した。
折田至氏とともに「宇宙刑事ギャバン」を立ち上げた後は「宇宙刑事シャリバン」「宇宙刑事シャイダー」「巨獣特捜ジャスピオン」「時空戦士スピルバン」「超人機メタルダー」「世界忍者戦ジライヤ」「機動刑事ジバン」とメタルヒーローシリーズを手掛けた。87年には「仮面ライダーBLACK」も担当した。
吉川進氏の経歴
1935年(昭和10年)、東京都世田谷区に生まれる。生家は東京発声映画製作所に近く、小中学校時代には通学途上で撮影風景を眺めていたという。
1978年から1996年まで、東映株式会社テレビ事業部企画営業第二部部長として、東映の実写特撮作品、東映本社制作のアニメを全体的に統括する立場にあった。
1958年(昭和33年)22歳のとき東映に入社する。
1964年(昭和39年)28歳のとき「東映テレビ部」の新設とともに配属。
1968年(昭和43年)『日本剣客伝』にて初めてテレビドラマのプロデュースを手がける。
1972年(昭和47年)『人造人間キカイダー』で特撮作品に初参加。
スーパー戦隊シリーズの立ち上げに寄与し、1975年『秘密戦隊ゴレンジャー』に平山亨とともに参加し、『大戦隊ゴーグルファイブ』第1話までプロデュース。
1978年東映株式会社テレビ事業部企画営業第二部部長に就任。
1982年『宇宙刑事ギャバン』を担当、折田至とともにメタルヒーローシリーズの立ち上げに携わる。以後『機動刑事ジバン』第39話までプロデュース。
1987年からは、ライダーシリーズを担当した平山に代わり『仮面ライダーBLACK』を担当。
1997年(平成9年)東映ビデオを退職。
当時は特撮番組の東映社内における地位は低く、スタジオが空いていても使用許可をもらえず、『スパイダーマン』では撮影所の端にあるトタン作りの物置小屋みたいなステージで細々と撮影を強いられるなど苦労も多かった。『パワーレンジャー』ヒットまでは、苦労があった。
『人造人間キカイダー』では、初めて特撮ヒーローものを手掛けたため、通常の人間ドラマと同じ感覚で制作していたが不評。
続編『キカイダー01』では従来のヒーローもののスタイルとし、脚本家の長坂秀佳とともに悪役側に意識を向けるようになり、悪側中心のドラマとなり、特にビジンダーに力を入れていたとしている。
『キカイダー01』の終了後に手掛けた『ザ・ボディガード』などの大人向けアクションドラマでは、悪役を悪徳政治家や弁護士、医者などにすると「それはやめてくれ」と言われ、「中小企業のおじさんやサラリーマンなら良い」という制約に不満を感じていた。
そういう制約がない子供向けのキャラクター作品では、純粋に愛や正義、友情などのテーマを追い求めることが可能で、以後は子供向け作品の制作に力を入れることになる。
『秘密戦隊ゴレンジャー』でアクションを務めていた大野剣友会が、様々な特撮作品に関わり疲れていると捉えたため、吉川の判断でJACに交代させた。
ヒーローが悪役を倒した後に、悪役の倒れた姿は決して画面には出さないように徹底していたという。
児童層への暴力描写を抑えると同時に「悪は死んでいない」という正邪相克の永続性を意識した上での配慮であるという。
作品作りでは、イタリアで多くの名作を手掛けたフェデリコ・フェリーニ監督の「自分のやりたいことをやりたいようにして、良い作品を作るのはさほど難しいことではない。難しいのは、やりたいことをやりたいように作りながら、それをコマーシャルベースに乗せることだ」という言葉を、常に念頭に置いていた
吉川進氏の家族
実の娘の一人は元女優の吉川理恵子氏。
もう一人の実の娘がフルート奏者の吉川久子氏。
吉川進氏の作品
テレビ作品
日本剣客伝
新・日本剣客伝
あひるヶ丘77(フジテレビ系)
ブラックチェンバー(フジテレビ系)
特命捜査室(フジテレビ系)
冠婚葬祭屋(1972年1月8日 – 4月1日、NET(現:テレビ朝日)系)
人造人間キカイダー(1972年7月8日 – 1973年5月5日、NET系)
キカイダー01(1973年5月12日 – 1974年3月30日、NET系)
ザ・ボディガード(1974年、NET系)
ザ★ゴリラ7(1975年、NET系)※途中まで
五街道まっしぐら!(1976年、NET系)※企画
透明ドリちゃん(1978年1月7日 – 7月1日 テレビ朝日系)
スパイダーマン (東映)(1978年5月17日 – 1979年3月14日、東京12チャンネル(現・テレビ東京))
スーパー戦隊シリーズ(旧NET・テレビ朝日系)
秘密戦隊ゴレンジャー(1975年4月5日 – 1977年3月26日)
ジャッカー電撃隊(1977年4月9日 – 1977年12月24日)
バトルフィーバーJ(1979年2月3日 – 1980年1月26日)
電子戦隊デンジマン(1980年2月3日 – 1981年1月31日)
太陽戦隊サンバルカン(1981年2月7日 – 1982年1月30日)
大戦隊ゴーグルファイブ(1982年2月6日 – 1983年1月29日)[注釈 2]
忍者戦隊カクレンジャー(1994年2月18日-1995年2月24日)
超力戦隊オーレンジャー(1995年3月3日-1996年2月23日)
メタルヒーローシリーズ(テレビ朝日系)
宇宙刑事ギャバン(1982年3月5日 – 1983年2月25日)
宇宙刑事シャリバン(1983年3月4日 – 1984年2月24日)
宇宙刑事シャイダー(1984年3月2日 – 1985年3月8日)
巨獣特捜ジャスピオン(1985年3月15日 – 1986年3月24日)
時空戦士スピルバン(1986年4月7日 – 1987年3月9日)
超人機メタルダー(1987年3月16日 – 1988年1月17日)
世界忍者戦ジライヤ(1988年1月24日 – 1989年1月22日)
機動刑事ジバン(1989年1月29日 – 1990年1月28日
機甲艦隊ダイラガーXV (1982年、テレビ東京系)
星雲仮面マシンマン前半まで(1984年、日本テレビ系)
ビデオ戦士レザリオン(1984年、TBS系)
仮面ライダーシリーズ(毎日放送系)
仮面ライダーBLACK(1987年10月4日 – 1988年10月9日)
仮面ライダーBLACK RX(1988年10月23日 – 1989年9月24日)
超光戦士シャンゼリオン(1996年4月3日 – 1996年12月25日、テレビ東京系)
映画作品
仮面ライダーZO(1993年4月17日封切り。東映スーパーヒーローフェア) – 企画
仮面ライダーJ(1994年4月16日封切り。東映スーパーヒーローフェア) – 企画
人造人間ハカイダー(1995年4月15日封切り。東映スーパーヒーローフェア) – プロデューサー
Vシネマ作品
女バトルコップ(1990年11月9日)
真・仮面ライダー 序章(1992年2月20日) – 企画
大予言/復活の巨神(1992年4月23日)
超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー(1996年3月8日)
まとめ
今回は「吉川進氏死去、経歴や作品そして家族には女優の吉川理恵子が実娘!」というテーマでお送りしました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。