昨季限りで阪神を退団した鳥谷敬内野手(38)が、ロッテと入団交渉を行い、合意したことが9日判明しました。3月も中旬に差し掛かろうかという異例のタイミングのロッテ入団決定でした。鳥谷は昨季、阪神から“引退勧告”を受けたが、現役続行を選択して他球団移籍の道を探していてハードなトレーニングをしていました。一方ロッテは数カ月間に渡って獲得調査を続け。井口監督と鳥谷が長年1月沖縄自主トレを共にしていた縁もありました。元阪神鳥谷ロッテでの、年俸、ポジション、背番号。ロッテ入団までのこれまでの経緯について。ロッテ入団がもつれた理由。さらに、鳥谷選手の現役続行の決意詳細について。さらに鳥谷選手のロッテ入団を西岡剛内野手が祝福したコメントなど。
目次
鳥谷選手ロッテ入団決定、年俸、ポジションは?これまでの経緯
昨季限りで阪神を退団した鳥谷敬内野手が、ロッテと入団交渉を行い、合意した。
井口監督と鳥谷が長年1月沖縄自主トレを共にしていた縁もあり、ロッテも経験豊富な遊撃手がいないチーム状況も踏まえ、判断。3月上旬という異例のタイミングで獲得を決めた。
年俸は、推定で、1軍最低保証の1600万円クラスとみられている。
また、ポジションや1軍の確約は一切ない条件とみられる。
ロッテは当初から鳥谷の動向をチェックする複数球団の1つとして注目されてきた。
井口監督と鳥谷が長年1月沖縄自主トレを共にしていた縁もあり、昨年10月中旬には指揮官が実際に鳥谷に関し「これからそういう話も出てくると思う」と公言したこともあった。
一方で、球団はすでに名球会入りしているレジェンドが若返りを進めるチームにフィットするかどうか、慎重に調査を続けてきた。
ロッテの遊撃候補を見れば、レギュラー筆頭候補の藤岡は昨季、右太もも痛など故障に泣き81試合出場どまり。
平沢は昨季痛めた右肘が完治しないまま2軍キャンプスタート。昨季89試合出場のユーティリティー三木も昨年10月に右膝を手術し、まだ2軍調整中。
ドラフト5位福田光が2月から実戦でアピールを続けているとはいえ、選手層に不安が残る。
そこで鉄人としても知られるベテランに白羽の矢が立った。
ロッテは戦力としてはもちろん、球界屈指の練習量を誇る姿勢も若手に好影響を与えると判断した可能性が高い。
千葉ロッテマリーンズの3月10日の発表では、阪神タイガースを退団した鳥谷敬内野手の入団が決定したと発表し、背番号は「00」となるとした。
鳥谷選手のロッテ入団までの、ここまでの経過
鳥谷選手の阪神退団からロッテ入団までのここまでの経緯は
昨年は、遊撃復帰をかけて臨んだが、開幕から不振で出番は、激減しました。
8月25日のヤクルト戦とのビジター最終戦で「これが最後(の神宮)になるかも」
と意味深発言。8月 同29日に球団から「引退勧告」を受ける。
8月同31日に「タイガースのユニホームを着てやるのは今シーズンが最後になります」と退団を表明。
10月13日のCSファイナルステージ3戦目の巨人戦で、代打で二ゴロに倒れたのが阪神で最後の打席となった。
12月2日に保留者名簿が公示。名簿から外れ自由契約選手に。
その後は「他の球団から声がかかるのを待っている状況」と本人がコメントしていた。
鳥谷選手のロッテ入団でのコメント
鳥谷選手は球団を通じて、3月10日コメントを発表しました。
「千葉ロッテマリーンズの一員となれることを嬉しく思います。今は感謝の気持ちしかありません。とにかくチームの優勝に少しでも貢献できるように精一杯、プレーをさせていただきます」という内容です。
鳥谷選手のロッテ入団がもつれた理由
オープン戦が中盤に差し掛かるも交渉がまとまらず「このまま引退か」とまでささやかれていたが、開幕にギリギリ間になって、鳥谷選手のロッテ入団が決定しました。
なぜ、ここまでもつれたのかについてです。
というのも、3月以降の契約は日本のプロ野球では異例です。
最近では2018年3月9日にカブスをFAになった上原が巨人と契約した例があります。
現役時代から沖縄で自主トレをともにするなど、鳥谷を知り尽くしている井口監督の存在も大きかったようです。
今回の決定に至るまでにはクリアすべき問題も多かったという。
大きなネックとなったとみられるのは、鳥谷と球団の交渉の間に立った、代理人的な人物の存在。
金銭面の条件はともかく、出場試合数の保証など、球団サイドには受け入れがたい条件が複数、含まれていたが、最終的には鳥谷サイドが譲歩したという。
それもこれも、鳥谷選手の「勝負をしたい」という強い思いが先に立ったからなのだろう。
ロッテは、15年ぶりの優勝のためにも鳥谷の力と経験が必要と判断。
チームは若返りを図っており、ベテランにレギュラーを確約できる状況ではないが、それでも、鳥谷選手の「勝負をしたい」気持ちは強い。
ロッテナインたちも鳥谷の加入を熱望。
「選手の間ではロッテに来てほしいという意見が圧倒的に多いんです。野球に対する取り組み、姿勢がお手本になるほど素晴らしいと聞いているので、みんな『一度一緒にやってみたい』と…」と、鳥谷入団を切望する選手も多かったようです。
鳥谷選手のロッテ入団を西岡剛内野手が祝福
元阪神、ロッテの西岡剛内野手が3月10日のインスタグラムで、ロッテ移籍が決まった鳥谷敬選手を「なぜか他人の事なのに凄く嬉しいです」と祝福した。
「トリさん入団おめでとうございます なぜか他人の事なのに凄く嬉しいです」と祝福し阪神時代に二遊間を組んだ先輩の移籍を喜んでいました。
鳥谷選手の現役続行の決意
8月29日の朝、球団から引退勧告を受けた。甲子園の中日戦が雨で流れた夜、自宅に戻ると子供5人をリビングに集めた。
「パパ、クビになった」
いつもは強気な次男でさえ言葉を失った。
「えっ…辞めるの?」
今にも泣きだしそうな子供たちに約束した。
「大丈夫。また野球できるように頑張るから」
顔面死球で鼻骨を折った時も、レギュラーの座を奪われた時も、いつだってはい上がる姿勢で生き様を伝えてきた。
「子供は誰だって、親がプレーしている姿を見ていたいものだから」
子が願うのであれば、父親はどんな困難にも立ち向かっていける。
5年契約最終年の今季は不調も響き、一気に出番が激減した。心身ともに追い詰められていく中、ふと思い出した言葉がある。
「サラリーマンだったら、そんなことしょっちゅうだぞ」
チーム状況など環境の激変もあって大きく立場が変わっていった数年前、何げない雑談の中で父からかけられた言葉だ。周りのせいにはしない。日々、ベストを尽くし続けた。
もちろん、プロは結果がすべて。開幕後、進退の2文字が頭から離れることはなかった。2軍に落としてください-。何度願い出ようとしたことだろう。
「なんか引退って、すべてが終わった感じがして悲しい言葉だよな。でも引退を転職って考えたら、すごく前を向ける気もする」
そう寂しそうに笑ったこともある。
38歳。髪の根元には白色も現れた。身を引くべきか。あがくべきか。周囲の声は嫌でも耳に入ってきた。「タイガースで終わってほしい」。感謝した。「もう限界だろう」。負けん気が騒いだ。
想像を絶する苦悩の中、愛妻たち家族から送られた言葉は今も忘れない。
「まだ動けるなら、やればいいじゃない」。救われた。
「子供にいつも逃げるなって言ってきたから」。最後は父の覚悟が、現役続行といういばらの道を選ばせた。
「この先どうなるか分からないけど、自分がやってきたことを信じて、新しい野球人生を頑張ります」
鳥谷は、現役続行の決意を新たにした。
鳥谷敬(とりたに・たかし)1981年(昭56)6月26日生まれ、東京都出身。聖望学園で3年夏に甲子園出場。早大に進学し、2年春に東京6大学史上最速タイで3冠王に輝くなど活躍。03年ドラフト自由枠で阪神入団。2年目の05年に遊撃の定位置を獲得し、1939試合連続出場はプロ野球2位、全イニング連続試合出場667は同5位。17年9月に通算2000安打を達成。180センチ、79キロ。右投げ左打ち。
鳥谷のメジャーへの可能性について
長年鳥谷を見続けてきたメジャーのスカウトたちが口を揃えるのは、「あと5年、いや3年早くメジャー挑戦に乗り出していたら、大活躍しただろう」という意見があります。
メジャーでは年齢がネックになることが多く代理人を務めるスコット・ボラス氏は鳥谷を「日本のカル・リプケン」「日本のアイアンマン(鉄人)」と呼び、その体の強さとスタミナを強調したが、大方の見方は「峠を越した」というものだった。
この見解は、もし、3年前に鳥谷が、メジャーの挑戦していれば、メジャーでのプレイしている姿が見られたことになります。
今更ながら惜しいきがします。
まとめ
今回は、「元阪神鳥谷ロッテ入団決定、年俸、ポジションは?これまでの経緯」というテーマでお送りしました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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