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若者の「蛭子化」、自分の気持ちに正直に生きてきた男の本音は何か?

常に己を貫き通してきた。かつては理解されなかった生き方に、若者の共感が集まっています。自分の気持ちに正直に生きてきた蛭子能収の本音が、いまの若者に共感をあたえているのでしょうか。蛭子能収の生き方を探ります。

蛭子能収

 

 蛭子能収の生き方「飲み会スルー」「ブランド離れ」「SNS断捨離」

 

蛭子能収さんは、以前からプライベートで人と接することを嫌い、飲み会や打ち上げにも可能な限り行かないそうです。

昨年末、忘年会などの飲み会に行きたくない若者たちのトレンドになった「忘年会スルー」を、はるか昔から実践していたそうです。

 

また、ブランド品にも興味を示さないといいます。

高度経済成長やバブル景気に沸いた昭和を生き抜いた世代にとって、高級な車や時計の所有は一つのステータスだった時代のなかで、蛭子さんは39年前に当時勤務していた清掃会社
の退職祝いで同僚からプレゼントされた腕時計を今も身につけているそうです。

と、ある意味では我が道を行く生き方をしてきた蛭子さんですが実は、今の時代の価値観を先取りしてきたのかもしれません。

少し前までの時代は「飲み会スルー」は、周囲からも変わり者、付き合いがわるいなどの悪いイメージのレッテルを張られその中で生き抜くのは勇気がいました。

変わり者のレッテルをはねのける勇気は万人がまねできるものではありませんでした。

「ブランド離れ」にしても、かつては、どんな「ブランド」を身に着けているかで、尊敬もされ、人の価値さえ判断された時代でもありました。

他人からよく見られたい」という思いからブランド品をつけているひとも多いと思います。

蛭子さんの「人目をなるべく気にしない、他人から不幸に見えるくらいでちょうどいいんですよ」という感覚が蛭子流を生み出していて、そこまで、徹すれば逆に「楽にいきられる」だからこそ今の「若者の蛭子化」。共通しているところがあるのかもしれません

 

「SNS断捨離」については、日本人の場合、トレンド、流行に乗らなければ、世間から置いてけぼりをくうという恐怖が働きます。これも勇気がいることです。

蛭子さん流でいうならば「人と違ってもいい」と、トレンドを追わないことで自分を解放しているきがします。

蛭子さんは「下手に嘘をついて、取り繕うと、後にもっと苦しくなる。」とも言っていますが、これも、見栄や外見を捨てきれない人間の悲しい嵯峨で陥るわなかもしれません。

最初から蛭子さん流に「他人から不幸に見えるくらいでちょうどいいんですよ」と思えれば自分を解放し楽に生きられるきがしますね。

若者の「蛭子化」は、今若者がそんな世間から自分を「解放」した生き方、価値観に向かっているかもしれません。

こんな蛭子さんの生き方に関しネットでもいろいろな声があがっています。

 

「この当てのない世の中、無理をしないでも良いと思わせてくれるスタイルが共感を呼ぶのかも。付き合いで参加する飲み会ほど苦痛なものはないし。」

「他人から不幸に見えるくらいが丁度いいって言葉に、ちょっと納得しました。
不幸に、というか周りより少し劣ってるというか、目立たないくらいがいいのかなって。
その方が謙虚でいられそうな気がします。」

「これも才能のひとつで、真似しようとしても出来ないし、本気で真似したい人もそういないだろう。笑
父もこのタイプだけど本人は気楽で楽しそう。
だけどホント、みんながこうなったら大変だし、ちゃんとした人もいた方がいいし、ちゃんとした人の方が当たり前だけどちゃんとしててエライです。」

「こういった面も必要なんだろうなと思う。
必要以上に自分を大きく見せる事も見栄を張る必要もないと思うし、マイペースというか素の自分のままで良いんじゃないかと気付かせてくれたと思う。
必要以上に見栄を張って頑張っても長続きはしないだろうし。」
引用:https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200216-00010000-ytokushu-ent

今回は「若者の「蛭子化」、自分の気持ちに正直に生きてきた男の本音は何か?」というテーマでお送りしました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

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