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ミルコ・クロコップの戦績、生い立ち、出身、身長、現在など

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ミルコ・クロコップの戦績、生い立ち、出身、身長、現在などを紹介。ミルコ・クロコップは、クロアチアの元男性格闘家。チーム・クロコップ主催。PRIDE無差別級グランプリ2006王者。RIZIN無差別級グランプリ2016王者。K-1 WORLD GP 2012王者。エメリヤーエンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと並んでPRIDEヘビー級三強と称された。2019年3月2日現役を引退。

ミルコ・クロコップ

ミルコ・クロコップ

 

目次

ミルコ・クロコップの出身、身長、体重、リングネームの由来など

ミルコ・クロコップは、1974年9月10日 生まれ。

出身は、クロアチアのヴィンコヴツィ

身長188cm

体重100kg

 

元警察官で、リングネームの「クロコップ」は、英語で「クロアチア人のコップ(警官)」の意味がある。

総合格闘技の試合では立ち技主体で勝負するストライカーであり、左ハイキックを武器に多くのKO勝利を挙げた

 

 

ミルコ・クロコップの現在

クロアチア国会議員を、2003年 から 2007年まで務める。

2019年2月16日、Bellator初参戦となったBellator 216でロイ・ネルソンと約8年ぶりに再戦し、3-0の判定勝ちを収め、リベンジに成功した。

2019年3月2日、トレーニング中に頭痛が続き医師の診断を受けたところ、脳内血管から微量の出血痕が確認され脳卒中と診断を受けたため、現役引退を表明した。

 

本人は「今まで何度もこれが最後だと言い続けながらカムバックしてきたが、これが本当の終わり」「再び頭に衝撃を受けることはできない。これが現状」とこれについてコメントした。

ミルコ・クロコップの生い立ち

ユーゴスラビアの都市、ヴィンコヴツィに生まれる。

少年期に暮らしていた町が民族紛争に巻き込まれ、友人たちが次々と死んでいくという過酷な経験をきっかけに格闘技を始める。

この時期のことをミルコは後年、「その頃の私は戦争に対する怒りに任せて、ひたすら体を鍛え続けるようになっていた。自分が強い男になってみんなを守り、もう誰も死なせないと心に誓ったからだ」と述懐している。

当初は専門的なジムに通う経済的余裕も無く、ほぼ独学で空手、キックボクシングなどの習得に励んだ。

ミルコの弁によると15歳の頃に空手を始めたが、ユーゴスラビア紛争の激化により断念。

紛争が収まった数年後にようやくトレーニングを再開、19歳でキックボクシングに転向したという。

幼少期から紛争地帯で凄惨な光景を目の当たりにしてきたためか、インタビュー内で「戦争は愚かで悲しいだけだ」と述べるなど、戦争に対する激しい嫌悪を公言している。

 

ボブ・サップ戦の前日記者会見で当時開戦したばかりのイラク戦争に言及が及ぶと、涙ながらに反対を表明した。

 

ミルコ・クロコップの戦績

1996年3月10日、「K-1 GRAND PRIX ’96 開幕戦」でK-1初代王者であるブランコ・シカティックの一番弟子として、ミルコ・タイガーのリングネームで日本格闘技界に初登場。

 

前年GP準優勝者のジェロム・レ・バンナからダウンを奪い、3-0の判定勝ちを収めた。

ジェロム・レ・バンナ

ジェロム・レ・バンナ

5月6日の「K-1 GRAND PRIX ’96 決勝戦」では準々決勝でアーネスト・ホーストのテクニックとローキックに翻弄され、3RにTKO負けを喫した。


 K 1 1996 Ernesto Hoost vs Mirko Cro Cop

この試合以降ミルコは師シカティックと決別し、3年間に渡って日本のリングから遠ざかった。その間はアマチュアボクシングの試合にも多く出場しており、その他様々な格闘技を経験している。

1999年4月25日、「K-1 REVENGE ’99」に出場し、約3年ぶりのK-1復帰を果たした。

ミルコ・”クロコップ”・フィリポビッチとリングネームも変え、ヤン・”ザ・ジャイアント”・ノルキヤに左ストレートで4RKO勝ちを収めた。

、ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ

、ヤン・”ザ・ジャイアント”・ノルキヤ

 

6月20日には「K-1 BRAVES ’99」に出場し、準々決勝でリッキー・ニケルソンにK-1のリングでは初となる右ハイキックで1RKO勝ち。

準決勝ではジャビット・バイラミに延長1R判定負けを喫し、GP開幕戦の出場権を逃したものの、怪我人の発生で推薦枠で10月3日の「K-1 GRAND PRIX ’99 開幕戦」に出場を果たした。


★ Mirko Cro Cop ★ Xhavit Bajrami vs Mirko Filipovic CroCop 1999

 

マイク・ベルナルドからハイキックでいきなりダウンを奪うと、一気にラッシュを叩き込んで2つ目のダウンを奪って1RKO勝ちし、K-1四天王の1人を倒したことで一躍脚光を浴びるようになる。


K 1 ミルコ vs ベルナルド

 

12月5日の「K-1 GRAND PRIX ’99 決勝戦」では、緒戦の準々決勝では武蔵に2RKO勝ち。


Musashi vs. Mirko CroCop – K-1 GP ’99 FINAL

 

準決勝でサム・グレコに2RKO勝ちして決勝まで駒を進めたが、武蔵戦で痛めた脇腹を、続くグレコ戦でも痛めて肋骨を骨折してしまったこともあり、決勝ではアーネスト・ホーストにその部分を徹底的に攻められボディ打ちで3RKO負けを喫し、グランプリ準優勝に終わった。


Sam Greco vs. Mirko CroCop – K-1 GP ’99 FINAL


Mirko CroCop vs. Ernest Hoost – K-1 GP ’99 FINAL

 

その後リングネームを現在のミルコ・クロコップに変更している。

かつてのやや細身で迫力を欠く体格は見事にビルドアップされ、更にポーカーフェイスの精悍な顔つきも相まって「ターミネーター」のニックネームが定着。

この頃から人気と実力を兼ね備えた、次世代を担う選手として注目されるようになった。

2000年3月19日、「K-1 BURNING 2000」で天田ヒロミと対戦。元暴走族と現役警察官の対決だったため、天田は暴走族を、ミルコは警官隊を引き連れて入場するというパフォーマンスを披露した。なお試合は4RでミルコのKO勝ちであった。


【K-1】BURNING2000 天田VSクロコップ

 

6月3日にはアンディ・フグのスイスでの引退試合の相手を務める。お互い決定打に欠けたが、手数で勝ったフグに判定負けとなった。少年の頃からフグに憧れていたというミルコは、母国引退となるフグを笑顔で讃えた。


★ ANDY HUG ★ Mirko CroCop vs Andy Hug 2000

 

10月9日の「K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA」では、準々決勝でグラウベ・フェイトーザに判定勝ち、準決勝で天田ヒロミに判定勝ちを収めた。このトーナメントのファイナリスト2人が12月の決勝戦へと出場できるため、すでに出場権を手に入れていたミルコは、準決勝で怪我をしたこともあり決勝では無理をせず1R終了後に自らタオル投入によるTKO負けを選択し、決勝の相手マイク・ベルナルドにリベンジを許した。

 

12月の「K-1 WORLD GP 2000 決勝戦」では準々決勝でアーネスト・ホースト相手に延長まで持ち込むものの、終始試合をリードされ0-3で判定負けに終わった。これ以降両者の対戦は実現せず、ミルコは1勝も挙げることはできなかった。

2001年1月30日、「K-1 RISING 2001」で富平辰文に2RKO勝ち。3月17日、「K-1 GLADIATORS 2001」のピーター・アーツ戦では、序盤にハイキックとパンチのラッシュでめ込むも、後半は膝蹴りを受けスタミナ切れを起こし失速。最後はクリンチ合戦となった末、ミルコが辛くも競り勝ち2-0で判定勝利を収めた。


2001.3.17 横浜アリーナピーター・アーツ VS ミルコ・クロコップ

6月16日、「K-1 WORLD GP in MELBOURNE」ではトーナメント初戦でマイケル・マクドナルドと対戦。相手を格下と見て、試合中に腕を回すなどの挑発行為や余裕な態度をとったが、クリンチをして密着した状態でマクドナルドが放ったパンチを顎に受けてグラついてしまいそのままラッシュを受けて1RKO負けし、まさかの初戦敗退となった。


ミルコ・クロコップ VS マイケル・マクドナルド

2001年8月19日、「K-1 ANDY MEMORIAL 2001」にて、K-1と猪木軍との対抗戦に身を投じることとなり、3分5Rの総合格闘技 (MMA)ルールで猪木軍のエース藤田和之と対戦する。


K-1 ミルコ・クロコップ VS 藤田和之(猪木軍) (01.08.19)

試合は下馬評を覆して、藤田のタックルに膝蹴りを合わせ大流血に追い込み、ドクターストップによるTKO勝ちを収めた。後にミルコはこの勝利が大きな転機となったとコメントしている。

10月8日、「K-1 WORLD GP 2001 in FUKUOKA」の敗者復活トーナメントに出場予定だったが、9月11日のアメリカ同時多発テロ事件発生の影響で、当時警察官だったミルコは国内待機となり、GP出場は断念したものの、11月3日、PRIDE.17でPRIDE初参戦を果たした。藤田戦と同じルールでの高田延彦との対戦は、高田が試合序盤でミルコにローキックをカットされ右足踵骨を骨折したためリングに腰を降ろしてグラウンドに誘う作戦に出たが、ミルコはこれを拒否し続け、猪木アリ状態のまま試合は終了しドローとなった。


ミルコ・クロコップvs高田延彦②<PRIDE17>

ミルコは試合後、激怒し「気分が悪い。高田はチキンだ。」「藤田は本物のファイター。高田は偽者のファイター。」と罵倒している。

しかし、後のPRIDEの大会等で記者達から高田が足を骨折していたことを知ると謝罪に近い言葉を述べているようにお互いのわだかまりはなくなっている。

 

そして12月31日、「INOKI BOM-BA-YE 2001」にてプロレスラー永田裕志と総合格闘技ルールで対戦し、試合開始から21秒後には左ハイキック一撃で永田をリングに沈め、「プロレスハンター」と呼ばれるようになった。


 Crocop vs Nagata – 18 sec match

2002年1月27日、「K-1 RISING 2002」に出場。K-1ルールで柳澤龍志に1RTKO勝ち。

 

3月3日の「K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYA」では前年GP王者マーク・ハントと対戦。


ミルコ・クロコップ VS  マーク・ハント

試合序盤はハントを翻弄し、3Rに左ハイキックでダウンを奪う。後半はハントのプレッシャーや打撃により逆襲を受ける展開となってしまうが、その反撃をかわし切り判定で勝利した。試合後には笑顔一つも見せずにハントの祝福にも首を振っていたが、この勝利を以って改めて「K-1王者になりたい」とミルコは語った。

 

その一方で総合格闘技への本格的な挑戦も語った。そして、4月28日のPRIDE.20ではMMA4戦目でPRIDEミドル級王者ヴァンダレイ・シウバと対戦。ルールは3分5R判定なし、グラウンドでの膠着はブレイクの後スタンドからのリスタートという、MMA経験の浅い当時のミルコに配慮した特別ルールとなった。また両者の体重差に配慮して98kg契約だったが、計量時はミルコよりもシウバの方が体重を上回っていた。この試合は「K-1vsPRIDE 頂上決戦」と評された。ミルコの左ミドルキックがシウバの脇腹を抉り、紫色に腫れ上がらせた一方、シウバもミルコから数度のテイクダウンを奪い、スタンドでも手数で上回っていた。試合は規定によりドローに終わる。


MIRKO CRO COP .VS. WANDERLEI SILVA 2002 HIGHLIGHTS

 

再びK-1ルールに舞い戻り、7月14日の「K-1 WORLD GP 2002 in FUKUOKA」では、のちのGP王者レミー・ボンヤスキーにパンチの連打で2RTKO勝ちし、GP本戦の切符を手に入れた。


ミルコ・クロコップ VS  レミー・ボンヤスキー

 

8月28日、「Dynamite!」で桜庭和志と対戦。ルールはミルコにとっては初めての5分3R制のPRIDE特別ルールとなった。なお、体重は20kg近くミルコが重かった。2Rには桜庭にテイクダウンを奪われたものの、脱出の際の顔面への蹴り上げで桜庭の右目が腫れ上がり、眼窩底骨折の疑いでドクターストップがかかりTKO勝利となった。


Dynamite! 2002 桜庭和志 vs ミルコ・クロコップ

 

その後椎間板ヘルニアを理由に「K-1 WORLD GP 2002」を欠場、長期休暇を取ったこの間に長年交際してきた女性と結婚している。

 

大晦日には「INOKI BOM-BA-YE 2002」にて藤田和之とMMAルールで再戦し、危なげない試合運びで返り討ちを果たした。


【1年4ヶ月の因縁決着!】藤田和之vsミルコ・クロコップ<INOKI BOM BA YE 2002>

 

2003年3月30日の「K-1 WORLD GP 2003 in SAITAMA」で当時人気絶頂にあったボブ・サップと対戦。体格差に押されるシーンが多かったがフットワークでいなし、左ミドルからのワンツーでミルコのKO勝利。


ミルコ・クロコップ VS ボブ・サップ

勝利直後、普段はKO勝利してもクールなミルコにしては珍しくリングサイドに駆け上がり、雄たけびを上げた。

風邪を引いて高熱でコンディションが悪く、母国クロアチアでは衛星生中継されている重圧から開放されてうれしかったと後に語っている。

なお、クロアチアでのこの試合の視聴率は約50%であった。

試合後、サップは右眼窩内側壁骨折および右眼窩壁骨折と診断されたため、ミルコは記者から「目を狙ったのか?」という主旨の質問を投げかけられたが、本人は「お前の目はいったいどこを見ていたんだ?」と答えた。これを境にミルコはK-1、キックボクシングからしばらく離れる。

 

2003年6月8日、PRIDE.26からPRIDEシリーズに本格参戦。当時のPRIDEヘビー級3強の1人と言われたヒース・ヒーリングと通常PRIDEルール(1R10分、2・3R各5分)で対戦、強烈な左ミドルキックからのパウンドでTKO勝利。


ミルコ・クロコップ(Mirko Cro Cop) vs ヒース・ヒリング(Heath Herring)

試合後、ミルコはエメリヤーエンコ・ヒョードルが保持するPRIDEのヘビー級タイトルへの挑戦を宣言。なおこの試合は母国クロアチアでも当日ディレイ放送され70%超の視聴率を叩き出した。

 

8月10日、「PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦」でイゴール・ボブチャンチンに強烈な左ハイキックで1R1分29秒KO勝利。

ヘビー級タイトルマッチへの挑戦を決定的なものとした。


ミルコ・クロコップ(Mirko Cro Cop)vsイゴール・ボブチャンチン

 

10月5日には「PRIDE武士道」に参戦。自らこの試合をタイトルマッチのためのクールダウンと称し、ドス・カラスJrに左ハイキックで1R46秒でKO勝利。


Mirko ‘Cro Cop’ Filipovic vs Dos Caras Jr. Pride Bushido 1

 

11月9日、「PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦」ではアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの対戦を迎えた。

本来ならこの大会でヒョードルとのタイトルマッチが行われるはずだったもののヒョードルの怪我により暫定王座決定戦となっていた。

1Rはミルコが打撃で圧倒し、終了間際に左ハイキックを放ち、完全な形ではないがヒットさせてノゲイラからダウンを奪った。2R開始直後、初めてテイクダウンを奪われるとパウンドを浴びて、グラウンドの展開から脱出しようとした際にノゲイラに腕ひしぎ十字固めを極められてしまいタップアウト負け。


 Cro Cop vs Minotauro Nogueira

これにより総合格闘技での無敗記録がストップした。

試合後のセレモニーで、暫定王者のベルトを与えられるノゲイラの姿を見つめながら、ミルコはリングの片隅で涙を浮かべていた。

 

大晦日には「INOKI BOM-BA-YE 2003」に出場し高山善廣と対戦予定だったが、直前になって出場をキャンセルした。

2004年2月1日、PRIDE.27でロン・ウォーターマンと対戦。序盤からいきなりテイクダウンを奪われるも、スタンドに復帰後すぐさま左ハイキックでダウンを奪い、サッカーボールキックを浴びせてKO勝利。


MIRKO CRO COP vs RON WATERMAN

 

2週間後、2月15日の「PRIDE 武士道 -其の弐-」では山本宜久にTKO勝利する。


Mirko Cro Cop vs Yoshihisa Yamamoto

 

4月25日、「PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦」のPRIDEヘビー級GP1回戦でケビン・ランデルマンと対戦。満を持して臨んだトーナメントで、ミルコを優勝候補に挙げる声も多かったが、1R1分57秒、左フックからのパウンドでまさかの失神KO負けを喫した。


MIRCO CRO COP FILIPOVIC vs KEVIN RANDLEMAN

 

トーナメントから早々に脱落したミルコはワンマッチでの出場を続け、5月23日の「PRIDE 武士道 -其の参-」では金原弘光に粘られるも判定勝利。


14 Hiromitsu Kanehara vs Mirko Cro Cop Filipovic PRIDE Bushido 3 23 05 2004

 

7月19日の「PRIDE 武士道 -其の四-」では大山峻護と対戦。

左アッパーでKO勝利。

8月15日の「PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦」ではPRIDEヘビー級王者ヒョードルの弟のエメリヤーエンコ・アレキサンダーと対戦、20キロ以上の体重差を問題にせず左ハイキックでKO勝利。

観衆はミルコの鮮烈な復活劇を歓喜で迎えた。

この勝利により、ミルコはようやくPRIDEトップ戦線への返り咲きを果たした。

10月31日、PRIDE.28での第10代パンクラス無差別級王者・元UFC世界ヘビー級王者ジョシュ・バーネットと対戦。


Mirko “Cro Cop” Filipovic vs. Josh Barnett

 

「最後の大物」とも呼ばれたバーネットとの対決は、ファンの期待を大いに高めたが、1R46秒、バーネットの左肩の脱臼によるタップアウトにより、勝利するも消化不良のまま終わった。

 

12月31日の「PRIDE 男祭り 2004」ではケビン・ランデルマンと再戦、フロントチョークで一本勝ちを収め、リベンジを果たした。


ミルコ・クロコップMirko Cro Cop vs ケビン・ランデルマンKevin Randleman

 

2005年2月20日、PRIDE.29でマーク・コールマンと対戦。コールマンのタックルを完封し、1R3分42秒右アッパーでKO勝ちし、PRIDEヘビー級王座への挑戦権を獲得。


PRIDE ミルコ・クロコップVSコールマン (舞台裏映像)

 

 

6月26日には「PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND」でヒョードルと同門のイブラヒム・マゴメドフと対戦し、左ミドルキックでKO勝利。


PRIDE.1 MIDDLE WEIGHT GP SP マッチ ミルコ・クロコップ vs イブラヒム・マゴメドフ

 

見事に前哨戦を制した。8月28日、「PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦」でついにエメリヤーエンコ・ヒョードルの持つヘビー級王座に挑戦。


エメリヤーエンコ・ヒョードル vs ミルコ・クロコップ

 

「21世紀最初の世紀の一戦」と評されたこの試合でヒョードルはオランダのルシアン・カルビンの元で特訓した打撃で攻め込み、ミルコはバックステップで下がりながらも打撃をヒットさせるが、1R中盤にテイクダウンを奪われるとそこから一気にヒョードルペースとなる。

2、3Rはスタンドでもヒョードルにリードされた。ミルコはヒョードルの攻撃にガードポジションで耐えたものの、ヒョードルの優位は動かず判定0-3で敗れ、王座獲得に失敗した。

 

10月23日、PRIDE.30でジョシュ・バーネットと再戦。


ジョシュ・バーネットvsミルコ・クロコップ【Josh Barnett vs Mirko Crocop】

 

「ミルコには間合いを空けずプレッシャーをかけ続ければ良い」という持論をバーネットが実践、打撃が思うように出せず劣勢に立たされる。終盤にスタンドでパンチを集めることに成功し、3-0で判定勝利を収めた。

 

大晦日は「PRIDE 男祭り 2005」において、2004年からPRIDEへ参戦したマーク・ハントとのストライカー頂上対決が組まれるも足首の負傷と体調不良による高熱により序盤から調子が上がらず、ハントに主導権を握られる。左ハイキックを完璧にヒットさせる場面もあったが、結果1-2で判定負けを喫し、K-1時代のリベンジを許してしまった。


PRIDE 男祭り 2005 ミルコクロコップ VS マーク・ハント

判定ではジャッジの1人がミルコに票を入れるが、会場からはブーイングが沸き起こった。足首の負傷のためかこの試合ではミルコにしては珍しくレスリングシューズを履いて試合を行った。

 

2006年5月5日、「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦」に出場し、1回戦で美濃輪育久に1R1分10秒、パウンドでTKO勝利。

 

2回戦となる7月1日の「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND」では、日本重量級のエース吉田秀彦と対戦し、ローキックによるTKO勝利。


25 Hidehiko Yoshida vs Mirko Cro Cop 01 07 2006

 

9月10日の準決勝でヴァンダレイ・シウバと4年ぶりに再戦。シウバのパンチを殆ど見切り、更にシウバを右眼負傷に追い込み、左ハイキックで失神KO勝利。因縁の再戦を完全勝利で収めた。


ミルコ・クロコップVSヴァンダレイ・シウバ

 

この試合は、「ファンが選ぶ2006年ベストバウト&MVP」のベストバウトにて1位となった。

 

続く決勝ではアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを準決勝で破ったジョシュ・バーネットと3度目の対戦。


ジョシュ・バーネットvsミルコ・クロコップ【Josh Barnett vs Mirko Crocop】

 

序盤から圧倒しボディブローでダウンを奪うとインサイドガードから鉄槌・パウンドを連打。この時の攻防でミルコの手がバーネットの眼に当たり、一時的に視力を失ったバーネットがタップアウト。

アクシデントも手伝ったが、内容は一方的なものであり、バーネットは「今日はミルコのための夜だった」と讃えた。

自身の32歳の誕生日に初めてのメジャータイトルを戴冠し、リング上で男泣きするミルコの姿に、会場からは暖かい拍手が送られた。

 

優勝により、エメリヤーエンコ・ヒョードルの持つPRIDEヘビー級王座への挑戦権を手にしたものの、UFC移籍のため行使することはなかった。前述の「ファンが選ぶ2006年ベストバウト&MVP」のMVPにて、ミルコは2位に選ばれた。

 

まとめ

今回は、「ミルコ・クロコップの戦績、出身、身長、現在など」というテーマでお送りしました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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