ヴァンフォーレ甲府は26日、元日本代表FWハーフナー・マイクの加入を発表した。背番号は44。移籍が決まって発表されたコメントの内容。父のハーフナー・ディド詳細。ハーフナー・マイクの結婚、家族、兄弟、生い立ち、経歴について。
目次
ハーフナー・マイクがヴァンフォーレ甲府へ移籍
ヴァンフォーレ甲府は26日、元日本代表FWハーフナー・マイクの加入を発表した。
背番号は44。移籍に当たってのメッセージは、「お久しぶりです。ファン、サポーター、スポンサー企業の皆様、そしてすべての山梨県民の力をお借りして、J1昇格に向けて頑張ります。
現在世界的にも、新型コロナウイルスの影響で、大変な思いをされている方がたくさんいますが、日本の良さである団結力を発揮し、万全の予防策で乗り越えていきましょう」とコメント。
ハーフナーは横浜ユースから2006年にトップ昇格。アビスパ福岡、サガン鳥栖に期限付き移籍した後、2010年から甲府でプレー。
2012年からは欧州へ渡り、フィテッセ、HJKヘルシンキ、デンハーグなどでプレーし、2017年にヴィッセル神戸へ移籍してJリーグへ復帰。
2018年はベガルタ仙台、19年はバンコク・ユナイテッドへ期限付き移籍していたが、今年1月で契約満了となっていた。甲府へは9年ぶりの復帰となる。
ハーフナー マイク選手 加入インタビュー
ハーフナー・マイクの経歴
J1通算77試合21得点、J2通算90試合42得点。国際Aマッチは18試合4得点。
2008年はアビスパ福岡に期限付き移籍。ピエール・リトバルスキー監督の下で大久保哲哉と共に攻撃の中心としてFW・サイドMFで出場し、26試合で7得点を挙げた。
翌2009年にマリノスへ復帰したが、新加入の渡邉千真の活躍もあり5月にサガン鳥栖へレンタル移籍し、同じくマリノスからレンタル移籍した山瀬幸宏と共に2トップを組んでゴールを量産し、シーズン15得点を上げチームに貢献した。
2009年シーズン終了後に複数のJ1、J2クラブから勧誘を受けた中でヴァンフォーレ甲府へ完全移籍。20得点を挙げてJ2得点王に輝き、エースストライカーとして甲府のJ1昇格に貢献した。
2011年シーズンも甲府に残留。リーグ戦では得点王となったジョシュア・ケネディの19得点に次ぐ日本人トップの17得点を挙げJリーグベストイレブンに選出された。クラブでの活躍を受けて、2011年8月に行われた日本代表合宿に初招集され、9月2日のワールドカップアジア3次予選の北朝鮮戦でA代表初出場を果たした。10月11日のタジキスタン戦(長居)では代表初ゴールを含む2得点を挙げ、チームの勝利に貢献した。
ハーフナー・マイク Mike Havenaar ゴール集 Skills & Goals 2015/2016
ハーフナー・マイク プレー集 -Mike HAVENAAR 2009-2010-
ハーフナー・マイクの父ハーフナー・ディド詳細
父のハーフナー・ディド詳細です。
国籍は、日本。生年月日1957年9月26日現在62歳。
出身地 オランダ 南ホラント州ラインヴァウデ
身長 187cm 体重 88kg
父のハーフナー・ディドは、マツダ、名古屋グランパス、ジュビロ磐田などでプレーし、横浜F・マリノスなどでGKコーチを務めました。
生い立ちは、7歳時、サッカーを見てフィールド内でボールを足で蹴る選手と全く違う動きをしている他選手を見て衝撃を受けゴールキーパーという存在を知りました。
サッカーを始めた8歳時「ハーツズクルツ・ボーイズ」にゴールキーパーとして入団、以降ゴールキーパー一筋になる。
1986年、当時日本サッカーリーグ(JSL)1部所属のマツダSC(現サンフレッチェ広島)監督のハンス・オフトに誘われコーチ兼任選手として来日。
1993年から1994年にかけ一家全員で日本国籍取得。
その後はジュビロ磐田(GKコーチ兼任)、コンサドーレ札幌などで選手として活躍。
現役引退後、コンサドーレ札幌や横浜F・マリノスでGKコーチを務め、2007年は流通経済大学コーチ。
2008年から2011年9月まで名古屋グランパスアシスタントコーチを努めた。
2011年9月から2012年までは清水エスパルスのトップチームコーチを務めた。
2013年、韓国Kリーグに渡り、徐正源率いる水原三星ブルーウィングスのGKコーチに就任した。
選手時代は、試合前練習でサポーターからコールが起きると手を振って応えるなど、ファンを大切にする姿勢をみせていたため広く親しまれていた。
札幌では引退してGKコーチになったあとも、試合前練習のGKのパートナーとしてグランドに出るとサポーターからコールが起きていたほど人気があった。
横浜FMのコーチとしても試合前にもディドのコールが時折起き、その都度手を振り応えていた。
ハーフナー・マイクの家族
父は、ハーフナー・ディドでGKだった。
1986年、マツダSC(現サンフレッチェ広島)監督のハンス・オフトに誘われコーチ兼任選手として来日。
1993年から1994年にかけ一家全員で日本国籍取得。
ハーフナー・マイクは、3人兄弟で日本で生まれる。
母親は、ギッダ。
父は、ハーフナー・ディドが、は、信藤克義、猿沢茂、高橋真一郎、木村孝洋ら地元広島出身者と共に、天皇杯決勝進出に貢献し、JSLベスト11に選ばれた日本での全盛期に1987年に長男としてハーフナー・マイクは生まれる。
姉と弟がいます。
弟の次男ニッキは、6歳年下。
家族でサッカーをトレーニングし、長男のマイクをFWに次男ニッキをDFに見立てた“自身”のGKトレーニングを父子で行なっていました。
ハーフナー・マイクの生い立ち
オランダ出身の父ディド・ハーフナーー家2男1女の第二子として広島で出生。
日本生まれ。
生年月日 1987年5月20日(32歳)
出身地 広島県広島市
身長 194cm
体重 92k
少年期は父の自主練習相手としてボールを蹴る。
コンサドーレ札幌U-15では西大伍とホットラインを形成し多くのゴールを奪った。
中学生時に既に同学年で一番の高身長であったが、そこから短期間でさらに身長が伸びたためランニングフォームが成長に追い付かず苦しんだ。
父の移籍に伴って横浜F・マリノスユースに移り、2006年にマリノスのトップチームに昇格した。同年にはU-18日本代表に招集され背番号9番のエースストライカーを任された。
子供の頃は家庭ではオランダ語、インターナショナルスクールでは英語、日常生活とサッカーでは日本語を使用したためトライリンガルとなった。日本語が母語で、頭で考える時は日本語を使う。
父とはサッカーについてよく話すが、自身のキャリアや移籍などの決断について父から特別な影響を受けたことはないと語っている。
サポーターには自身を「マイクと呼んで欲しい」と呼びかけている
ハーフナー・マイクの結婚
2011年5月16日に一般女性と結婚し、8月5日に第一子となる長女が誕生した。
その後離婚し2019年11月22日、「いい夫婦の日 結婚しました」と自身のTwitterで再婚を発表。
まとめ
今回は、「ハーフナー・マイクがヴァンフォーレ甲府へ。経歴、結婚、父親、家族、生い立ち」についてお送りしました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。