森下一徹氏(写真家)のプロフィール。2021年5月4日肺炎のため東京都の病院で死去。享年81歳。森下一徹氏の著書、被爆者を撮り続けた理由。
目次
森下一徹氏(写真家)死去。
森下 一徹氏(もりした・いってつ)氏が2021年5月4日午後11時28分、肺炎のため東京都の病院で死去した。享年81歳。東京都出身。
広島、長崎の被爆者や、米国のビキニ水爆実験で乗組員が被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」事件の写真を撮り続けた。NPO法人「世界ヒバクシャ展」前代表。
森下一徹氏(写真家)プロフィール。
1939年 東京都目黒区生まれ。
1964年初めて被爆者と出合い、以後、広島・長崎の原爆被爆者を永年撮り続け、自身の生きる原点になった。
40年以上にわたって、広島、長崎の被爆者を撮りつづけてきた。
1978年「被爆者」 森下一徹 写真集 自費出版で制作。
1979年 写真展「被爆者」広島。引き続き国内外で展示。
1983年 グラハム財団が、富永さんの目の写真を永久保存。
1981年 ソ連邦60周年記念国際記録芸術写真コンテスト「人間と平和」で「被爆者」がグランプリを受賞。
2002年 NPO法人世界ヒバクシャ展を世界各地のヒバクシャの写真を撮り続けてきた写真家に呼びかけて設立設立。
被爆者の体験と証言を写真で伝え、核兵器も原発もない世界を目指す運動の輪を広げることを目指して6人の写真家(森下一徹・伊藤孝司・ 桐生広人・ 豊崎博光 ・本橋成一 ・森住卓)の写真展を国内外で開催。
2011年 森下一徹が病気で倒れた種6年前から休止していたNPO法人「世界ヒバクシャ展」ら活動を再開。
NPO法人「世界ヒバクシャ展」前代表。
森下一徹氏(写真家)の著書。
写真集「被爆者」(自費出版)
記録写真「被爆者」(ほるぷ)
「遺品は語る」(深沢一夫著、汐文社)
「地球非核宣言」(安斎育郎共著、水曜社)
「被爆者たち」(小峰書店)など。
「被爆者」 森下一徹 写真集
半世紀近くかけて広島・長崎をはじめとする被爆者の写真を撮り続けている森下一徹が1978年に自費出版で制作した写真集。
本書は1981年の改訂版。1945年第二次世界大戦末期の広島と長崎に投下された原爆の被害者に始まり、1954年の原水爆を浴びた第五福竜丸、1964年の原水爆禁止世界大会、1977年の広島で開かれたNGOシンポジウムや統一世界大会、1978年国連軍縮総会の写真を収録。
森下一徹氏が被爆者を撮り続けた理由。
森下一徹氏が広島、長崎の被爆者や、米国のビキニ水爆実験で乗組員が被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」事件の写真を撮り続けた理由を森下一徹氏自身が語っています。
2014年 12月 「世界ヒバクシャ展」主催の「写真家・森下一徹 半世紀の軌跡 ~広島、長崎から世界ヒバクシャ展へ~」トーク&記念パーティー
森下一徹講演。
「被爆者の最高の姿を撮りたかった」
初めて被爆者を撮ったのは、写真学校を卒業してアシスタントをしていたとき。
原水爆世界大会がはじまって10年目に、原水禁と原水協に分裂したため、カメラマンが足りなくなり、1964年の京都大会に呼ばれたのが最初だった。
そこで、長崎の被爆者・渡辺千恵子さんに初めて会った。
彼女が確信に満ち溢れた態度で演説する姿を見て、驚いた。たくましく、美しく、きれいな声で話したからだ。
それまで、被爆者は弱く、みじめな人と思っていた。
それ以来、被爆者をどうとらえたらいいか、考えるようになった。
惨めでかわいそうだから助けなければならない、などと言うのはおこがましい。
自分の写真には、惨めさを出さないで、強さを表現しようと思った。
被爆者の写真を撮りはじめて14年経ち、写真集を出そうと出版社にかけあったが、出版してもらえなかった。
ケロイドや傷をもつ惨めでかわいそうな被爆者の写真でなければ、本にはできないと言われた。
でも、それではだめだ。
それでは、被爆者は喜ばないし、観る人に会われ実を求めてはいけない。
結果的に、そう決意して良かった。
写真集が出版されて一番喜んでくれたのは、被爆者だった。
突然、渡辺千恵子さんの髪の毛が抜けてしまったことがあった。お見舞いに行きたかったが、「強そうにしてるけど、女性だから、髪のない姿を写真家に見せたくないだろう」と言って、周囲の人が入院先の病院を教えてくれなかった。
後に千恵子さんにその話をしたら、「どうして来てくれなかったの?」と責められた。
「あれが原爆でしょう。原爆が原因で髪の毛が抜けたのです」と。
それを聞いて、びっくりしてしまった。自分が弱かったと…。
女性だからいやだろう、と思ったが、被爆者はそうではなかった。その姿を撮ってほしかったのだ。とても残念だった。
被爆者にはそういう強さがある。
それから、自分の思い通りに被爆者を撮ってきた。
被爆者は積極的に撮らせてくれた。だから偽りがない。
フリーライター木村嘉代子氏ののブログより引用。
森下一徹氏の写真展への思い。
森下一徹氏の写真展への思いをご自身が語っています。
「私が写真展で伝えたいこと」
特定非営利活動法人 世界ヒバクシャ展
写真家 代表 森下 一徹
家族に別れを告げることもできず、死の予感さえも与えられず、広島・長崎の原爆は
瞬間的に人間を死に至らしめた。生き残った者は、距離と時間によって放射能の影響を
それぞれに受け、60 年を過ぎた今でもその後遺症に苦しんでいる。被爆者は、ひとりでも多くの被爆者が生きている間に、一日も早く核兵器を無くすこ
とを、「原爆で亡くなった者への約束だ」として、今日も生き抜いている。私の写真集の中には 15 名の被爆者を紹介しているが、その内、生存しているのは 2 名だけになってしまった。
亡くなられた被爆者はそれぞれの生き方で核兵器の廃絶を強く望んでいた。
私の撮った被爆者の姿は地球の財産だと思っている。
核兵器の攻撃を受けた人間がいかに生きたかをじっくり見てほしい。
被爆者が人間として生きる為に、失った「生」を一つひとつ取り戻していく姿は、強靱で美しく、人間の尊厳を見る思いがした。
広島・長崎以外に起きつつある核被害者の数は、広島・長崎の被爆者より遙かに多く、
しかも増え続けている。真の平和を花や木や草の美しい地球の隅々まで浸透させるには
どうすればよいのか。20 世紀に生き活躍した我々の力を結集し、21 世紀の早い時期に核兵器の廃絶を完全
なものにするべく、20 世紀に活躍した文化人の力を発揮する事ができれば、核兵器廃
絶のために強靱に生き抜いた被爆者よりも大きな力になると思うのです。NPO 法人世界ヒバクシャ展は、世界の核被害に遭った人々の写真を、世界中の人々
に見ていただき「核」とは何かを考えてもらいたい。20 世紀に地球の多くの人たちに感動を与えた人たちの力で核兵器の無い平和な世界
を作り出していきたい。核兵器廃絶を目指し
引用:私が写真展で伝えたいこと(森下一徹メッセージ)
森下一徹氏の動画。
ー ヒバクシャの思いを世界へ 森下一徹
広島、長崎の被爆者を40年以上にわたって撮り続けた写真家の森下一徹が
どのような思いで被爆者を撮り、NPO法人世界ヒバクシャ展を設立した
かを語ります。
まとめ
今回は「森下一徹氏(写真家)のプロフィールと著書など!」というテーマでお送りしました。
2021年5月4日肺炎のた81歳で永眠なさった森下一徹氏(写真家)のプロフィール。森下一徹氏の著書、被爆者を撮り続けた理由、動画などをまとめました。
最後までご覧いただきありがとうございました。