秋月壽賀子さんが老衰のため長崎市の病院で死去しました。享年102歳 。元看護師 反核平和運動の象徴だった夫故秋月辰一郎を支える。プロフィールや動画紹介。アニメ映画「NAGASAKI 1945 アンゼラスの鐘」動画。
目次
秋月壽賀子さん死去
11月19にち長崎原爆で被爆し、反核平和運動の象徴的存在だった医師・故秋月辰一郎さんの妻で元看護師の秋月壽賀子(あきづき・すがこ)さんが、老衰のため長崎市の病院で死去しました。享年102歳。
長崎の反核運動と被爆者医療をけん引した医師、故・秋月辰一郎さんの妻、壽賀子さんが老衰のため亡くなりました。102歳でした。
被爆後、辰一郎さんと結婚し放射線障害を前にした医師の無力さに苦悩しながら反核運動と被爆者医療に尽力した夫を支え続けた人生でした。
秋月壽賀子さんは11月19日に入院先の病院で老衰のため亡くなり夫の辰一郎さんが眠る浦上の丘の墓地に埋葬されることになっています。
秋月壽賀子さんのプロフィール
25歳で浦上第一病院で看護婦として勤務。
被爆地点は、 爆心地から2.3キロ離れた三菱兵器住吉トンネル。
被爆時の状況 爆心地から1.4キロの浦上第一病院で、秋月医師の診療を手伝っていて被爆した。被爆後は患者の治療に奔走する。
その他 当時の様子を記した秋月医師の著書「死の同心円」は2010年に再出版されている。
長崎市出身。
聖路加女子専門学校(現・聖路加国際大)を卒業して看護師になり、爆心地から約1・4キロの浦上第一病院(現・聖フランシスコ病院)で勤務中に被爆した。
負傷しながら、医長だった辰一郎さんらと病院に3年間寝泊まりして被爆者救護に当たった。1948年に辰一郎さんと結婚した。
戦後、辰一郎さんは被爆者の治療に当たる傍ら1966年に「長崎原爆記」、1972年に「死の同心円」を出版して被爆直後の被爆者医療の実態を描写。反核平和運動では長崎平和推進協会理事長などを歴任し理論的、精神的支柱になった。
秋月壽賀子さんは夫の活動を陰で支え、辰一郎さんが92年にぜんそくの発作で倒れて意識不明になってからは亡くなるまで13年間、毎晩病室に泊まり込んで看護した。
辰一郎さんは2005年10月に89歳で死去。その後、壽賀子さんが表だって活動することはなかったが、取材などを通じて辰一郎さんの業績や核兵器の恐ろしさを語り続けた。
2005年には夫妻をモデルに被爆直後の救護活動を描いたアニメ映画「NAGASAKI 1945 アンゼラスの鐘」が製作された。
記録報道「ヒバクシャ」では2011年2月、辰一郎さんの「長崎原爆記」復刊を喜び「なぜ人間が人間に対してあんなひどいことができたのか。二度とあるべきことじゃない」と語っていた。17年からは被爆者専用の養護施設「恵(めぐみ)の丘長崎原爆ホーム」(長崎市)に入所していた。
2013年こん睡状態が続いた夫秋月辰一郎氏を支え続けました。
秋月壽賀子さんは言います。
「やっぱり何かこの人に使命があるんじゃないかなと私は思うんですね」
「背中から血が滲んでくるし、あーこのまま死ぬんかなと思ったんですけど秋月が中から出てきて私が中に埋もってるのが分かったもので出してくれたんですね」
看護師だった秋月壽賀子さんは結婚前の26歳の時、勤務先の浦上第一病院で被爆し医長だった秋月辰一郎さんとともに被爆者の救護活動にあたりました。
秋月壽賀子さんの動画。
「被爆者医療と平和活動に尽くした夫を支え続けた妻
秋月 すが子さん
被爆者医療と平和活動に尽くした医師、故・秋月辰一郎さんを支え続けた妻、秋月すが子さんの証言。」
2005年には夫妻をモデルに被爆直後の救護活動を描いたアニメ映画「NAGASAKI 1945 アンゼラスの鐘」が製作された。
NAGASAKI1945 「アンゼラスの鐘」の動画。
ー NAGASAKI1945 ~アンゼラスの鐘~ 予告編
未来を担う世界中の子どもたちに届けたい。自らも被爆しながら、医療活動と反核運動に残生涯をささげた医師、秋月辰一郎の物語。
虫プロダクション作品。
上映に関してのお問い合わせは 虫プロダクション株式会社。
まとめ
今回は「秋月壽賀子さん死去、プロフィールや動画など!」というテーマでお送りいたしました。
最後までご覧いただきありがとうございました。