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志村けん追悼まとめ。加藤茶弔辞、行きつけのレストラン、親族との最期の別れ

志村けん

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志村けん追悼まとめ。志村けんの緊急追悼番組での加藤茶弔辞。志村けん常連店の麻布十番オーナーシェフの思い。小柳ルミ子のブログで志村けんへの思い。親族との最期の別れの様子。志村けんさんへの追悼の書き込みなど。行きつけの麻布十番の最期の目撃情報。

 

志村けん

 

目次

志村けんの緊急追悼番組での加藤茶弔辞

志村けんの緊急追悼番組での加藤茶弔辞の内容です。

「弔辞 志村、ひどすぎるぞ、おまえ。一番若いおまえが俺たち差し置いて天国に行っちゃうなんてなあ。まだ、俺たちと一緒にやらなきゃならないことがたくさんあっただろ。

それを勝手に一人で先に逝っちゃうなんて、おまえはバカだよ。天国の長さんも、まさか、おまえが最初に来るなんて思ってなかっただろうな。

ビックリしたと思うよ。

長さんの次は高木ブーだと思っていたもんな。

でも、久しぶりに二人っきりでいろんな話ができるから、長さんも喜ぶんじゃねえかな。

まあ、いずれそう遠くないうちに俺たちもそっちに行くと思うから、それまで長さんと酒でも酌み交わしながら、ドリフの新しいネタでも考えといてくれよ。

5人がそっちに全員集合したら、そっちのお客さんを大爆笑させようぜ。

約束だぞ。

じゃあ、それまでゆっくりと休んでくれ。大好きな志村へ。

 

令和2年4月1日、ザ・ドリフターズ・加藤茶」

 

この弔辞のあと、仲本工事は「全く同じ(気持ち)ですね」と。

高木はすこし沈黙してから、微笑みながら「決めたの。決めました。46年間、ドリフターズとして、志村とずっと一緒にやってきた人間で普通の人とは違うんだね、僕らは。志村は死なないの。ずっと生きている」。


加藤茶弔辞「志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう」

 

ドリフターズのメンバーの思いで

志村けんさんの緊急追悼番組「志村けんさん追悼特番46年間笑いをありがとう」の番組中でドリフターズのメンバーが志村けんさんのことを語りました。

志村さんはドリフのリーダー・いかりや長介さんの付き人から、1974年4月1日、正式にドリフのメンバーとなりました。

加藤茶は「まだ志村が死んだって信じらんないんですよね。今でもすーっと出てきそうな気がして。あまりにも早かった…ですよね。多分本人も分かってないと思いますよね、死んだこと」とコメント

仲本工事は、「一番若い志村が…先に逝くなんてのは、思ってもみなかったからね」

「でもこの最初(冒頭にかかっている)音楽、暗いと思うね、もっと明るくいってほしいなと思う」と音楽に注文。

ドリフとコント番組で共演した研ナオコも、「ほんとにこの音楽や(いや)だな。音楽はすごくけんちゃんも詳しくて、みんなミュージシャンですからね、ドリフのメンバー。これは選ばなかっただろうな、と思って」と述べる。

 

オープニングは「G線上のアリア」でした。

高木ブーは「僕ね、長さん(いかりやさん)の枕元で『バカヤロー!』って言った。

もしか、志村の枕元いったら、また『バカヤロー!』って言ってるかもしれないです。…つらいです」

昔の懐かしい映像を見ながら、ドリフターズのメンバーは笑い。

加藤茶「階段落ちは全部アドリブです。何をやっても志村がつっこんでくれるんで、安心してボケれる」。

仲本工事「おもしろいね、やっぱりすごいね、リズムも速いし」と志村けんさんを絶賛。

ザ・ドリフターズ

 

 


志村けん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう

 

志村けん常連店麻布十番 オーナーシェフの思い

 

志村けん常連店麻布十番 オーナーシェフは、もう訪ねてくることのない志村けんさんを思い、志村けんさんが、いつも座っていた席を眺め「空席寂しい、つらい」と語りました。

志村けんさんの故郷の東京・東村山市、慣れ親しんだ街麻布十番にも、静かに悲しみが広がっています。

追悼メッセージを掲げたバーもあります。

 

志村けんさんは、六本木から地下鉄で1駅の麻布十番だ。若かりし頃、町内の賢崇寺で除夜の鐘を突いたのをきっかけに、「仕事運が上がった」と喜んでいたといい、以降、大みそかは麻布十番での“幸運の鐘突き”が恒例でした。

志村さんは、麻布十番によく飲みに出かけましたので多くの行きつけの店があります。

 

今年の誕生日直後の2月25日、親族に古希祝いをしてもらったのも、麻布十番のなじみのすし屋でした。

 

志村けんさんが30年前から通っていたイタリア料理店に「クチーナ ヒラタ」があります。

最近でも毎月1~2度のペースで通う常連で、テレビで紹介されたこともありました。

 

オーナーシェフの町田武十さんによると、窓際のテーブル席に座って、静かに夕食とお酒を楽しむのが志村さんのスタイルで、自分で予約を入れて、プライベートでの知人と訪れることがほとんどで、他の来店客に声をかけられると、気さくに写真撮影にも応じていたといいます。

オーナーは「受け止めるのが、つらいです。けんさんにもう召し上がっていただけないと思うと、昨日は調理中に涙をこらえるのに必死で…」と思いを語りました。

 

最後に来店したのは1カ月ほど前。普段通りで咳(せ)きこむ様子もなかったといい、毎回必ず注文する大好物「ウニのリゾット」や温菜などを、赤ワインでした。

 

 

小柳ルミ子のブログで志村けんへの思い

歌手の小柳ルミ子のブログで志村けんへの思いをブログに書いています。

小柳ルミ子さんは、「志村でナイト」放送で志村けんさんの“異変”に気付いていたそうです。

「無理して仕事してたんじゃないの?」とブログに。

歌手の小柳ルミ子さんが3月30日、ブログで、志村けんの訃報を知って以下のようについてつづっています。

「けんちゃん 何でだよー 何でけんちゃん死んじゃったんだよー ショックでショックで言葉が出ない」

4月1日のブログでは、

「昨夜複雑な思いで泣きながら笑いながら『志村でナイト』観たよ」こ書き込む。

この時の3月31日のフジテレビ系「志村でナイト」では、追悼テロップが流れました。

 

「おそらくあれは3月上旬に収録したものだと思う」

「けんちゃん あの頃から具合が悪かったんじゃないの? 無理して仕事してたんじゃないの? けんちゃんが鼻声で具合悪そうだったもの。もっと未然に防げなかったのかと無念だよ」と書いています。

さらに、「もう来週は観れないかと思うと本当に淋しいよ」

「今夜19:00からフジテレビで追悼特別番組やるよ。TBSはやらないのかなぁ~『全員集合!』絶対やって欲しい。やるべきだ!」とも。

小柳ルミ子

 

親族との最期の別れの様子

親族との最期の別れの様子は、あまりにも悲しいことになりました。

志村けんさんは、肉親にさえ臨終の顔を見せることができなかった。

東村山市の志村さんの実家にいる兄志村知之さんは「何もできなかったです」と落胆。

知之さんと妻・サヨ子さんら親族6人は、事務所関係者3人とともに昼ごろに都内の病院へ。

安置室で対面したひつぎは閉まっており、顔は見られなかったという。

「本人には会えなくてひつぎで別れました。(ひつぎに)何も入れられませんでした」。

そのまま斎場に向かう車を見送るしかなかった。

骨を骨つぼに納める『骨上げ』もできず。

感染症対策のため、親族と遺骨を運ぶ車も別々に。

実家の庭で初めて葬儀関係者から骨つぼを手渡された知之さんは「持つとまだ温かいです」と寂しそうに語った。

 

新型コロナウイルス感染症で死亡した人の遺体については、厚生労働省が外気に触れない納体袋に収容し密封することが望ましいとし、遺体に触れる場合、手袋などを着用させるように通達があります。

 

志村けんさんも、通達どおり移送、火葬されました。

入院中も面会はできなかったので、親族が顔を合わせたのは、2月25日の志村さんのすし屋での古希祝いが最期になったしまいました

 

遺影は約10年前の笑顔の写真

コロナ禍が終息した後にお別れ会を予定。

 

知之さんが「みんなで送ってあげたいと思う」と意向を明かすと、サヨ子さんも「駅前の献花台を見て、すごい人だった。日本中の方々が応援してくれていて『すごいニュースになってるんだよ』と声をかけた」といいます。

 

 

知之さんは、最期の対面すらできなかったので、ひつぎに「よく頑張ったね」と声をかけたという。

「やむを得ないけど、残念」と無念そう。

 

昨年の正月以来の“帰省”となった志村さんに「お帰りと言ってあげたい」と語りました。

新型コロナウイルスに無関心な人も見受けられる状況には「感染すると怖いということを、自覚を持ってもらいたいですね」。とも語りました。

 

行きつけの麻布十番の最期の目撃情報

志村けんさんには、麻布十番に行きつけの和食店がありました。

 

その、麻布十番に行きつけの和食店で最後に志村さんを見かけたのは、なんと直前の3月10日に来店していたそうです。

その行きつけの麻布十番の和食屋のは、その時は、友人か仕事仲間と4人で談笑しながら食べ、お酒を飲んでいたということです。

 

今回の志村けんさんの訃報があまりにも突然であったことを物語っています。

 

 

志村けんさんへの追悼の書き込み

志村けんさんへの追悼の書き込みです。

「今まで亡くなった他の芸能人の時は残念だなぁぐらいだったけど、何故か志村けんさんが亡くなったと聞いたら悲しくてショックが大きすぎる。

親戚のおじさんが亡くなった時よりも悲しい。
自分でも何故ここまで悲しいのかわからないが、とにかくショックでたまらない。
こんな思いは初めてです。志村けんさんのご冥福をお祈りします。」

「家族ではないとはいえ、こういう風に直接的に、それも長い間関わっていた人にとってはめちゃくちゃ辛いよね。
会ったこともないのにこれだけ悲しむ人が多いのに、関係があった人の悲しみは計り知れないですよね…」

「テレビで見るだけの自分がこれだけ寂しいんだから、知り合いの方ならもっとだろうな。
兎に角、1日も早いCOVIDー19の終息を願います」

「志村けんさんは、馴染みの店(夜の店?)からの
お客さんが来なくて大変というヘルプにかけつけてたんだそうですね」

「喪失感を紛らわす為に、たくさんの人達のコメントを読みました。
分かったのは、多くの人にとって近い親戚のおじさんのような感覚があったという事。
全くの他人なのに。それ程みんなの心の中にあった存在感が大きかった人だという事。
偉大な人だった。笑わせてもらったのは、幸せな時間だった。」

「昨日はYouTubeでずっとバカ殿を見てた。
笑ってしまったけど、見終わったあとになんか「ああ、もう新しいバカ殿は見れないんだな」と思って、無償に悲しくなって布団のなかでちょっと泣いた。」

「やっといえるようになった。
志村さん、今までご苦労様でした、ご冥福をお祈りします。」
引用:https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200401-00000004-dal-ent

以上、ネットの声でした。

 

まとめ

今回は、「志村けん追悼まとめ。加藤茶弔辞、行きつけのレストラン、親族との最期の別れ」というテーマでお送りしました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

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