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菊畑茂久馬氏死去、プロフィール、最近の活動、著作(著書)

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現代美術家の菊畑茂久馬氏死去。菊畑 茂久馬氏が5月21日、肺炎のため福岡市内の病院で死去しました。享年85歳。

菊畑茂久馬

菊畑茂久馬

 

目次

菊畑 茂久馬氏死去

菊畑 茂久馬氏が5月21日、肺炎のため福岡市内の病院で死去しました。享年85歳。

長崎県出身。葬儀は近親者で行う。喪主は妻温子(はるこ)さん。後日お別れの会を開く予定。

独学で絵画を始め、福岡市で旗揚げした前衛美術集団「九州派」の中心メンバーとして活躍。80年代には、抽象画とオブジェの性格を併せ持つ「天動説」シリーズなど大作を次々に発表した。

菊畑茂久馬

菊畑茂久馬

筑豊の炭鉱画家、山本作兵衛の作品に刺激を受け、画集などを刊行。山本作品が再評価される機運を高め、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産登録に重要な役割を果たした。

菊畑茂久馬氏のプロフィール

徳島県出身の父と、長崎県五島出身の母との間に長崎市に生まれる。

幼少期に福岡市に移る。福岡県立福岡中央高等学校卒業。

絵画を独学で始める。

菊畑茂久馬

菊畑茂久馬

1957年、前衛美術グループ「九州派」に参加して画家として頭角を現す。

1958年より「九州アンデパンダン展」を主宰する一方で、1957年より東京の読売アンデパンダン展にも出展。

1961年には「現代美術の実験」展(国立近代美術館)の15人の出展作家の一人として選出され、1962年には南画廊(東京)で個展を開催。以後、前衛美術のホープとして注目された。

1962年、九州派を脱退。

1960年代後半より発表から遠ざかる。

菊畑茂久馬

菊畑茂久馬

山本作兵衛の絵の作品としての評価、ひいては世界記憶遺産への認定に大きな役割を果たす。

山本作兵衛

山本作兵衛

1964年、上野英信の紹介で筑豊の炭鉱画家・山本作兵衛の作品を知り衝撃を受け、当時ほとんど評価されていなかった作兵衛の作品を「美術」として評価する論文を書く。

1970年には作兵衛を東京に招いて自身が教鞭をとる美学校の生徒に作品を模写させる。

1975年山本作兵衛の『筑豊炭坑絵巻』の編纂に関わる。

その時の生徒の一人に南伸坊にがいた。

 

1970年に米国から日本に返還された戦争記録画についても論述。また福岡を中心に、数多くの公共空間に陶板壁画を制作。

1983年、絵画作品《天動説》シリーズを東京画廊で発表し、19年ぶりに画壇に復帰。
以降、《月光》、《舟歌》など大型の組作品を立て続けに発表。戦後美術思想の中心として「オブジェ」を捕らえ、その克服をめざした絵画を制作。

菊畑茂久馬

菊畑茂久馬

菊畑茂久馬氏の著作(著書)

『フジタよ眠れ―絵描きと戦争』、葦書房、1978年
『天皇の美術』、フィルムアート社、1978年

『天皇の美術』

『天皇の美術』

『小さなポケット』(文:菊畑茂久馬、絵:働正)、葦書房、1980年
『戦後美術の原質』、葦書房、1982年
『焼け跡に海風が吹いていた:僕のはかた絵日記』、葦書房、1984年
『反芸術綺談』、海鳥社、1986年(新装版2007年)
『絶筆 いのちの炎』、葦書房、1989年

『絶筆 いのちの炎』

『絶筆 いのちの炎』

『菊畑茂久馬著作集』(全4巻)、海鳥社、1993~1994年
『絵かきが語る近代美術 高橋由一からフジタまで』、弦書房、2003年

『絵かきが語る近代美術 高橋由一からフジタまで』

『絵かきが語る近代美術 高橋由一からフジタまで』

 

菊畑茂久馬氏の最近の活動

2002年 ATTITUDE 2002(熊本市現代美術館)
2003年 九州力(熊本市現代美術館)
2003年 『絵かきが語る近代美術』出版(弦書房/福岡市)
2004年 第3回円空賞受賞
2007年 菊畑茂久馬と<物>語るオブジェ(福岡県立美術館)
2009年 ‘文化’資源としての<炭鉱>展(目黒区美術館/東京)
2009年 菊畑茂久馬―ドローイング(長崎県美術館)
2011年 菊畑茂久馬回顧展 戦後/絵画(福岡市美術館・長崎県美術館 同時開催)
2011年 第53回毎日芸術賞受賞(受賞年月日は2012年1月1日)
2012年 そら・うみ・かぜ 菊畑茂久馬の絵(福岡市美術館)

2012-13年 美術にぶるっ!ベストセレクション日本近代美術の100年 第二部 実験場 1950s(東京国立近代美術館)

2013年 Tokyo 1955~1970: A New Avant-Garde(ニューヨーク近代美術館)
2015年 菊畑茂久馬展「春の唄」(カイカイキキギャラリー/東京)

菊畑茂久馬展「春の唄」

菊畑茂久馬展「春の唄」

菊畑茂久馬展「春の唄」(カイカイキキギャラリー/東京)

菊畑茂久馬展「春の唄」(カイカイキキギャラリー/東京)

 

2016年 村上隆のスーパーフラットコレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで―(横浜美術館)

 


「村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで―」メイキング映像


村上隆トークイベント 「村上隆のスーパーフラット・コレクション展 ―蕭白、魯山人からキーファーまで―」 横浜美術館

山本作兵衛の作品

1975年菊畑 茂久馬氏は、山本作兵衛の『筑豊炭坑絵巻』の編纂に関わる。

『筑豊炭坑絵巻』

『筑豊炭坑絵巻』

炭鉱画家・山本作兵衛の作品。

 

炭鉱画家・山本作兵衛の作品

炭鉱画家・山本作兵衛の作品

炭鉱画家・山本作兵衛の作品

炭鉱画家・山本作兵衛の作品

1892年(明治25年)、福岡県嘉麻郡笠松村鶴三緒(現・飯塚市)生まれ。

7歳から父について兄とともに炭鉱に入り、立岩尋常小学校を卒業後、1906年(明治39年)に山内炭坑(現・飯塚市)の炭鉱員となった。

以後、採炭員や鍛冶工員として、筑豊各地で働きながら、日記や手帳に炭鉱の記録を残した。

福岡県田川市にある炭鉱事務所の宿直警備員として働き始めた60代半ばに、「子や孫にヤマ(炭鉱)の生活や人情を残したい」と絵筆を取るようになり、自らの経験や伝聞を基に、明治末期から戦後にいたる炭鉱の様子を墨や水彩で描いた。

余白に説明を書き加える手法で1000点以上の作品を残した。主要作は画文集『炭鉱に生きる』(1967年)。「ヤマの絵師」として知られた。

作兵衛作品の記録画は、現地調査した海外の専門家らから高く評価された。

このため、作兵衛作品を保管する田川市と福岡県立大学は、ユネスコ記憶遺産登録を目指すこととし、田川市が所蔵する福岡県指定有形民俗文化財584点を含む絵画585点と関連資料(日記6点、雑記帳や原稿など36点)と、山本家が所有し同大学が保管する絵画4点と関連資料(日記59点、原稿など7点)を合わせた計697点について、市と大学共同で2010年3月、ユネスコ本部(パリ)に推薦書を送付した。2011年5月25日に国内初の登録を受けることが決まった。

 

まとめ

今回は「菊畑茂久馬氏死去、プロフィール、最近の活動、著作(著書)」というテーマでお送りしました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

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