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マット・キーオ死去、プロフィール、結婚、家族、実績

投稿日:

元阪神エースのマット・キーオ氏が64歳で死去。来日1年目で開幕投手を務めるなど通算45勝。オークランドAの哀悼のTwitterを紹介。1984年に女優のジーナトマシナと結婚しました。シェーン、カラ、コルトンの3人の子供がいました。日本。アメリカでの実績。

マット・キーオ

マット・キーオ

元阪神エースのマット・キーオ死去

元阪神のエースとして活躍したマット・キーオ(Matt Keough)氏が64歳で亡くなりました。

 

記事では「アスレチックスの80年代前半の“5人のエース”の1人だったマット・キーオ投手が、南カリフォルニアで金曜日に亡くなった。64歳だった。死因は明らかになっていない」と伝えた。

キーオ氏はアスレチックス、ヤンキースなどを経て1987年に阪神に入団。移籍1年目から開幕投手を務めると11勝を挙げる活躍を見せ、3年連続2桁勝利をマーク。阪神では4年間在籍し通算107試合に登板し45勝44敗、防御率3.73をマークしていた。

 

アメリカスポーツ紙は以下のように伝えています。

元Aのピッチャー兼エグゼクティブであるマットキーオ氏が64歳で死去。

カリフォルニア州オークランド
元オークランド陸上競技の投手で特別補佐官のマットキーオ氏が亡くなりました。 64歳だった。

「マットは偉大な野球選手であり、オークランドAの誇りでした」

「彼はゲームへの信じがたいほどの情熱を持っていました、そして私たちは、豊富な知識を持っていた彼と長年にわたって、特別なアシスタントとして私たちと一緒に働いてくれたことは幸運でした。彼は野球で触れたすべての人に忘れられない印象を残しました。私たちの心からお悔やみを申し上げます。」

と、チームの野球運営担当副社長ビリー・ビーンは声明で述べました。

 

オークランドAのTwitterでは、キーオ氏の哀悼を伝えています。

Oakland A’s @Athletics

The A’s organization mourns the loss of former pitcher and special assistant Matt Keough.

“He left an unforgettable impression on everyone he touched in baseball. Our sincere condolences are with the entire Keough family tonight.” – Billy Beane

Oakland A'sTwitter

Oakland A’sTwitter

 

訳) A’sチームは、元投手で特別アシスタントのマットキーオ氏の死を悼んでいます。

「彼は野球で触れたすべての人に忘れられない印象を残しました。私たちの心からの哀悼の意は、今夜、すべてのキーウ一家族全員と共にあります。」 -ビリービーン

「マットは偉大な野球マンであり、オークランドAの誇りでした」と、Aの野球運営担当副社長であるビリー・ビーンは、チームが発表した声明で述べています。

「彼はゲームへの信じられないほどの情熱を持っていました、そして私たちは彼と彼が特別なアシスタントとして働いていた長年にわたって私たちと一緒に彼の豊富な知識を持っていて幸運でした。彼は野球で触れたすべての人に忘れられない印象を残しました。私たちの心からお悔やみを申し上げます。

 

マット・キーオ

マット・キーオ

1973年のMLBドラフトでAが7ラウンド目を獲得したキーオは、1977年にメジャーリーグでデビューしました。

1年後、ルーキーとして唯一のオールスターセレクションを獲得し、シーズン32で3.24 ERAでシーズンを終えました。開始します。

1983年、Aはキーオをニューヨークヤンキースとトレードし、後にセントルイスカージナルス、ヒューストンアストロズ、シカゴカブスでプレーすることになりました。

キーオは、彼の9年間のMLBキャリアを215試合で4.13 ERAで終えます。

今週初め、元Aのマイナーリーガーであるミゲルマルテがコロナウイルスとの戦いで亡くなりました。

マットキーオ

マットキーオ

マット・キーオのプロフィール

マシュー・ロン・キーオ は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。

父のマーティ・キーオも元プロ野球選手であり、1968年にNPBでプレーした経験がある。

出身地: アメリカ合衆国 カリフォルニア州ポモナ

生年月日
1955年7月3日
没年月日
2020年5月2日(64歳没)
身長:6′ 3″ =約190.5 cm

体重:190 lb =約86.2 kg

選手情報
投球・打席
右投右打
ポジション:投手

プロ入り
1973年 ドラフト7巡目
初出場
MLB / 1977年9月3日
NPB / 1987年4月10日
最終出場
MLB / 1986年10月2日
NPB / 1990年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
オークランド・アスレチックス (1978 – 1983)
ニューヨーク・ヤンキース (1983)
セントルイス・カージナルス (1985)
シカゴ・カブス (1986)
ヒューストン・アストロズ (1986)
阪神タイガース (1987 – 1990)

マットキーオ

マットキーオ

マット・キーオ氏の結婚、家族

マットキーオは、1984年に女優のジーナトマシナと結婚しました。

マットキーオ.ジーナトマシナ

マットキーオ.ジーナトマシナ

 

その後二人は、別居しました。

ジーナトマシナ

ジーナトマシナ

 

マットキーオとジーナトマシナ夫婦には、シェーン、カラ、コルトンの3人の子供がいました。

シェーンとカラ

シェーンとカラ

 

長男であるシェーンは、第3世代のプロ野球選手であり、2006年6月にオークランドアスレチックスのクラスA系列会社とマイナーリーグ外野手として署名しました。

 

娘のカラはNFLプレーヤーのカイルボスワースと結婚しました。

キーオは、マーティキーオの息子とジョーキーオの甥で、どちらもメジャーでプレイしました。

彼の息子であるシェーンキーは、2006年から2010年までマイナーリーグの外野手でした。

Matt Keough

Matt Keough

 

ジーマ・トマシナの詳細は、以下にあります。

ジーナトマシナ(ジーナトマシノ)の生い立ち、現在、出演映画、テレビ。

 

マット・キーオの日本でのエピソード

父のリチャード・キーオの縁で日本に滞在したことがあるため、日本語が、程々しゃべることができ、「ちょっとマット・キーオ(待っときいよ)」といった洒落を言った。

 

また、ひょっこりひょうたん島を幼少期に日本に滞在していた時によく見ていたらしく、特にドン・ガバチョが好きだったそうである。

ひょっこりひょうたん島 ドン・ガバチョ

ひょっこりひょうたん島 ドン・ガバチョ

 

そして球宴休みには家族で宮崎旅行をし、一度も英語を使わなかったと言われている。

マット・キーオ実績

オークランド・アスレチックスには内野手として入団するが、マイナー時代に打力が低いこともあったが、投手としての才能を見いだされ1976年にコンバート。1977年に早くもメジャー昇格。

アスレチックスは1970年代前半はワールドシリーズ3連覇を達成したが、フリーエージェント(FA)制度ができるとレジー・ジャクソンら黄金時代を築いたスターが軒並み移籍して、チーム力は低下していた。

ルーキーイヤーの1978年には、打線の援護がなく8勝15敗に終わったが、防御率3.24とまずまず好投。

しかし、1979年は開幕から14連敗を喫するなど2勝17敗の散々な成績に終わった。

9月5日にシーズン初勝利を挙げるまで、前年から続く28先発連続勝利なしのMLB記録を作った。

1980年には自己最多の16勝(13敗)をあげ、カムバック賞を受賞。

 

1982年まで3年連続2けた勝利をあげるが、1983年途中にはニューヨーク・ヤンキースに移籍。1984年はメジャーでの登板がなく、1985年はセントルイス・カージナルス、1986年にはシカゴ・カブス、同年途中にはヒューストン・アストロズに移籍し、1987年に阪神タイガース入りした。

 

なおキーオのメジャー最後の試合は、1986年10月2日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦だが、最後に対戦した打者は翌年広島東洋カープに入団する代打のリチャード・ランスで、一塁ゴロに討ち取っています。

 

この時、キーオのチームメイトとしてランスの打球を処理した一塁手がグレン・デービス(のち阪神タイガース)であり、二塁走者はジャイアンツの代走として二盗を成功させていたダン・グラッデン(のち読売ジャイアンツ)でした。

 


Oakland A’s All Stars Episode 20 – Matt Keough (1978)

 

弱体化した阪神投手陣の中で、オープン戦で好成績を残したことから、入団1年目でいきなり開幕投手を務めるなど、名実ともに阪神のエースとして活躍しました。

 

なお、日本球界でのプレー経験が過去に全くない、入団1年目の外国人投手が開幕投手を務めたのは日本球界で初めてでした。

また投手ながら、阪神在籍中2本の本塁打を放った。なお日本プロ野球史上4組目の親子本塁打達成者でした。


ー       阪神 キーオ 来日2号

 

2本目は1989年5月23日の中日戦(福井県営球場)で杉本正からソロ本塁打を打っている。

通算4年間阪神に在籍し、ストレートとカーブを武器に、打線の援護の少なかった当時では驚異的な記録と言える、3年連続2桁勝利(特に1989年は15勝)を含め45勝を挙げました。

 

これは1985年の優勝後、最下位に沈むなど低迷した当時の阪神投手陣の中では貴重な存在でした。

 

1989年に15勝を挙げて翌1990年も期待されたものの、オープン戦で登板中に足を故障したことが影響して出遅れ、結果7勝に止まったことから自由契約となってしまいます。

 

中村監督は、就任当初はキーオ解雇も考えていたが、さすがに年間15勝挙げる投手は切れなかった、とのこと。


1988年7月 阪神 マット・キーオ投手 巨人打線に素晴らしいピッチング 懐かしい

 

岡田彰布は、これまで一緒にプレーした外国人投手の中で、一番印象に残っている選手としてこのキーオを挙げる。特にカーブが絶品で、キーオが投げる姿を後ろから見ていて「これは(今日の試合は)勝てるな」と感じた、と述べている。

 

セシル・フィルダーとは1989年に阪神でチームメートとしてプレー。

阪神退団後はキーオもメジャーリーグ復帰を狙ったが、オープン戦で頭に打球を受け、頭部の血の塊を取り除く緊急手術のために出遅れ、3Aエドモントンでプレイとなった(フィルダーは阪神退団翌年に本塁打王を獲得)。

元阪神の藪恵壹投手を高く評価しており、藪が2004年オフにFA宣言した時、アスレチックスに獲得を進言、入団させたのも、日本球界を良く知る彼の功績でした。


ー 阪神マット・キーオの完投勝利 ヒーローインタビュー

 

まとめ

今回は、「マット・キーオ死去、プロフィール、結婚、家族、実績」というテーマでお送りしました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

-スポーツ

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