俳人の伊藤敬子さんが、6月5日午前5時30分、肺炎のため名古屋市の病院で死去しました。享年85歳。『環礁』に在籍し、加藤かけい、山口誓子に師事。『光の束』は環礁賞を受賞。
目次
俳人の伊藤敬子さん死去
俳人の伊藤敬子(いとう・けいこ、本名敬子=たかこ)さんが、6月5日午前5時30分、肺炎のため名古屋市の病院で死去しました。85歳でした。
伊藤敬子さんは、加藤かけい、山口誓子に師事。1980年に俳誌「笹(ささ)」を創刊した。句集に「光の束」「百景」など。
伊藤敬子さんの生い立ち
伊藤 敬子(いとう けいこ)さんは、1935年5月3日、名古屋市東区生まれ。
俳人で名東区に在住していました。本名は、敬子(たかこ)さんです。
愛知県立旭丘高等学校1年生のときに国語科教諭の呼びかけで俳句グループに入ったのが、句作のきっかけといいます。
その後金城学院大学短期大学部に進学し、卒業後にまもなく結婚。
二児を育てながらも、その間にも俳句は続けていた。
俳人の伊藤敬子さんのプロフィール
1955年 (昭和30年)には加藤かけいが主催する俳句誌『環礁』の同人となり、加藤かけい、山口誓子に師事した。
『環礁』にはその後、30年間在籍した。
1966年 (昭和41年)、31歳で初の句集『光の束』を上梓。
『光の束』は環礁賞を受賞た。
同年それを機に俳人協会へと入会。
1975年 (昭和50年)には東海俳句懇話会を立ち上げた。
そして、1977年(昭和52年度)4月、子育ての終わった41歳に愛知淑徳大学文学部国文学科3年次に編入。
卒業後も大学院修士・博士課程に学び、博士(文学)を取得している。
国文学の講師を含め、愛知淑徳大学に20年間籍を置いた。
1980年5月には俳句誌『笹』を創刊主宰。
『笹』は名古屋で初めての女性の主宰する俳句誌であった。
2000年3月(平成11年度)にはそれまでの俳人としての功績から、愛知県芸術文化選奨文化賞を授与されている。
俳人協会評議員・愛知県支部長、角川学芸出版の月刊誌『俳句』で選者、中日文化センターの俳句教室で講師を務めるなどしている。
2005年 (平成17年)からは芭蕉顕彰名古屋俳句祭を開催するなど積極的に活動を行った。
伊藤敬子さんの作品
光の束(句集、1966年(昭和41年))
句集 鳴海しぼり
刻のうつろいの中で―伊藤敬子・随想集
優しい花々―伊藤敬子・随想集
俳句の手ほどき 入門編
句集 ビョウ茫
日付変更線―伊藤敬子句集
白根葵―伊藤敬子句集
句集 象牙の花 角川平成俳句叢書
杉田久女の百句
写生の鬼―俳人鈴木花蓑
花鳥逍遥―美しい自然を美しい日本語で
星座多彩―伊藤敬子句集
伊藤敬子句集ー季語別
山廬風韻―句集
花月の譜
伊藤敬子随筆集『風雅永遠』
新しい俳句の作り方 中級篇
句集 年魚市潟
ー など
俳人の伊藤敬子さんのメディア出演
2016年バイキング 「坂上忍の俳句ingヒストリー」(フジテレビ)
俳人の伊藤敬子さんのインタビュー動画
俳人の伊藤敬子さんのインタビュー動画です。
ー 俳人インタビュー/伊藤敬子「笹」主宰
まとめ
今回は「俳人の伊藤敬子さん死去、生い立ち、プロフィール、作品、インタビュー動画」というテーマでお送りしました。
最後までご覧いただきありがとうございました。