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数学力は、豊かに生きるために、「生きる力」の必須なもの。
今回は、数学力を切り口に「生きる力」を考えてみます。この場合の数学力は、
算数力、計算力を含めて、数学力と表現していきます。
数学というと、嫌いな教科NO1なくらい、嫌いな教科と思われがちですが、今の私たちの快適な暮らしは、数学をベースとした理数系の技術力によって発展してきました。
「生きる力」といっても、豊かさを求めない暮らしであれば、数学力は、必須では無いでしょう。だだ、もはや、豊かさを享受しきってきた私たちにとって、豊かさのない生活は苦痛で耐えられないものでしょう。
ゆとり、教育によって起きた「中1ギャップ現象」
「生きる力」を育むために実施された「ゆとり教育」でした。ですが、教科履修時間の3割削減は、当然ながら、問題がでました。とりわけ算数、数学は大きな問題が起きました。
学力低下の程度は、例えば、OECDの国際学力調査PISAで、ゆとり教育実施まえの2000年で、日本は、数学力1位、科学力2位、読解力8位だったのが、2006年には、数学力10位、科学力6位、読解力15位という結果であった。
まさに、私も目のあたりにした、惨憺たる学力低下を裏付ける結果になりました。
中一ギャップの話をします。
このゆとり教育後すぐに問題化したのがとりわけ、中学1年の数学でした。新中一生の4人に一人が数学の授業について来れなくなってしまったのです。
疑問に思うかもしれませんが、ゆとり前もゆとり後も、中1の数学のスタートは、「正負の計算」「文字式」です。この部分で、もはや、落ちこぼれ状態の生徒が、一クラスに、7~8人はいることになります。
私の、塾でも、母親が、いぶかしげに「小学校の担任は中学にいっても大丈夫といっていました。成績も算数は『良い』でした。どうしてこんなことに?」という会話が何度も繰り返されました。
おそらく、小学校の教師は、小学校の算数で、少数は10分の1まで、円周率は3でいい。みたいな雰囲気に教師自体が真っ先に浸ってしまったんでしょう。
実際はゆとり教育になっても、中1では、「正負の計算」「文字式」と進みます。それは、以前と変わりません。
2009年度発表の「次期学習指導要領」の概要発表では?
先ほどの、「ゆとり教育」では、数学は、「生きる力」には全く不要のような、教育内容でしたが、最新の「次期学習指導要領」の内容についての政府広報を見ると少し安心します。
「次期学習指導要領」の政府PRとして、「理数の力をはぐくみます。算数では、大切な内容を反復(繰り返し)して、学習します。算数的活動・数学的活動を充実します。観察・実験を充実させます。」とあります。
私も、まったく異論がありません。かつて、実際の教育現場も知らない教育評論家が、反復計算を批判して、私が有効と考える「百マス計算」も批判の的になったのがウソのようです。
なぜ、数学力が「生きる力」の大事な要素なのか!
ここから、本筋に入ります。今までの説明で、今は国も「数学力」を重要視していることがおわかり頂けたでしょう。
数学力を低下させたこと一点にしぼって言えば「ゆとり教育」は失敗だったと言われてもしかたがないでしょう。
まず、私たち、個人の暮らしの中でも、「数学力」は生かされています。例えば、身近な例で挙げると、ある時、イベント会場の売り場で働くバイトの女子高校生がいて、私が360円の商品を買って、1000円払ったとき、その子は電卓で計算して、「はい、おつりは、640円ですね!」。
まあ普通はキャッシュレジスターがあるんでばれないでしょうが、横にいた、当時小学校5年生だった私の息子も目が点になってしまいました。
この子は、将来お嫁さんになって、家計をしきってちゃんとできるのだろうか?思わず心配になってしまいました。
かつての日本における優れた教育機関であった「寺子屋」でも「読み」「書き」の後にはそろばん(算術)を教えていました。当時の日本人も、計算力が生きていくためには大切な「生きる力」であることを認識していたのでしょう。
数学力こそが日本人の豊かに「生きる力」である!
かつて、日本の高校生の数学力は日本一でした。私が高校生のころもそうでした。数学が高校になると、一気に難しくなります。大半が文系選択で逃げていきます。ですが、だからこそ今の日本の繁栄がありました。
日本は、ものづくりで外貨を稼いできました。そのものづくりを支えるのが、数学力そして理科力です。
したがって、数学を始めとした理数科教育の質を下げることは、即国の衰退を意味します。貧困すらも将来避けられません。ほかに外貨を稼ぐ手段を今のところ持たないからです。
現代生活になくてはならない電気のはなし
実は、私たちの生活でなくてはならない電気も「数学力」なくしては使いこなせません。
国の最新の学習指導要領のPRでも、小学校6年で「電気の利用、エネルギー変換、発光ダイオードの利用」をただ一つだけ例として掲げています。
車も電気自動車がもっと普及するでしょう。すでに、ヨーロッパでは、その流れが加速しています。
高校の数学で「数字には、実数と虚数がある」ことを学習します。そして、その実数と虚数の関係を計算式で求めます。
生徒は、高校数学を習っていると、たまに、「これって、何の役に立つんですか?」なんて疑問に思うのが普通です。
私の塾では、今の虚数(複素数)や微分・積分が世の中で具体的にどのように応用されているかを教えます。生徒のやる気を起こさせるには非常に有効です。
さて、話がそれましたが、例えば、先ほどの虚数の概念を使わなければ、家庭に供給されている交流電力は表現できません。
電気の世界では、電圧と電流の位相のずれた電力を「無効電力」といい虚数をつかって表し、コントロールします。実際、無効電力は、役に立たない電力だからです。
微分積分にしても、私たちの身の回りの電気機器の「制御」(目標値にあわせ最適にコントロールする技術)には古典的制御のPID制御をベースに使います。Pは比例成分、Iは積分成分、Dは微分成分を意味し、すべてが数学です。
制御技術は、エアコンの空調コントロールから、宇宙ロケット打ち上げまで、様々なところで使われています。間近にくる自動車の自動運転も制御技術がたくさん使われます。
すこし専門的になってしまいましたが、言いたいことは、「数学」がこれほど私たちの生活に寄与しているということです。
キャッシュレスの時代に必要な数学力
今や、キャッシュレスの時代です。この面においても数学力が「生きる力」として、ものを言います。
例えば、消費税です。大手スーパーは意図的に、税抜き価格表示をします。今までなら、そこで買い物をする消費者が自分で1.08倍して実際の購入価格をイメージします。
例えば表示価格が850円なら購入価格は即座に頭の中で、8×8=64、5×8=40なので表示価格に68をたして、918円と計算し、「900円超は高いからやめておこう」とか賢い主婦はやっています。しかし、こんな賢い主婦がだいぶ減りました。
最近10%に税率がなったんで、もう心配ない、とおっしゃるあなたは少し甘いです。遠からず12%、15%になりますから。
そして、お金の裕福な人には関係ありませんが、限られた収入をやりくりしている人ほど、はまってしまうのが、クレジットカードのキャッシング、そしてリボ払いです。
これには、高校の数学で学習する等比数列を使った「複利計算」が必要です。まあそこまで正確に金利計算しなくても例えば「リボ払い」などの金利を実際計算してみてくだい。
そうすれば、お金に余裕がないひとほど多くのお金を搾取されている現実がわかってきます。そうすれば、少し切り詰めてでも無駄な金利払いから卒業できます。
経済が発達すればするほど、数字のトリックが、他でも使われます。だから数学は「生きる力」の要素だと思います。
自動車の運転でも数学力、理科的センスは命を救います。
突拍子もない話にも聞こえるでしょうが、あながちそうとも言えないかもしれません。
毎年、交通事故で、多くの人が、なくなっています。
最近、問題の「あおり運転」で車間距離を後続者が詰める問題の「車間距離」の話は自動車学校で散々やるんでここではしません。
私は、長さが12mの総車重量20t(20000kg)の大型トラック、バス(二種免許)を運転できる免許を持っていて、実際に運転もできますが、別にトラックでは無くても、一般の乗用車でも1t~1、5tは車の重量があります。
この間の大津の交差点での園児を殺傷したあの事故もそうですが、あの交差点で歩道に突っ込むほどの結果になるためには、今、5年の禁固刑を求刑されている右折車の運転者も、さらに相手の対向車に乗っていた運転者も、たとえ道交法では、優先的立場にあって法的には裁かれなくても、歩道に、歩行者がいて、右折車両とは近接せざるをえません。おのず出せるスピードが限定されます。
何を言いたいかというと、車の破壊力は、その車の重量と速さの掛け算です。P=mv
で洗わあします。Pが運動量、mは重さ(質量)、vが速さです。pは運動量で表現しますが、言ってしまえば破壊力です。重量1tのものを高速スピードで移動させていることの破壊力を認識できていれば、とる行動は「減速」です。
ましては、荷物を積んだ大型トラックは、乗用車の20倍の破壊力になります。
今でこそ大型トラックは最高速度95km/hのリミッターが装着されましたが、それ以前は130km/hで走っている大型トラックはざらにいました。運転者は、無思慮に車間距離を詰め、そして、事故になれば大惨事になっていました。
だから、少しでも数学のセンスがドライバーにあれば、もっと事故は減るのではと考えます。
計算力の低下現象が、時代とともに起きています。
計算力は、私たちの時代より今の生徒は、落ちています。
まあ、私の時代は、小学生の時は、まだ、電卓は手元になく、物理、化学の計算問題もすべて手計算、大学では、3行×3列の行列計算も手計算、これがすごかったんです。
時代が違うと言ってしまえば、それまでですが、頭で即座に計算ができるメリットは。エンジニア時代には、大変役にたちました。例えば、技術的ディスカッションをしていても、停滞が起きません。
私個人としては、これからも、数学力の高さで世界一のものづくりのできる国で今後もあってほしいし、それが、豊かさを堅持する最良の道だと思います。
最後にインドの話をします。インドは、発展途上国で長年ありましたが、数学教育で二けた×二けたの九九(日本式に言うと九九九×九九)を取り入れて、世界的にも優秀なプログラマーを大勢輩出しています。
国際的に考えても数学力は、「生き抜く力」として重要だといえる事例だと思います。
まとめ
今回は、「生きる力と「数学力」の関係を考え、生きる力を備える子ども教育を提案します」というテーマでお送りしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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