「たむたむたいむ」DJのかぜ耕士さんが死去しました。享年76歳。作詞家で放送作家のかぜ耕士さんが9月26日に亡くなりました。プロフィールや作詞した曲など紹介。
目次
かぜ耕士死去
深夜放送全盛期の70年代から80年代にかけて、ニッポン放送「たむたむたいむ」などのDJとして若者に絶大な人気を誇った、作詞家で放送作家のかぜ耕士さんが9月26日に亡くなりました。
かぜ耕士さんは13年にギランバレー症候群で入院したが、翌年退院。
ここ数年はエフエムさがみ「かぜ耕士のどこかでラジオ」でDJを務めていたが、最近は体をこわして静養していた。
かぜ耕士さんは日大芸術学部演劇学科在学中の67年12月に、故永六輔さんの門下に入って放送作家デビュー。69年には作詞家としてシング・アウトが歌った「涙をこえて」がヒットした。
ー これがオリジナル!「涙をこえて/シングアウト」
72年にNHKラジオ「若いこだま」のパーソナリティーを務め、73年4月から78年6月まではニッポン放送の月曜から金曜までの帯の深夜番組「たむたむたいむ」のDJを務めた。アフリカの民俗楽器、たむたむの音色から始まる番組で、爽やかな声の優しい語り口で若者たちの兄貴分と慕われた。
その後もパーソナリティー、作詞家、放送作家として活躍。
2013年8月には指定難病のギラン・バレー症候群に襲われたが、厳しいリハビリに耐えて、翌年FMさがみ「どこかでラジオが」で復活した。
復活した際に日刊スポーツの取材に「若いなんて言えない年で病気になった。でもリハビリは苦しいなんて思っちゃいけない。
何だって苦しいと思えば苦しい、明るくやろうと思った。人生で習い事をしたことがなかったけど、先生の言う通りにやろうと思った。我流の人生だったから、リハビリで初めてほめられて不思議な気がした」と笑いながら答えた。
その後はファンと交流を持って、映画や音楽などについて語り合うなど、独自の活動を続けてきた。近年は体調不良で仕事を休む事もあったが、最後までマイペースの活動を続けて慕われた。
かぜ耕士プロフィール
かぜ耕士(こうじ)1944年(昭19)7月13日、埼玉県生まれ。比企郡嵐山町出身。
日本大学芸術学部卒業。
作詞家・放送作家・ラジオパーソナリティ。
1968年4月アイ・ジョージ「太陽よ永遠なれ」で作詞家デビュー。
1969年69年に放送作家として活動開始。72年10月NHKラジオ「若いこだま」パーソナリティー。
1973年年4月から78年6月までニッポン放送「たむたむたいむ」。78年4月から79年12月まで文化放送「セイ!ヤング」。80年7月から81年10月まで「オールナイトニッポン」。
1987年映画「ラッコ物語」脚本担当。13年からFMさがみ「どこかでラジオが」を担当。
ー 映画 ラッコ物語 CM 1987年
中学生、高校生時代は東京都墨田区向島の美容院に預けられて過ごす。
東京都立本所高等学校卒業後、ミュージカル俳優を目指して日本大学芸術学部演劇学科入学。
大学在学中の1967年、永六輔主催の創作集団「ニコニコ堂」に入所、筆名「かぜ耕士」。
大学卒業後の翌年1968年4月に作詞家としてデビュー。デビュー作はアイ・ジョージの曲『太陽よ永遠なれ』。
このころ、『3時のあなた』(フジテレビ)、『走れ!歌謡曲』(文化放送)でアシスタントディレクターとして働いていたこともある。
1969年からは放送作家としても活動開始、テレビ、ラジオの番組でレギュラーを持つ。
1970年よりNHK総合テレビで『ステージ101』が放送開始、同番組の構成と共に『涙をこえて』『脱線列車にのり込んで』『お昼は何にしましょうか』などオリジナルソングの作詞も手掛ける。
『涙をこえて』は、第1回合歓ポピュラーフェスティバル優勝曲であるが、永六輔が海外取材のため代わりにかぜ耕士を抜擢。みごとグランプリを獲得した。
1972年4月から約6か月間『土曜ショー』のインタビュアー、ナレーターを務める。
同年10月からNHKのラジオ番組『若いこだま』の土曜日にレギュラー出演、ラジオパーソナリティとしても活動を始める。深夜放送が若者の間でブームの中、『たむたむたいむ』で人気を得る。その後、『セイ!ヤング』、『オールナイトニッポン』と深夜放送の代表的な番組でパーソナリティーを担当。
1981年10月、『かぜ耕士のオールナイトニッポン』終了。ラジオのレギュラーパーソナリティとしての座からは離れ、単発番組出演や、CMのナレーションなどを務める。
1984年、主な活動場所をテレビ番組の構成に移し、情報番組、ドキュメンタリー番組の構成を多く手掛ける。この時から風小路将伍というテレビ用のペンネームを使い始める。
1985年、『そこが知りたい』の「通勤線途中下車」シリーズの構成を始める。
1999年4月から『バックグラウンド・ミュージック』(TBSラジオ)の構成の担当を始める。
同番組では再びかぜ耕士の名前を使い始める。
2013年6月 エフエムさがみ(FM HOT 839)、「かぜ耕士のどこかでラジオが」のパーソナリティでラジオ復帰。8月よりギランバレー症候群で入院、2014年1月に退院した。
4月にラジオパーソナリティーに復帰、出演を続けている。
かぜ耕士が作詞した曲
作詞曲
あいざき進也「ダウンタウンひとりぼっち」
ー あいざき進也「ダウンタウン、ひとりぼっち」
伊勢功一「今夜の雨は女の涙」
春日八郎「おさみし谷の子守唄/明日に微笑はない」
ー おさみし谷の子守唄 春日八郎
ー 明日に微笑はない 春日八郎
72年のアルバム『熱血の歌声』から。作詞:かぜ耕士、作曲:小室等
鹿内タカシ「モカの香り」
西崎みどり「おもいで湖畔」
ヤング101「涙をこえて」
市川光興「夕陽のまつ」
かぜ耕士の動画
ー かぜ耕士オールナイトニッポン最終回1981.10.1①
ー かぜ耕士オールナイトニッポン最終回1981.10.1②
ーかぜ耕士 たむたむたいむ 最終週1 [お便り読みっぱなし]の傑作集 (1978.05.30.TUE)
ーかぜ耕士の「どこかでラジオが」 2014年6月21日放送
まとめ
今回は「かぜ耕士死去、プロフィールや作詞した曲など!」というテーマでお送りしました。
最後までご覧いただきありがとうございました。