真相解明された「ディアトロフ峠事件」とは?60年前に雪山で9人が怪死した「ディアトロフ峠事件」をついに真相解明。ロシア検察が結論づける。# Diatrov Pass case
目次
ディアトロフ峠事件とは何?
ディアトロフ峠事件とは、1959年2月2日の夜、当時のソ連領ウラル山脈北部で雪山登山をしていた男女9人が不可解な死を遂げたことで知られる事件です。
事件は、ホラート・シャフイル山(Kholat Syakhl、Холат-Сяхыл、マンシ語で「死の山」の意)の東斜面で起きました。
当時の調査では、一行は摂氏マイナス30度の極寒の中、テントを内側から引き裂いて裸足で外に飛び出したとされた。遺体には争った形跡はなかったが、2体に頭蓋骨骨折が見られ、別の2体は肋骨を損傷、1体は舌を失っていた。
さらに何人かの犠牲者の衣服から、高い線量の放射性物質が検出された。
事件は人里から隔絶した山奥で発生し生還者も存在しないため、いまだに全容が解明されず、不明な点が残されている。
当時のソ連の捜査当局は「抗いがたい自然の力」によって9人が死に至ったとし、事件後3年間にわたって、スキー客や探検家などが事件の発生した地域へ立ち入ることを禁じた。
ロシア当局が真相解明?
ロシア連邦最高検察庁がこのほど雪崩によるものと結論付けた。
実に「ディアトロフ峠事件」の事件発生から60年が経っている今です。
解明結果
・ウラル連邦管轄区検察局次長アンドレイ・クリヤコフ氏によると、死因は低体温症で、遺体の損傷は雪崩による雪の圧力による。
・一行は雪崩の危険から逃れるために、自然の防波堤となる尾根の裏側へ避難。これは正しい判断ではあったが、当時、視界はわずか16メートルと限られており、テントを見失ってしまった。
・そこで彼らは焚き火をしたが、火は1時間後には消えてしまい、2名が低体温症で死亡。一行はここから二手に分かれて、テントを探した。
・一行のリーダーであったイーゴリ・ディアトロフが率いたグループは、テントの方向へはって向かったが、森を離れた途端に突き刺すような風に吹かれることになった。マイナス40~45度という寒さの中、テントにたどり着くことも叶わず、やがて凍死に至った。
・もう一方のアレクサンドル・ゾロタリョフが率いたグループは、雪を掘って寒さをしのごうとしたと推測。だが、そのせいで雪崩を起こして潰されてしまった。遺体に見られた骨折は、重さ数トンもの雪の圧力によるものだ。
・「彼らの戦いは英雄的なもので、パニックに陥るようなことはなかった。が、それでも生還するチャンスは残されていなかった」
ディアトロフ峠事件の動画
この不可解なディアトロフ峠事件を動画で詳細を見てみましょう。
ー The Dyatlov Pass Case
1959年に、ロシアのハイカーのグループがシベリアの雪山を横断している最中に神秘的に亡くなりました。彼らの死は今日まで解明されていないままです。このビデオでは、この謎を解明するために利用可能な刑事事件ファイル、剖検レポート、ハイカー自身が撮った写真を調べています。
そして独自の真相解明の結果を論じています。
新しい文書によりロシア政府は不可解な事件の解明をを再開する。
ーNew Documents Cause Russian Government To Reopen Mysterious Case | Expedition Unkown
ジョシュゲイツは、ディアトロフ峠事件の詳細と矛盾する文書を明らかにしました。この新たな発見により、ロシア政府はさらなる調査のために事件を再開しました。
残された疑問!とは
まず、何人かの犠牲者の衣服から、高い線量の放射性物質が検出されたことが未解明。
そして、一人の死体は舌が無かった。
発見された2名は、防寒具を全く来ていなくて、薄着のまま、木に登ろうとした形跡があった。
まとめ
今回は「真相解明された「ディアトロフ峠事件」とは?残された疑問!」というテーマでお送りしました。
最後までご覧いただきありがとうございました。