中江滋樹の現在の情報です。つい最近、中江 滋樹 がアパートで孤独をしていました。かつて、「兜町の風雲児」と言われ、政財界、マスコミにも関係し、当時アイドルだった倉田まり子を芸能界引退まで追い込んだが、詐欺罪で実刑判決を受け、晩年は金銭にも困窮した
た波乱万丈人生でした。中江滋樹はどんな人物だったか。そして死亡時の様子や死亡間際の様子などをまとめます。
目次
中江 滋樹氏 がアパートで孤独死したときの詳細
中江 滋樹氏のつい最近までの住居は、東京都葛飾区でした。
木造アパートに住んでいた中江 滋樹氏の部屋から出火。
普段からあまりアパートの住民同士の付き合いはなかったそうです。
そして、部屋の住人は、黒焦げの遺体をDNA鑑定した結果は、損傷がひどくて判定困難で、結局歯形から中江滋樹氏本人と断定しました。
出火原因は、寝たばこと見られます。
中江 滋樹氏 の最近の様子
一時は詐欺事件の関係で地方に身を隠していたようですが、十数年前から東京に戻っていたそうですが、金銭的には困窮していたみたいです。
ただ、やはり以前のように、相場の研究だけは欠かさなかったようです。
株式のチャート本は必ず手元に置いておいたそうです。
おそらく、焼けたアパートの部屋にもあったかもしれません。
そして、最近は食欲がないとこぼしていたそうです。
知人が元気をつけようと、年明けにしゃぶしゃぶに誘ったところ「久しぶりにたくさん食べられることが出来た」と喜んだそうです。
アイドル倉田まり子との関係
1980年代当時『レッツゴーヤング』のサンデーズの一員として1978年4月からレギュラー出演したアイドル倉田まり子さんとの関係もわだいんいなりました。
倉田さんは、その後芸能界を引退しています。
本名が坪田まり子で、芸能界から引退後は、国際法律事務所の秘書、資格試験予備校LECの執行役員・講師を経て2003年に独立起業。
坪田まり子の名でキャリア・カウンセラーとして、大学生への就職指導、企業・自治体向けのプレゼンテーション能力向上や営業力強化等の研修ビジネスを手がけ、各地での講演活動を行っています。
2008年からの国立大学法人東京学芸大学特命准教授を経て、2015年4月より東京学芸大学の特命教授(キャリア支援担当教授)を務めています。
中江 滋樹氏 の全盛期の様子
中江 滋樹氏 は、当時、投資ジャーナルグループの会長でした。
600億円近いお金を持ち証券界で暴れまわりました。
田中角栄元首相やテレビ朝日元専務の三浦甲子二氏などの政財界、マスコミの大物から
可愛がわれました。
そして1989年、詐欺罪で懲役6年の実刑判決を受けます。さらに、1998年、預かった54億円の手形を焦げ付かせ姿をくらませます。命の危険を感じ身を隠していたようです。
まとめ
今回は、「中江 滋樹 がアパートで孤独死、アイドル倉田まり子との関係は」というテーマでお送りしました。
亡くなられた、中江 滋樹のご冥福をいのります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。