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マモル・マヌー死去、プロフィールや動画など!

ザ・ゴールデンカップスのマモル・マヌーさんが死去しました。享年71歳。死因は心筋梗塞でした。

マモル・マヌー

目次

マモル・マヌー死去

マモル・マヌー

9月1日横浜・本牧から生まれた日本初のR&Bバンド「ザ・ゴールデン・カップス」のドラマー兼ボーカリストのマモル・マヌー(本名・三枝守)さんが、心筋梗塞で亡くなったことがわかりました。71歳でした。

 

マモル・マヌーさんは、ザ・ゴールデン・カップスで「長い髪の少女」、「愛する君に」などのヒット曲を歌い、甘いマスクとブルージーな歌声でグループ・サウンズを代表するシンガーとして人気を集めた。

マモル・マヌー

最近はマモルさんの熱烈なファンであった母親の介護を続けながら赤坂BLITZでの50周年ライブや、フジロックフェスティバルに参加。今月には東京都内でコンサートを予定していたが、新型コロナウイルスの影響で延期となった。

 マモル・マヌープロフィール

マモル・マヌー

マモル・マヌー(Mamoru Manu)は、1949年6月3日生まれ、ドラマー、ボーカリスト。本名は三枝 守(さえぐさ まもる)。山口県出身、横浜育ち。

 

1949年6月3日、山口県で誕生し、すぐに横浜に移る。

マモル・マヌー

 

子供の頃から米軍キャンプに出入りし、バンドのボーカリストとして活動を始める。

 

デイヴ平尾の誘いにより、「平尾時宗とグループ・アンド・アイ(後のザ・ゴールデン・カップス)」を結成、

マモル・マヌー

1967年6月、「いとしのジザベル」でデビュー。3枚目のシングル「長い髪の少女」で初めてソロ・パートを担当して以降、その凛々しく甘いルックスでアイドル的な人気を博し、ゴールデン・カップスの活動を支えた。

マモル・マヌー

ザ・ゴールデン・カップスでは、ドラムス兼ボーカルだったが、再結成後はボーカルに専念することが多い。

 

1969年12月31日を以ってゴールデン・カップスを脱退。かねてから作曲家の鈴木邦彦に熱望され、1970年9月、ソロ・シンガーとして「雨の街」でデビュー。

 

その後は三枝マモルゆうき剛名義でシングルを9枚とアルバムを2枚発売するものの成功へは至らなかった。

マモル・マヌー

1975年以降は宝石鑑定師の資格を取得しサンフランシスコと蒲田で宝石に携わる仕事を続けていた。

 

1988年、ミッキー吉野、デイヴ平尾、アイ高野らと共に、「タイガース・メモリアル・クラブバンド」に参加。

 

2003年、ザ・ゴールデン・カップス再結成。主にボーカルを担当し、音楽番組への出演やライブハウスでの活動を続け、現在に至る。

マモル・マヌー

ザ・ゴールデン・カップス(The Golden Cups)は1966年12月、神奈川県横浜市でデイヴ平尾を中心に結成されたグループ・サウンズ。

 

結成当初のメンバーはデイヴ平尾、エディ藩、ルイズルイス加部、ケネス伊東、マモル・マヌー。

途中時期在籍メンバーはミッキー吉野、林恵文、アイ高野、柳譲治、ジョン山崎

 

マモル・マヌーの動画

 


ー    ゴールデン・カップス / メドレー

 


ザ・ゴールデン・カップス ~愛する君に~(番宣+司会入り)

 


ー       Nagai Kami No Shoujo

Associated Performer, Vocals: Dave Hirao
Associated Performer, Vocals, Guitar: Eddie Ban
Producer: Masao Takizawa
Associated Performer, Drums: Mamoru Manu
Associated Performer, Guitar: Kenneth Ito
Associated Performer, Bass: Louise Louis Kabe
Author: Jun Hashimoto
Composer, Arranger, Work Arranger: Kunihiko Suzuki

 


ー        カップス×清志郎/2003

 


ー         ガラスの部屋


ー        私の心は雨模様

私の心は雨模様 · マモル・マヌー

OJPC物語2001(DISC2)

Released on: 2001-10-16


「甘いお話」 マモル・マヌー(ゴールデンカップス)&GSキャラバン

 

まとめ

今回は「マモル・マヌー死去、プロフィールや動画など!」というテーマでお送りしました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

 

 

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