映画監督の大林宣彦氏、4月10日肺がんのため死去。82歳だった。。CMディレクターから映画の世界に入った。CMディレクターとしてチャールズ・ブロンソンを起用した「マンダム」のCMは有名。映画では、故郷の広島県尾道市を舞台にした「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の“尾道三部作”などで知られる。「映像の魔術師」の異名を取った。生い立ち、家族、CM作品、映画を紹介。
大林宣彦
目次
映画監督の大林宣彦氏死去
映画監督の大林宣彦氏、82歳で死去 2016年8月にステージ4の肺がんで余命3か月の宣告を受けてから3年8か月。その間も制作活動を続けた。
CMディレクターから映画の世界に入り、故郷の広島県尾道市を舞台にした「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の“尾道三部作”などで知られる。ファンタジー作品に定評があり「映像の魔術師」の異名を取った。
映画監督の初作品は、1977年の『HOUSE』でした。
HOUSE(プレビュー)
2020年4月10日の封切りを予定していた『海辺の映画館―キネマの玉手箱』が、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、公開延期されることが3月31日に発表されていました。
2020年4月10日午後7時23分、東京都内の自宅で肺がんのため死去。享年82歳でした。
2019年11月の第32回東京国際映画祭で「あと3000年、映画を作りたい」と語っていた。
この、第32回東京国際映画祭では、特別功労賞を授与され、遺作となる近日公開予定の映画「海辺の映画館―キネマの玉手箱」を力強くアピールしていた。
大林宣彦監督『海辺の映画館-キネマの玉手箱』予告編
大林 宣彦の生い立ち
1938年1月9日、広島県尾道市で父方は尾道で六代、母方も代々続く医家の長男として生まれる。
広島県尾道市東土堂町生まれ。
尾道市立土堂小学校、尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。
父は福山市金江町の出身で、尾道市医師会長や尾道市教育委員長を歴任。母は茶道裏千家の教授。
1歳のとき父が軍医として南方に出征したため、母方の実家、尾道の山の手で幼年期を過ごす
2歳でブリキの映写機のおもちゃに親しみ、6歳で35mmフィルムに手描きしてアニメーションを作った。このとき作った『マヌケ先生』をもとにして後に三浦友和主演でテレビドラマ、映画が制作された。
大林の映画作りは、尾道の旧い家の子供部屋で始まる。少年期は特にアメリカ映画に強い影響を受けた。
実家の持ち家の一つに新藤兼人(映画監督・脚本家)が一時期住んでおり、毎週末通っていた映画館では“新藤おじさん”の隣で活動写真を見ていたこともあった。
15歳のときに小津安二郎が『東京物語』を撮影する現場を見学。16歳の夏休みに福永武彦『草の花』を読み、感銘を受ける。
いつかショパンのピアノ曲のような映画を作りたいと思い、それは30年後に『さびしんぼう』で実現する。
高校時代は手塚治虫に憧れて漫画を描いたほか、ピアノを弾き、演劇活動をやり、同人誌を主宰して小説を書くなどもした。
大林宣彦氏の受賞と職歴
2004年(平成16年)春の褒章に於いて紫綬褒章を受章。
2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報学部情報表現学科名誉教授。2007年(平成19年)4月から倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授。
2009年(平成21年)秋の叙勲で旭日小綬章を受章した。
2014年(平成26年)4月から長岡造形大学客員教授。
2016年、第18回極東映画祭(イタリア)にて、マルベリー賞(生涯功労賞)を受賞
大林 宣彦のCM作品
大林宣彦氏は、従来の撮影所から育った映画監督ではなく、CMディレクターとしてチャールズ・ブロンソンを起用した「マンダム」のCMなどを手がけた。
【1970年CM】マンダム チャールズ・ブロンソン【フル3バージョン】
1964年に開館した新宿紀伊國屋ホールの開館イベントとして「60秒フィルムフェスティバル」を企画。
このイベントで上映された『Complexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って 葬列の散歩道』をたまたま観ていた電通のプロデューサーに誘われ、1964年、セイコーのテレビコマーシャル(CM)を制作。
1976-1992 腕時計CM集
それ以降、草創期のテレビCMにCMディレクターとして本格的に関わる。
電通からの誘い文句は「これから言うことで、僕を殴らないで下さい、コマーシャルをやってみませんか」だった。
当時まだまだCMは”おトイレタイム”といわれ、映画監督にCM製作を依頼するとけんもほろろ、「俺に物売りをやれというのか」と蹴飛ばされたという時代。
CMディレクターを専門にやろうという人はまだいなかった。実際は先のイベントに参加した仲間も誘いを受けたが、承諾したのは大林一人だったという。
急成長したCM業界で、一日一本のペースでCMを作り続け「CM界の巨匠」の異名を執る。
大林宣彦氏のCM作品には、日本で初めてハリウッドスターを起用し、あまりのヒットに社名を変更したチャールズ・ブロンソンの「マンダム」。
ラッタッタのかけ声で話題を呼んだソフィア・ローレン「ホンダ・ロードパル」のCM。
ホンダ「らったった」ソフィア・ローレンのCM
「カネカ・フォンテーヌ」「ラックス化粧品」のカトリーヌ・ドヌーヴ、「フォンテーヌ」のCMソングにはフランシス・レイを起用した。
レナウン・シンプルライフ」のリンゴ・スター。
「AGF・マキシムコーヒー」のカーク・ダグラス、マンダム・フーズフーのデヴィッド・ニーヴン、キャサリン・ヘプバーン、アイススケートのジャネット・リン(カルピス)。
大林宣彦 TV・CFアンソロジィ(大林監督のCM作品集)
日本のCMでは、東陶機器(TOTO)のホーローバスのCMで高沢順子に言わせて流行語になった「お魚になったワ・タ・シ」。
TOTO1973高沢順子
『さびしんぼう』を気に入られた黒澤明から、1989年CM演出を指名され、NEC「オフィスプロセッサ」「夢にわがままです」を手掛け、CM出演した黒澤に初めてサングラスを外させた。
これが縁で1990年、黒澤監督の『夢』のメイキングビデオ(『映画の肖像 黒澤明 大林宣彦 映画的対話』)を撮った。
黒澤明 夢 メーキングムービー 1/8
この他、山口百恵・三浦友和コンビの「グリコアーモンドチョコレート」。
山口百恵・三浦友和コンビの「グリコアーモンドチョコレート」
高峰三枝子・上原謙の「国鉄フルムーン」。
1982年CM 国鉄 フルムーン 高峰三枝子 上原謙
森繁久弥の「国鉄新幹線」、遠藤周作の「日立ヘアカーラ」、山村聰の「トヨタ・クラウン」、若尾文子の「ナショナル浄水器」、「レナウン・ワンサカ娘」、長門裕之・南田洋子の「カルピス」 など、10年間で製作したテレビCMは3000本を越えた。
トヨタ クラウン 6代目 CM 山村聰 MS112 1979 TOYOTA CROWN Ad
レナウンCM 80年代②
国際CM賞も受賞。テレビCMを新しい映像表現として確立、画期的な映像表現で、日本のテレビCMを飛躍的に進化させた。
大林宣彦氏の映画作品
大林宣彦氏は、新人アイドル・新人女優を主役にした映画作りを行い、「アイドル映画の第一人者」とも称される。
特に1970年代?1980年代に手掛けた作品は「70年代アイドル映画」「80年代アイドル映画」というジャンルとしても評価される。
1981年の『ねらわれた学園』。同作は、大作路線を続けた角川春樹が一転、若者向け「アイドル映画」を手掛けた第1弾。
大林宣彦 ねらわれた学園
1979年の『金田一耕助の冒険』で意気投合した角川と大林は「誰もやらないような映画を作ってやろう」という目論見から薬師丸ひろ子主演で本作を企画した。
「金田一耕助の冒険」
また角川から大林に「薬師丸ひろ子をアイドルにしてやってくれませんか」との依頼があり 本作で薬師丸はアイドルとしての地位を確立させた。
このため『ねらわれた学園』は「アイドル映画」時代の開幕を告げる作品と評される。
1983年、角川から「尾道で原田知世の映画を撮って下さい」と託された筒井康隆原作のジュブナイル『時をかける少女』では、合成やコマ落としなどの映像テクニックを最大限に駆使して幻想的な作品世界を描出、のちに定着する”映像の魔術師”、”大林ワールド“といった代名詞はここから始まった。
この時期に日本テレビ「火曜サスペンス劇場」向けに円谷プロで撮った「麗猫伝説」は、アングラ映画すれすれの映画詩ふうな作品であり、これを常識を破ってテレビ用に製作できたあたりに当時の大林ブランドの強さと絶好調の自信が示されている。
麗猫傳説ハイライト(前篇)
1993年に大林宣彦氏が初めて俳優として出演した月9ドラマ「あの日に帰りたい」では、主演の工藤静香と菊池桃子のフィルムの制作も行った。
1994年吉永小百主演の『女ざかり』。吉永小百がノーメイクに近いナチュラルメイクで挑んだ。
映画「女ざかり」劇場予告
2004年、宮部みゆきの小説世界を100名以上の俳優全員に、ノーメークで演じさせて完璧に映像化した『理由』。
2007年8月公開の『22才の別れ (Lycoris 葉見ず花見ず物語)』。
22才の別れ 映画
2012年、東日本大震災の翌年に公開された『この空の花 長岡花火物語』。
映画『この空の花 長岡花火物語』予告編
2014年、老人の人生を大きく変えた壮絶な戦争体験を通じて、3.11以降の日本の在り方を見つめる『野のなななのか』。
『野のなななのか』予告編
2016年8月に肺癌が判明。ステージ4まで進行しており医師より当初「余命6か月」、後に
「余命3か月」の宣告を受ける。
このとき、2017年12月公開の映画『花筐/HANAGATAMI』のクランクインを控えていた。
2016年同年8月から10月にかけて佐賀県唐津市で行われた撮影と続く編集作業に並行して抗がん剤治療を継続。
大林宣彦監督×檀一雄原作『花筐/HANAGATAMI』予告編
2017年4月のスタッフ向け試写会において病状を公表。抗がん剤治療が奏効したこと
で病状が改善した。
尾道三部作
1982年、自身の郷愁を込めて尾道を舞台とした『転校生』を発表。
転校生 バージョン1予告
『時をかける少女』、『さびしんぼう』と合わせ”尾道三部作として多くの熱狂的な支持を集め、1984年にはロケ地巡り目的で、20万人以上の若い観光客が訪れたといわれる。
『転校生』、『時をかける少女』、『さびしんぼう』が”尾道三部作”です。
時をかける少女 / Toki wo kakeru shoujo (1983)
Sabishinbou 「さびしんぼう」 – 1985 – Trailer 予告編
これらは、才気が奔出するあまりに一部評論家からは「お子様ランチ」「おもちゃ箱」と酷評されることもあった初期作品に比べると、落ち着きと詩情を湛えて評価も高く、映画作家としてひとつの頂点を築くこととなった。
新尾道三部作
「新尾道三部作」は、『ふたり』『あした』『あの、夏の日 〜とんでろ じいちゃん〜』です。
映画「ふたり」特報・劇場予告予告
あした
あの、夏の日-とんでろ じいちゃん
映画監督の大林宣彦の家族
妻は映画プロデューサーの大林恭子。
長女は、「映画感想家」の千茱萸。
執筆活動をする一方で映画製作にも参加しています。
千茱萸の夫は漫画家の森泉岳土。
劇作家・演出家の平田オリザは甥にあたる。
まとめ
今回は、「映画監督の大林宣彦氏死去、生い立ち、家族、CM作品、映画」というテーマでお送りしました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。