落語家の橘家圓平さん死去。落語家の橘家圓平さんが10月28日、急性腎不全のため東京都内の病院で死去しました。享年89歳。葬儀は遺族の意向で行わない。
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落語家の橘家圓平死去
落語家の橘家圓平(たちばなや・えんぺい、本名阿部雄厚=あべ・ゆうこう)10月28日、急性腎不全のため東京都内の病院で死去した。葬儀は遺族の意向で行わない。
2020年10月28日8時40分、橘家圓平さんが急性腎心不全のため死去。享年89歳。
落語家の橘家圓平さんのプロフィール。
橘家 圓平(たちばなや えんぺい)は、落語家の名跡。
現在亭号が三遊亭で4人前後確認されている。以下の通り。
三遊亭圓平 – 後の2代目三遊亭小圓朝。
三遊亭圓平 – 初代三遊亭圓馬の門人。講談の一光斎東玉(本名:清水礼助)の息子。
三遊亭圓平 – 後の2代目蜃気楼龍玉。
三遊亭圓平 – 後の3代目三遊亭小圓遊。
橘家 圓平(たちばなや えんぺい)は、1931年4月7日 生まれ。
東京都大田区大森出身の落語家。
落語協会所属。本名は阿部 雄厚(あべ ゆうこう)。
出囃子は『すててこ』。妻はマジシャンの松旭斎菊代。
1953年4月、7代目橘家圓蔵に入門し「若蔵」を名乗る。一時期病気休養し1955年春に復帰する。
1958年11月、二つ目に昇進し「立花家橘松」と改名。
1973年3月、他の9人[注 1]とともに真打昇進。「橘家圓平」と改名。
芸風
主な持ちネタは、「浮世床」「強情灸」「長命」「堪忍袋」「芝浜」「井戸の茶碗」「そろぞろ」など。古典落語のほかに寄席踊りも得意とし、一席終わった後、寄席の踊りを一つまたは二つ踊っていた。
踊りは、ども又・槍さび・桃太郎・奴さん・深川・かっぽれ等他多数あります。
紋 三ツ組橘
ー落語家・橘家圓平さん死去…89歳、急性腎不全で
まとめ
今回は「落語家の橘家圓平死去、プロフィールなど!」というテーマでお送りいたしました。
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