女優、石田ひかり4月12日、映画監督の大林宣彦さんの死去にたいし、「わたしの大恩人」のタイトルで、インスタグラムを更新しました。 石田は、故人が手がけた映画「ふたり」に主演しています。映画「ふたり」のエピソード。
目次
石田ひかりの映画「ふたり」の恩人大林宣彦に感謝の言葉
女優、石田ひかり4月12日、映画監督の大林宣彦さんの死去にたいし、「わたしの大恩人」のタイトルで、インスタグラムを更新。
「監督の存在は大きすぎてまだまだ放心状態です」
「鳴かず飛ばずのアイドルだった18歳のあの日 青山のスパイラルのカフェでお会いした、あの日がなければ今のわたしは間違いなくいません」
「昨年の9月にお会いしたとき『ひかりで新作を考えているからね。スケジュール空けておいてね』とおっしゃってくださいました」
「もうすでにかなりつらそうなご体調でしたが 絶対に現実になりますようにと祈っていました」と石田ひかりさんは、綴っています。
そして、「天国でも映画を撮り続けていてください!」「監督が導いてくださった俳優の道がんばります」というメッセージで締めくくっています。
映画「ふたり」について
1991年に映画化された監督が大林宣彦さんの「新・尾道三部作」の第1作。原作者は赤川次郎さんです。
この時の主演が石田ひかりさんでした。
ー 映画 ふたり CM 1991年 石田ひかり・中島朋子
石田ひかりさんは、NHK朝ドラのヒロインオーディションを落ちたばかりのときに、たまたまスタッフのメイク担当に紹介され、大林監督が気に入り例外的にヒロインに抜擢した映画でした。
その後、石田ひかりさんは、朝ドラ『ひらり』のヒロインオーディションに受かっています。石田ひかりさんにとっては、人生の転機になった映画でした。
大林監督の映画でも、19歳の石田ひかりさんをヒロインに起用した『はるか、ノスタルジィ』を引き続き制作しました。
ー はるか、ノスタルジィ 予告
映画「ふたり」ストーリー
石田ひかり演じる北尾実加が中学2年の時、中嶋朋子演じる高校2年の姉北尾千津子は、成績優秀でピアノが上手くスポーツも得意で、高校の演劇でヒロインを務め、教師や同級生からも慕われていて、実加も憧れていた。
しかし、ある日の登校中に交通事故に巻き込まれ、突然この世を去ってしまう。
ところがその後、死んだはずの姉の声が実加の頭の中に聞こえてくるようになった。
姉の声は自分にしか聞こえないけれど、自分を確実に見守ってくれていた。
千津子の死で精神的に不安定になった母、突然単身赴任する父、親友の父の死や心中騒動など、実加の周りでは様々な事件が起こる。
姉が得意だったピアノやマラソン、演劇での活躍、そして、恋と友情。姉のアドバイスもあり実加はそれらの困難を乗り越えて次第に精神的にも成長していく。
様々な経験を通じていつしか実加が姉の年齢に近づいたとき、父の浮気が発覚。
激高した母、家庭崩壊の時、実加が感情的に発してしまった一言で姉の声が聞こえなくなってしまう。
鏡に向かい北尾実加が「おねえちゃん、もういっちゃたの」との問いかるが、もう北尾千津子の声は聞こえなくなってしまった。
映画「ふたり」のエピソード
映画「ふたり」に関するエピソードを紹介します。
原作者の赤川次郎は映画化に反対だった!
『ふたり』は、赤川次郎の小説。発行部数は2003年時点で約230万部。赤川次郎の代表的作品。2019年10月に新潮社より続編の『いもうと』が刊行された。
原作者の赤川次郎は本作を映画化して欲しくない作品で映画化には反対だっった。
ところが、大林監督は、そのことを承知で交渉にでかけた。
赤川次郎さんは、それを知り承諾したという。
映画は原作にほぼ忠実で、赤川自身でさえ限りなく近いので驚いたという。
ただ、原作では亡くなった姉の千津子は声のみの出演で姿は現さない設定であるが、映画では千津子が幽霊として姿を現すという設定になっている。
主題歌「草の思い」での石田ひかり降板
主題歌「草の思い」は、作詞は大林が、作曲・編曲は久石譲が担当。
歌っているのは、「大林宣彦&FRIENDS」となっているが、これは大林監督と音楽の久石譲とのデュエットでした。
ー 草の想い~ふたり・愛のテーマ 大林宣彦、久石譲
この曲「草の思い」は劇中でも北尾姉妹たちに歌われており、編曲は異なるが中嶋朋子によるシングルカット版もパイオニアLDCから発売された。
ー ◆ 草の想い 「 ふたり」 ~ 中嶋朋子
実は、元々は主演の石田ひかりに歌わせる予定であったが、石田ひかりの演技を見た大林が石田ひかりを女優として最後まで通させようと考え、自身がピンチヒッターとなった。
久石譲とのデュエットになったのはプロデューサーの大林監督の妻の大林恭子さんの提案でした。
NHKのテレビドラマとして製作するが35ミリフィルムで撮影
当初、「ふたり」は、NHKのテレビドラマとして製作され、テレビ放映後再編集して劇場公開された。
最初から劇場公開を想定しており、外部演出家である大林の起用や35ミリフィルムでの撮影などNHK作品としては異例。
また、NHKが開発を進めてきたハイビジョンの合成による映像も用いて撮影された。
駅伝のシーンではフィルムとビデオでの1秒間のコマ数の差を利用した実験的な映像が使われている。
撮影現場は、今でも、尾道の観光スポットになる。
映画「ふたり」の撮影は、大林監督のふるさと尾道が舞台。福本渡船、浄土寺、千光寺や尾道駅など、尾道の風景が映画の随所に使用されている。
北尾家は実在する家が撮影に使用された。
これら、福本渡船、浄土寺、千光寺や尾道駅、北尾家は観光スポットになっています。
とりわけ、姉の北尾千津子がトラックに挟まれ死亡する事故現場では、花束やお賽銭が供えられます。
千津子の死を神永智也に伝えるシーンでは、マリンパーク境ガ浜の海上水族館が選ばれ、
生演奏のベートーヴェン交響曲9番のコンサートが開催され、その風景と花火大会の映像がデジタル合成された幻想的で迫力のある映像になっています。
事故のトラックは、右側半分だけを切断
事故を起こすトラックは、あまりに狭い路地のために、トラックの右側半分だけを切断して撮影をおこなう。
落下する木材は発泡スチロールで、千津子はスタントの女性が演じた。
事故の撮影場所は映画公開後も観光名所になる。
制約だらけの尾道での2か月の撮影期間
撮影期間は2か月間と長く、撮影現場は尾道でのオールロケーションのため、
主演の石田ひかりは、18歳の夏のまるまる2か月間尾道に滞在することに。
撮影のない日は自転車で尾道の山坂を駆け回ったり、大好きな海で海水浴やって楽しく過ごせると思っていたはずが、撮影期間はひと夏でも、四季を通じた三年間の物語なので、日に焼けてはいけない。海に入るのもダメ。街へ出る時は日陰を歩きなさいと指示をされた。
最初は酷いところに来てしまった、がっかりしたと思っても、あるとき自身の演じる北尾実加としてなら生きられるということに気づいて、喜びを感じ始めたときを待って撮影をスタートさせた。
まとめ
今回は、「石田ひかりの映画「ふたり」のエピソード、恩人大林宣彦に感謝」というテーマでお送りしました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。