元キャンデーボーイズ鏡味健二郎さん死去。死因は中咽頭がんで、85歳でした。2016年年9月15日に浅草演芸ホールに出演したのが最後の寄席出演となった。父は先代の古今亭今輔。
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鏡味健二郎さん死去
元「キャンデーボーイズ」で、太神楽曲芸師の鏡味健二郎(かがみ・けんじろう)さんが中咽頭がんのため2020年5月16日に自宅で死去していたことが分かった。所属の落語芸術協会が20日、発表した。85歳だった。葬儀は近親者のみで執り行った。後日「お別れの会」を行う予定。
昨年9月末頃に中咽頭がんが発覚し、療養に努めたが、年末には心不全を発症し闘病を続けていた。同協会は「そんな中でも、ここ数か月はのんびりテレビを眺めたりなど心穏やかな時間を持つことができたようです」としている。
鏡味健二郎さんプロフィール
本 名:鈴木茂男(すずき しげお)
芸 種:太神楽曲芸
生年月日:昭和10年3月21日
出 身:東京都台東区
他の所属:(公社)落語芸術協会
階級:色物
趣味:映画鑑賞 読書
師匠 :鏡味時二郎
活動内容 :太神楽曲芸
家族 :5代目古今亭今輔(父)
所属 :太神楽曲芸協会、落語芸術協会
1935年、東京・台東区黒門町生まれ。五代目古今亭今輔の二男として生まれる。
ー 父は先代の古今亭今輔という生粋の寄席芸人。
1947年(昭和22年)鏡味時二郎に師事。父親が「落語は人気が出ない」と見込み、曲ー 芸師にさせるため、鏡味時二郎に師事させた経緯があった。
1948年、初舞台を踏む。
1951年(昭和26年)に鏡味次郎、孝司(亭号不明)とキャンデーボーイズを結成す
ー る。以後、芸術協会の寄席に出演。
1955年、三代目鏡味小仙(現在の仙翁、江戸太神楽十三代目家元)がキャンデーボーイー ズに参加。
1959年、小仙が脱退。
1970年、翁家喜楽が参加。
1992年、喜楽が娘の喜乃とコンビを組むため、キャンデーブラザースとコンビ名を改
ー 称。
1993年(平成4年)に「キャンデーブラザーズ」になる。
2007年、相方の鏡味次郎さんが死去した後は1人で活動していた。
2016年、9月15日に浅草演芸ホールに出演したのが最後の寄席出演となった。
以降は2019年まで正月初席の「寿獅子」で太鼓演奏を受け持った。
2006年からは協会参与に就任し、色物演者の代表として意見を集約し、役員会に提示する役目を務めていた。
鏡味健二郎さんの兄弟弟子(同門)
鏡味次郎…1932年生まれ、1945年入門。師である鏡味時二郎は実の父親。
鏡味繁二郎…1943年生まれ、1956年入門。
鏡味勇二郎…1944年生まれ。1955年入門。
繁二郎、勇二郎はボンボンブラザースを結成し、現在も寄席の高座に上がっている。
父親五代目古今亭今輔
ー五代目 古今亭今輔『思い出(古着屋)』 小山觀翁撰集
ー 五代目 古今亭今輔『死神』 小山觀翁撰集
6代目古今亭今輔は、3代目三遊亭圓右(今輔は岳父に当たる。)の弟子で古今亭寿輔がおり、その弟子が6代目今輔を襲名している。
5代目古今亭今輔エピソード
5代目古今亭今輔は、数度に渡り師匠を変えたのは持って生まれた正義感であり、その硬骨ぶりが身上でした。
正に不世出の闘志の男であった。『もう一度学びたい落語のすべて』(大友浩監修、西東社刊)では圓右一門、右女助一門を去ったことを「逆破門」と解説している。
一方でそれによる苦労も味わったためか、のちに香盤(序列)問題や噺に対する志向の違い 1]から一時破門状態となった直弟子の古今亭今児(のちの桂歌丸)が詫びを入れて復帰を申し出た際には「べつに私が破門にしたわけでも何でもありません。
あなたのほうから勝手に来なくなっただけじゃありませんか」と言いつつ、「一度飛び出したもんをまたうちに入れるわけにはいかない」として総領弟子である4代目桂米丸に再入門させるという形で復帰を許した。
米丸はこのことを「(歌丸に)たいそう腹を立てていたのだろうがそれを抑え、彼に“師匠をしくじった”という疵をつけないための配慮だったのだろう」と振り返っている。
また歌丸も「ただそのまま元に戻したのではお互いに何かと頃合いが悪いが、米丸師匠のところなら今輔師匠の目も届くし私も余計な気を遣ったり引け目を感じたりしないで好かろうという、今輔師匠ならではの判断だった」と振り返っている。
まとめ
今回は「鏡味健二郎さん死去、プロフィール、兄弟弟子、父親」というテーマでお送りしました。
最後までご覧いただきありがとうございました。